日本への帰国のお知らせ

いつも僕のホームページを見て下さっているみなさまへの大切なご報告をしたいと思います。
 
今までゲラの劇場で12年間の長きにわたって歌ってきました。ベルリンでの留学時代をあわせるとドイツでの生活は17年になります。そして今、このシーズンを最後にしてゲラの劇場での仕事を終え、故郷の日本へ帰国することにいたしました。シーズンの終わりにあたり、この公式サイトをご覧のみなさまにご報告させて頂きます。
 
僕にとって、ドイツの劇場の専属歌手になることは、高校の時に声楽を始めて以来の夢でした。岡村喬生さんの「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」という著作を読んで以来、ドイツ独自のレパートリーシステムの中に身を置き、同じ小屋で、同じ同僚とチームを組み、「おらが街の歌手」を誇りに思う聴衆の皆さんの前で歌い続けること、あたかも劇場に「住んで」いるような感覚で仕事をすることに憧れ、それを目指して学んできました。
ですから、この12年間は本当に僕にとって幸せな、豊かな年月でした。困難がなかったわけではありませんが、それらの困難を経験として与えられたことも含めて、本当に恵まれた12年だったと思っています。この場所に自分を運んでくれた家族、友人や同僚、聴衆の皆さんに心から感謝しています。そして折々で流れを変えたり速めたりした様々な「偶然」の力にも。
 
しかし僕は初めから、ドイツで歌手人生を全うするのではなく、いつかは日本を中心に活動したいと思っていました。つまり僕にとってのドイツ生活は修行の場であり、ドイツのマイスター制度で言うと「徒弟時代」にあたると考えておりました。そして何年か前からはっきりと単なる学びの時期を締めくくって次のステップに進むべき時が来た事を感じており、どういう形でそれを行うべきか模索を続けてまいりました。
 
一つは、年齢と共に自分が担う責任の重さが変化してきたことがあります。以前は表現者としてひたすら自分の仕事にのみ集中していれば良かったのですが、今はそれだけでは足りないと感じるようになったのです。今ではゲラの劇場のソリスト陣の中で最年長、契約年数も最長となりました。演奏の質という点ではもちろんですが、稽古を含む劇場生活の中で、演奏の質以外の部分でも相応の質の高さ、責任を果たすことを義務づけられたように思います。「学び」を自分の中心と考える時期にはピリオドを打たなくてはいけない、と言う思いです。
 
また、劇場の専属契約によってゲラ市を頻繁に離れることが難しく、せっかく頂いた他の劇場や日本からのオファーの多くを断らざるを得ない状況がありました。その中には本当に素晴らしい質の高いプロダクションが多くあり、今後こういう芸術的水準の高いプロダクションを諦めないで済む状況に身を置きたいと切実に思わされました。そして家族のこと、その他のもろもろの事情を考慮し、熟慮を重ねて今年の秋に日本に帰国することを決断いたしました。宮廷歌手の称号を頂いたのはもう帰国の決断をした後でしたが、僕にとっては「修業時代」の終わりを象徴的に感じさせてくれる出来事でした。
我が劇場の当時のインテンダント(総裁)オルダーグ氏に、契約を打ち切って日本に帰ることを伝えたときは、ありがたいことに強く慰留されました。しかし、僕の気持ちや、これが長年考えていた事なのだと言うことを説明して理解してもらいました。
 
春には劇場後援会と劇場がお別れコンサートを企画してくれました。日本でのデュオ・リサイタルでいつもペアを組んでいるピアニストの服部容子さんがこのお別れコンサートでの演奏を快く引き受けてくれ、このコンサートのためにドイツまで飛んできてくれました。ゲラ市立歌劇場での二回のコンサートの他、ヴァイマールのシュタイナー・ハウスでもお別れコンサートを行い、音楽を通じてお別れのメッセージを伝えました。シューベルトの「美しき水車小屋の娘」による歌曲の夕べと、今まで歌ってきた役のアリアを中心としたアリアの夕べを行いましたが、最後のアリアの夕べでは満場の観客によるスタンディング・オベーションとなり、ゲラの劇場の聴衆の愛情を強く感じました。
 
同じ顔ぶれ、同じプログラムのシューベルトの「美しき水車小屋の娘」を2012年12月のデュオ・リサイタルで取り上げることもあり、デュオ・リサイタルVol.8はこのお別れコンサートとリンクして提携公演とすることとなり、お別れコンサートのプログラム冊子にも取り上げられています。このプログラム冊子は後援会がこの12年間の僕の活動を総括してくれたもので、またこのサイトでもご紹介したいと思っています。シーズン最後の「テアターオスカー」授与式では、思いがけず五度目の劇場オスカーとなる「Ehren-Oscar(名誉オスカー)」を受賞し、最後のシーズンを締めくくることが出来ました。
 
日本に戻ってからは、ありがたいことに多くのやりがいのあるプロダクションが待ってくれています。2013年には1月に新国立劇場の「タンホイザー」ビーテロルフ役、5月に東京二期会の「マクベス」タイトルロール、12月には宮城県民会館でのオペラ「遠い帆」で主人公の支倉常長があります。主催者の都合でまだ詳細を発表できませんが、その他にもいくつか、バリトン冥利に尽きる役を歌わせていただく予定です。
 
これからは日本での活動がほとんどとなり、皆さんと舞台でお会い出来る機会は飛躍的に増えると思います。
以前、「テューリンゲンの森から」というこのホームページのタイトルは、日本に帰国した際には変更せざるを得ないだろうと思っていました。しかし今は、その考えをあらためました。テューリンゲンは僕の第二の故郷であり、この12年間を通じてテューリンゲンの劇場文化は僕の一部となりました。このホームページのタイトルは、このまま大切に使わせてもらおうと思っています。
 
長い間のドイツ生活の中、皆さんの応援にどんなに励まされたかわかりません。心から皆さんの声援にお礼を申し上げると同時に、今後の日本での活動を暖かくお見守り下さるよう、お願い申し上げます。
 
 
小森輝彦
 
 
 
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「帰国についての新聞記事(2011年10月)」