ニュースレター「NL-45 遠い帆が終わりました」を発行しました。
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オペラ「遠い帆」のこと
これはニュースレター44号として発行したものですが、今回は例外的にエッセイとして掲載させていただきます。
寒くなってきましたね。僕は今仙台に来ていますが、リアの公演後、慌ただしく稽古、移動を経て仙台までなだれ込んだという感じで、ご無沙汰してしまいました。
オペラ「遠い帆」の公演まで1週間を切りました。ここ仙台では連日、熱い稽古が行われています。
ご当地オペラといって良いのでしょうか。ここ仙台で支倉常長を知らない人はいないようです。
そして支倉の仕えた伊達政宗は、今も仙台の人々の心のルーツと言っても良いほどの存在感があります。東京公演の記者会見で仙台市長の奥山恵美子さんとご一緒させていただき、控え室で色々と興味深いお話を伺ったのですが、宮城の近隣の件ではかつての領主の名前がパッと出てくる人は珍しいのに対して、宮城の方で伊達政宗を知らない人はいないと。
これは、伊達政宗が、如何にここ仙台の文化、人々を真剣に守ろうとしたかと言う事と深い関係があるようです。稽古でもたびたび話題に上るのですが、伊達政宗が、幕府の圧力に屈せずに仙台藩を守るために犠牲になったのがある意味で支倉常長なのですね。
支倉は今からちょうど400年前に遣欧使節として月の浦から出航し、当時のノビスパニア(メキシコ)へ赴き、さらにスペイン、ローマへと旅して、日本人と初めてローマ法王に謁見した人物です。本人が残した記録が失われてしまったこともあり、謎も多いのですが、長旅を終えて日本に戻ってくると日本全土にキリシタン禁令が敷かれて、状況は出立前と一変していました。
支倉はこの遣欧使節の役目を成功裏に終えるために、主君である伊達政宗に報いるためにローマの地で洗礼を受け、キリシタンとなりますが、帰国後にそれを逆に咎められました。その咎で命を落とすことになったという節もあります。キリシタン禁令をもって仙台藩取りつぶしを狙った家康に対抗するには、支倉を捨てて禁令に従う必要があったのです。
さきほど、「熱い稽古」と書きましたが、特に「熱い」のはまず、合唱の皆さんです。すごい熱気です。オペラの中で伊達政宗が「捨て石同然の六右衛門(支倉のこと)、禁令には当面従う振り」と歌う箇所がありますが、この「捨て石」という言葉に込められた伊達政宗の痛みを知っている皆さんが歌っているのですから当然ですね。伊達の痛み、支倉の無念を、自分の土地のこととして知っている皆さんとこうして共演できること、本当に希有な機会と心得て、僕も自分の責任を果たさなければ、と思っています。
もう一人、熱いのは演出の岩田達宗さんです。僕は岩田さんとは留学以前からずいぶんつるんで(?)いて、今回は13年ぶりの共演なので、本当に楽しみにしていました。そして13年経っても全く変わらない岩田さんのオペラへの姿勢、愛情、熱意を感じて、立ち稽古初日から僕自身もすごく熱くなっています。
岩田さんとのことは、書きたいことがたくさんあるのですが、長くなるので別の機会に・・・。
岩田さんのコンセプト、ネタバレはまずいと思うので具体的には書けませんが、一つ解釈のポイントというか、僕が注目しているポイントをご紹介します。
三善先生のスコアには19の場、一つ一つにつけられている名前があります。そのうち最初のシーンは「死失帖」とあります。「しにうしないちょう」と読むそうですが、これは罪を犯した人間のリストで、ここに名がある人間は、その子孫代々、罪を犯した人間の子孫として扱われると言う事です。
このオペラ「遠い帆」は児童合唱の数え歌から始まりますが、そこにこの「死失帖」というタイトルがついている。つまりこの子供達は、支倉と、おそらくは一緒にサン・ファン・バウチスタ号でメキシコに向かった伊達の家臣達の子孫なのでしょう。藩のために苦難の旅を終えて、その使命を遂げるために本意でなく(これは推測ですが)キリシタンとなったのにそれを咎められた支倉、そしてその結果、代々罪に問われ続ける子供達。
そんな理不尽なことがあって良いのか?と言いたくなるのですが、それが一体どういう意味を持つのか、今回の演出は答えを提示していると思います。
仙台は東京から、遠いようで近かったです。新幹線なら2時間かかりません。直前になってからのお誘いで申し訳ありませんが、このニュースレターをお読みになって興味をお持ちになった方、今からでも遅くありません!是非是非お越し下さい。ニュースレター会員の方には一割引でチケットを提供できますので、ご希望の方はこのメールに返信の形でご連絡下さい。
それではこれから舞台稽古に行って参ります。
小森輝彦