去る4月2日に、ドイツ宮廷歌手(Kammersänger)の称号を授与されました。
宮廷歌手という称号は日本ではあまり馴染みがないと思いますが、日本に客演するヨーロッパの歌手のプロフィールの中に宮廷歌手という表記があるのをご覧になった方いらっしゃるかも知れません。
ドイツとオーストリアで、オペラ歌手の芸術的業績に対して贈られる名誉称号で、ドイツのWikipediaの記事を参照すると以下の様になります。
宮廷歌手とは、それまでの芸術的仕事ぶりに対して贈られる名誉称号で、年齢や契約年数やライフワークの内容には関係なく授与されるものである。この称号は賞金を伴わず、ドイツ連邦共和国とオーストリアにおいて、たいていの場合は劇場総裁の提案、あるいは州、都市、社会的機関の提案によって贈られる。旧東ドイツにおいてはそれぞれの音楽劇場がこの名称を自ら贈ることが出来た。もっと昔においてはこの称号はドイツの小都市や君主制領主、皇帝や王、女王によって贈られていた(「王室宮廷オペラ歌手」など)。この名誉称号はいまだにスウェーデンでは王室宮廷オペラ歌手として王から歌手に贈られている。
うちの劇場は二つの劇場が16年前に合併して一つの劇場連盟(Theater&Philharmonie Thüringen)になっていますが、僕が住むゲラ市ではない方のアルテンブルク市立歌劇場が、今年創立140年と言う事で、大々的に記念のガラコンサートが行われ、そのガラコンサートの中で、インテンダント(劇場総裁)がサプライズでいくつかの表彰を行いました。ガラ・コンサートの進行表にインテンダントが舞台でスピーチをする事は載っていたのですが、表彰があること自体、発表になっていませんでした。
本番が始まる直前になって演出助手から、そのインテンダントのスピーチの際に舞台袖にスタンバイする様に言われたのですが、何故自分が呼ばれたのかさっぱりわかりません。
僕以外の3人は、勤続41年目の女優(演劇部門)や34年目のテノール、アルテンブルクの劇場後援会の理事長と、年齢的にも僕とは世代が違います。彼らはEhrenmitgliedschaft(劇場名誉会員資格)の授与をされており、僕はまだ年齢的に名誉会員のわけもないのに、何なんだろう?と思いつつも、舞台に呼び出されたら満場のお客さんの前で挨拶をする羽目になる訳ですから、前の3人が表彰されている間に、とりあえず必死に140周年の祝辞のドイツ語の作文をしていました。大体僕が最後というのもおかしいのです。その4人の中で一番若いわけですから。
いざ舞台に呼び出されて、今までの仕事ぶりへの賛辞などをいただき、そこで授与されたのが、宮廷歌手の称号だったのです。本当にびっくりしてしまい、呆然と立ち尽くしてしまいました。
その時の劇場総裁のマティアス・オルダーグ氏はこんなスピーチをしてくれました。
Zu guter letzt, möchte ich mich bei Teruhiko Komori bedanken. Ich bitte Teruhiko auf die Bühne.
Mein lieber Teruihiko. Seit 2000 gehörst Du zum Solistenensemble unseres Hauses. Du hast an zahlreichen Rollen Deine herauragende Begabung unter beweis gestellt. Wir haben Dich als Nabucco erlebt, als Don Giovanni, Du hast den Puccini-Opern genauso geglänzt wie die modernen Werken. Die unsere Opernwiederentdeckungen in unserm Theater sind fest mit Deinem Naman verbunden. Ich hatte das Vergnügen in vielen Produktionen mit Dir zusammenzuarbeiten. Es ist faszinierend, wie ernsthaft Du Deine Aufgabe nimmst und mit welcher Hingabe Du sie ausfüllst. Ich erinnere mich an Deinen Talent für komischen Rollen genauso gern wie an Deinen Grotesken beispielsweise in den “Ausflüge des Herrn Broucek” von Janacek oder in “Vanessa”.
Deine große Stärke liegt zweifellos in den tragischen Partien Deines Fachs. Deine burtaler Scarpia, Dein Holländer, und jetzt gerade Dein Wallenstein z.B. bleibt unvergessen.
Du bist ein wunderbarer Kollege, ein vornehmer Mensch und ein großartiger Sänger.
Sehr geehrter Herr Komori, Auf Grund Ihrer außer ordentlichen künstlerischen Leistungen, die Sie für das Theater in Gera und Altenburg erbracht haben und in Würdigung Ihrer großen sängerischen und darstellerischen Fähigkeiten verleihe ich Ihnen hiermit den Titel KAMMERSÄNGER.
この授与式の有終の美として、私は小森輝彦氏に感謝したいと思います。小森輝彦さん舞台へお願いします。
親愛なる輝彦さん。2000年から君は我々の劇場のソリスト・アンサンブルに属しています。君は極めて多くの役柄で君の傑出した才能を立証してきた。我々は君の演じるナブッコやドン・ジョヴァンニを体験した。君はプッチーニのオペラも現代音楽の作品にも、同じように輝きを与えた。我々の行った、多くの「オペラ再発掘のシリーズ」も常に君の名前と共にあった。
私は多くのプロダクションにおいて、君と一緒に仕事をする喜びを得た。君がいかに真剣に君の使命を全うしたか、そしてあらん限りの献身を持ってその使命を果たす様子に、私は魅了された。
私は君のコミカルな役における才能を、グロテスクな役でのものと同様に、ありありと思い出すことができる・・・例えばヤナーチェクの「ブロウチェク氏の旅」や「ヴァネッサ」がそうだった。
しかし君の強みが、バリトン諸役の中でも悲劇的な役の中にある事は疑いようがない。君の暴力的なスカルピア、オランダ人、そして最近の「ヴァレンシュタイン」も記憶にずっと留まるだろう。君は素晴らしい同僚であり、高潔な人物で、傑出した歌手だ。
敬愛する小森輝彦さん。あなたがゲラとアルテンブルクの劇場にもたらした並外れた芸術的業績のため、あなたの素晴らしい歌唱力と演技力を讃え、私はここにあなたに宮廷歌手の称号を授与します。
夢見たことはあるものの、まさかこんな事が現実に起こるとは本当に思っておらず、嬉しいと同時に、重い責任が肩にのしかかってくるのを感じました。今の自分がこの称号にふさわしいとは僕には思えません。宮廷歌手の名に恥じない舞台人になるためには、ますますの精進が必要です。その責任を思うと、身が引き締まる思いです。
僕がベルリン時代に憧れていた歌手の多くがこの宮廷歌手の称号を持っていました。ベルリン芸術大学で薫陶を受けたバスのハラルト・シュタム教授、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ教授しかり、ベルリン州立歌劇場の専属バリトンのファルク・シュトルックマンやロマン・トレーケルもそうです。シュトルックマンの場合は、僕が見に行ったヴォツェクの公演後に彼の宮廷歌手の称号の授与式が行われて、思いがけず感動的な場に居合わせることが出来ました。夢見たことはありましたが、あまりに身の程知らずの夢ですから、家族にもそれを話したことは一度もありませんでした。
呆然と立ち尽くしていた僕だけでなく、ガラコンサートに居合わせた満場の観客も、同じように驚いたのだと思います。でもその後の観客の反応に接して、僕は本当に感激しました。ざわめきが大喝采に変わり、ブラボーや口笛が飛び交って、最後は手拍子になってしまいました。それまではおとなしく座って次の曲の演奏のために待機していたステージ上のオーケストラが、すっと立ち上がったコンサートマスターの指示でファンファーレを演奏してくれました。もちろんアドリブです。
僕がこの称号を授与されたことを、劇場の観客の皆さんがこんなに喜んでくれているのを見て、僕がここで頑張ってやってきたことは無駄じゃなかった。みんなわかってくれてるんだって、本当に嬉しかった。この11年間でこの時ほど聴衆や同僚から愛されていると感じたことはありませんでした。
気を取り直して、慌てて作文した挨拶をしました。
…Ja… Also… So wie andere Kollegen habe ich nichts mitgekriegt. Ich bin völlig überrascht… besonders bei letztem Wort. Für einen Ausläner… Mir fällt schwer, wenn ich so plötzlich etwas sprechen muss vor dem Publikum.
Ja, genau vor 10 Jahren habe ich angefangen die Probearbeit für meine allerersten Produktion “Rigoletto”. Das war Juni 2001 in Altenburg. Damals war mein Sohn nicht mal 1 Jahre alt, und logischerweise ist er jetzt 10 Jahre alt und spricht er Thüringisch. Mittlierweise sind Altenburg und Gera unsere zweite Heimat geworden.
Meine andere Heimat… Sie wissen bestimmt, was in Japan passiert ist. In dieser schwieriger Zeit erkenne ich meine Pflicht stark, als Botschaft der Kunst, daß man in solcher schwieriger Zeit besonders Musik, Kunst machen muss. Die Betroffene müssen nicht nur physisch sondern auch seelisch und geistig gerettet werden. Dafür mache ich eine Aktion inklusiv ein Benefizkonzert. Ich bin sehr froh und glücklich wenn Sie dabei sind. In diesem Sinne singe ich weiter. Und kommen Sie auch weiter ins Theater. Vielen Dank.
いや、あの・・・他の同僚と同じように私も何も知らされていませんでした。全く驚かされました・・・特に最後の言葉にですが。一人の外国人にとっては・・・こうして皆さん聴衆の前で急に何かを喋らなくてはいけないというのはとても難しいです。
そう、ちょうど10年前に私は、私の最初のプロダクションであるリゴレットの稽古を始めていました。プレミエは2001年6月でしたね。その頃1歳にもならなかった私の息子は、当然のことながら今は10歳です。そしてテューリンゲンの方言を喋ります。いつの間にかアルテンブルクとゲラは私たちにとって第二の故郷になったのです。
私のもう一つの故郷・・・皆さん日本に起こったことはきっとご存じだと思います。この厳しい時期に私は、私の、芸術の使者としての義務を強く認識しました。このような大変なときだからこそ我々は音楽を、芸術を実践しなくてはいけない。被災者の皆さんは、肉体的にだけでなく、魂的にも精神的にも救われるべきなのです。私は今チャリティーコンサートを含む活動を始めたところです。皆さんがこの活動に参加して下さる事は、私の望外の幸せです。
その意味から、私は歌い続けたいと思います。皆さんも劇場に足を運び続けて下さる事をお願いいたします。ありがとうございました。
ここで震災の事に触れたことも関係あったのか、翌日の新聞のガラコンサートの報告記事には大きくこの事が取り上げられていました。(新聞記事はこちらのエントリにまとめてあります)それから約一ヶ月が経ったわけですが、その間に東日本大震災のチャリティーコンサートもあり、多くのプレスの取材を受けました。
wikipediaでの説明にもありますが、この称号は劇場総裁や州、都市によって提案され授与されます。つまり、特定の州や都市の劇場に対する継続的な芸術的貢献を評価される事が多く、世界的に有名な歌手でも特定の劇場との結びつきがない場合には授与されません。「スーパースター」ではない宮廷歌手には、フリーランスとして世界中で歌えるだけの実力を持ちながらも自分のホームグラウンドである劇場の専属歌手であり続けて、その劇場に尽くした歌手が多い様に思います。プレス担当者から聞いたところ、我が劇場から出た宮廷歌手は20年ほど前にドイツ人のバス歌手がいたとのことで、それ以来のことだそうです。
重い責任を感じるだけでなく、僕にとってとても嬉しいニュースではあるのですが、今の日本が陥っている状況を考えると、手放しで喜ぶことが出来ませんでした。皆さんへのご報告が遅れたのも、その辺の整理がつかなかったからです。しかし家族やお世話になった方々に報告したときに「今の日本は明るいニュースを求めている。きちんと報告するべきだよ」というお言葉を沢山いただきました。もう一度考えた末、こうしてご報告させていただいた次第です。
先日、最近会っていない知人からメールをもらいました。ドイツに住む日本人の音楽家なのですが、我が劇場の来シーズンの演目が記者会見で発表になり、それをネットで見ていたら11月のオーケストラ定期演奏会でマーラーの「子供の不思議な角笛」のソリストとして出ていた僕の名前に「Ks.」・・・Kammersänger(宮廷歌手)の略・・・がついているのを見て、お祝いのメールを下さったのです。
そんな具合で、良くも悪くもこの称号は僕に「つきまとって」来る事になります。名刺には「Prof.」や「Dr.」と同じように名前の前に入れるのが常ですし、公的な印刷物でも名前の前に「Ks.」がつくことになります。劇場の本番中のアナウンスもそれ以来「Herr Komori, bitte zum Auftritt bereithalten…(小森さん、出番に備えてスタンバイしてください)」というのが「Herr Kammersänger Komori, bitte…」という風になりました。
僕は自分のドイツでの音楽活動を「徒弟時代」という風にたびたび表現してきました。修業時代と言っても良いです。これはドイツのマイスター制度(職人制度)における段階で、マイスター(親方、名人)になるためには、見習い工、熟練工として修行を重ね、マイスター試験に合格して初めて免許皆伝となります。ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でも親方と徒弟の社会が描かれていますね。
いま、舞台表現者としての「修行」に一度区切りをつけなさい、と言われている様に感じます。つまり「いや、まだ修行中だから」という言い訳はもう通用しないと言う事です。これからは自分の演奏にも振る舞いにも相応の責任をもって行かねばならないと言うことだと思っています。
このホームページの名前は、2000年のオープン以来「テューリンゲンの森から」としてきています。でも、「将来、活動の拠点を日本に移したときは、やっぱりこのタイトルは変えなくちゃならないだろうな」と思っていました。
でも、このテューリンゲンとテューリンゲンの劇場、テューリンゲンの聴衆と、運命的な結びつきを持つことになった今、このホームページのタイトルは一生大切に使わせていただこうと心に決めました。受賞の挨拶で述べたとおり、ここは既に僕の第二の故郷でもあるのです。
テューリンゲンの森を歌い手としての第二の故郷とし、いつかこの称号にふさわしい歌手、舞台人になるために、とにもかくにも切磋琢磨するしかありません。それこそが責任を果たすことだし、これを喜んでくださったこの劇場の聴衆の皆さんの気持ちへ報いることでもあります。
そして第二の故郷での修行の成果を、故郷の日本に持ち帰り、自分に出来る形での社会貢献に役立てたい。チャリティーコンサートの報告の記事で書いたことなのですが、この震災チャリティー活動の中で感じた、この二つの国を結ぶ友情、空間と国籍を超えた善意に、僕は希望の力を強く感じました。
また、僕を音楽の道に導いてくれた偶然、その偶然を喜んで前進を促してくれた両親、音楽と劇場の一つ一つの技術と魂の滴をもたらして下さった先生と先輩方、一緒に音楽を紡いでくれた同僚達、そしていつも支えてくれた家族に感謝をしつつ、その厚意、善意にこれからは応えるべく、覚悟を新たに前進したいと思っています。
関連リンク:
「宮廷歌手の称号授与 ドイツのテレビニュース
宮廷歌手、称号授与関連の記事
チャリティーコンサートの報告記事(東テューリンゲン新聞)
チャリティーコンサート終了のご報告
チャリティーコンサートの詳細記事
東日本大震災チャリティーコンサート
東日本大震災で考えること・・・一人の在独邦人として(エッセイ)