「キャンドルの光でクラシックを」と復活祭の「オースター・ベルク」

昨日は、この「キャンドルの光でクラシックを」というシリーズに久しぶりに出演しました。アルテンブルクのハイツハウスというホールで行われているシリーズです。アルテンブルクでもう16年常任指揮者を務めているトーマス・ヴィックライン氏の監修しているシリーズで、その都度テーマを決めて、わかりやすい解説をまじえて、キャンドルの光と一緒に気軽にクラシックを楽しんでもらおうという企画。毎回売り切れになっているほどの人気です。
ハイツハウスというのは、言ってみれば暖房棟と言う感じで、かつては暖房設備が入っていた建物で、今は100人くらいの客席を持つ小さなホールとして使われています。


今回は、5月8日に予定されている僕のリーダー・アーベントの予告というか宣伝も兼ねて、詩人の恋から数曲、それからその中の1曲である「ライン川の美しい(神聖な)流れ」というハイネの詩による歌曲を、F.リスト作曲のもの、F. W. シュターデという作曲家によるものを並べて演奏しました。それからヴェルディ作曲「ルイザ・ミラー」からミラーのアリア。
このシュターデという人は、19世紀にアルテンブルクの劇場の音楽監督だった人で、歌曲作品も残しています。トーマス・ヴィックライン氏がこの曲を見つけてきて演奏してみようと提案したのだけど、こんな事でもなければ日本人の僕がシュターデという人の作曲した「ライン川の美しい流れ」という曲に出会うこともなかったわけで、トーマスには感謝しています。
素朴な作風ですがとてもきれいな曲です。
コンサートの最後には、このシュターデの作曲した「夕べの祈り」という曲も歌いました。これはトーマスが手際よくオーケストラに編曲して、オースター(復活祭)の連休のまっただ中に行われたこの「キャンドルの灯りでクラシックを」の最後を、復活祭らしい祈りの曲で閉じることができました。この曲もなかなか素敵な曲で、日本で演奏する機会があったらいいなぁと思っています。
この演奏会のもう一人のゲストは、数年前にやはりこの「キャンドルの灯りでクラシックを」に出演したアルテンブルク出身のコントラバス奏者、グレーガー氏。今は大学卒業目前という、若いアーティストですが、何と彼、ドレスデンのシュターツ・カペレのソロ・コントラバスに就任するとか。これは卒業をまだしていない人をとるというのは異例なことだし、大体このドレスデンのシュターツ・カペレというのはドイツの誇る名オーケストラの一つですから、ものすごいことです。
彼はジョヴァンニ・ボッテッシーニという作曲家のコントラバス協奏曲を弾いてくれましたが、これが素晴らしかった!僕はこの時客席の一番前に用意されていた席に座っていたので間近で聞きましたが、本当に素晴らしい演奏だった。チェロみたいな柔らかい音からコントラバスらしい太い音まで、本当に音色の幅が広くて、超絶技巧のパッセージも楽々こなすし、客席は拍手とブラボーが飛び交ってすごいことになっていました。
コントラバスの一番上の弦を巻くところが、巻き貝みたいな形になっているのが普通だと思うんだけど、彼の楽器はこの部分がライオンの顔になっていて、これまたかっこよかった。
僕ね、高校の後輩に二人コントラバス奏者がいるんですよ。一つ下と二つ下にね。二人とも僕と同じ音楽部でオペラを演奏した仲間で、二人とも芸大に来た。僕と続けて3人連続であんな受験校から芸大に進む人がいたってのが結構おかしい。で、二人ともプロになっているから、僕はコントラバスというと結構親近感を持っているのです。この二人のうちの一人は最近ニューヨーク・フィルに入ったという話を聞いたし、もう一人も少し前にドイツのオーケストラのオーディションや団員テスト期間を務めるためにドイツに来ていたので、二人とも頑張っているわけです。


image


話は全然変わりますが、今日の日曜日はオースター・ゾンターク。復活祭の第一休日で、キリストが磔にされた金曜日の二日後。いわば「復活イブ」ですかね。それで、キリスト教共同体の催しで、オースター・ベルクというのがありまして、そこに健登と一緒に出かけて来ました。
去年この催しに参加した嫁さんから話は聞いていて、興味は持っていたのですが、やはり参加してみると、ふーむと深く考えさせたり、自分自身で体験出来て良かったとしみじみ思ったり色々でした。
僕もちゃんと調べていないのだけど、これは人智学独特の催しだそうです。キリスト教共同体というのは人智学の流れを汲んだキリスト教団体なのですが、シュタイナーの思想が深く反映されていると思いました。
まず、最初に、みんなで復活祭にちなんだ歌をいくつか歌いました。僕も初見で頑張ったぞ。チェロ、ヴァイオリン、フルート、ヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏がありました。そして、円になって座った参加者の真ん中に、黒い山があります。これがオースター・ベルク。ベルクというのは山という意味で、つまり復活祭の山、と言う意味ですね。
この黒い山がオースター・ベルクになって、キリストの復活を表現するためには、我々参加者がいわば一つの「試練」を受けなくては行けない。これが「沈黙」と「勇気」の試練なのです。今稽古している事もありますが、W.A.モーツァルト作曲のオペラ「魔笛」の試練がだぶってきます。
具体的に何をするかというと、隣の部屋にこしらえられた、真っ暗な迷路をみんなくぐって来なくては行けない。しかも沈黙を守って。これは小さい子どもには至難の業なのではないかと思ったんだけど、意外にみんなちゃんとやるんでびっくりした。
しかもその迷路は階段の上り下りもあって、注意しないと危ない。で、全員が手をつないで、つながっていくんです。
まず、本当にドイツ語で説明があったときの「石炭の黒のような闇」という言葉通りの、本当に正真正銘の暗闇。これも驚いた。全く何も見えません。これね、劇場で仕事しているとわかるんだけど、本当の暗闇を作るというのは至難の業なんです。夜道だって結構明るいし、部屋の中に光が全く漏れてこないようにするのは大変な作業だったはず。それをこだわってやる意味は?と思うくらい暗い。
前の人の手と後ろの人(この場合は健登)の手、それからすり足で進む足の感覚だけを頼りに前に進んでいく。恐がりの健登は嫌がるかと思いきやちゃんとやるんだなぁ。そしてゆっくりしか進めませんから、結構時間がかかります。暗いと時間の感覚もゆがむ感じがするけど、すくなくとも20分くらいは暗闇にいたと思う。視覚をこうも徹底的に閉ざされると、如何に自分の感覚、思考が視覚に左右され、場合によっては迷わされているかがわかります。そしてみんなで一つにつながって出口に向かっていくというのは、素手がふれあっているので、結構一体感があるんです。
そしてついに出口にたどり着くと、そこには天使がいて、一人に一本、灯のともったろうそくをくれるのです。そのろうそくを、黒いおおいを取り払われたオースター・ベルクに置かれた花の鉢植えにさしていく。最後の一人がさし終わる頃には、真っ黒な闇のようだったオースター・ベルクがろうそくの光で一杯になるのです。これはかなり感動的な体験でした。
この体験、催しの意味を解釈するのは、ちょっと今はとりあえずやめておきます。体にイメージや感触で入ってきたものを大事にした方が良いような気もするのです。
写真はろうそくの光がともっているオースター・ベルクです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です