Verdi “Rigoletto” Rigoletto

ドイツの歌劇場デビューになった役ですから、そういう意味でも記念すべき役ですが、僕にとっては別の大きな意味を持っています。


ヴェルディのオペラでは、バリトンは「父親」の役を与えられることが多いです。それも娘をもった父親。そして表現されるべきは娘への愛。その時に音楽的に要求されるのは、声の中に父性愛の要素があることです。ふくよかで豊かな声が要求されるわけです。
そういう声は、若いバリトンにはなかなか出せるものではありません。声の成熟というのは時間がかかるものですし、それにくわえて歌手が人間的に成熟することもある部分必要なはずです。例えば実際に父親になるとか。ちなみに僕がこの役をオファーされた時点では息子は嫁さんのお腹の中でした。
純粋に声のことで言うと、リゴレットを歌うことに決めた時点で、リゴレットのキャラクターに十分なだけの声の豊かさを自分がもっているのかどうか、自信がもてませんでした。
僕のヴォイストレーナーは「リゴレットはぎりぎり挑戦できる役だ」と言っていたので、このオファーを受けることにしたのですが。
結果から言うと、僕なりに納得が行く演奏が出来たと思っています。これを書いている時点でもまだリゴレットの公演は続いているので、これからまた変化も出てくるかも知れませんが。
ヴェルディは言うまでもなくイタリアオペラの第一人者ですし、オペラ歌手でヴェルディを歌いたいと思わない人はいないと思います。バリトンである僕にとってはそのヴェルディ歌いになるための関門は「父親」を歌い演じられる声を出せるか、だったわけです。
僕なりにこの関門をクリアした(と思っている)事で、僕にとっては未来がとっても明るくなったわけです。そういう意味で非常に大きな意味がありました。
このリゴレットは僕にとって初めてのヴェルディのオペラではなく、その前に「椿姫」のジェルモン役をプラハと日本で歌っています。そしてこれも父親役ですが、役としてオペラの行き先を左右する度合いはリゴレット程ではありません。リゴレットはまさにタイトル・ロールであり、リゴレットが如何に歌い演じられるかによってこのオペラが成功するかが決まるのですから。(いや、もちろんリゴレットだけで決まるわけじゃないですよ。でもリゴレットがダメだったら他の役にはこのオペラを救うことは出来ません。そういう意味です)
(2001.8.9)

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