ウゾ・ケンペさんのこと

健登が行っているヴァルドルフ幼稚園ですが、ヴァルドルフ小学校設立の運動のせいで、ヴァルドルフ教育、人智学関連の催しなどが比較的頻繁に行われているようです。今日は、ウゾ・ケンペさんという人との面談がありました。


この人、肩書きは「Lebensberater/レーベンスベラーター」というもので、訳してみると、人生の相談者かなぁ。あるいはカウンセラー、助言者。ちょっと日本語に訳すと雰囲気が変わっちゃうんだけど、何をするかというと、人智学的見地から肉体・精神の健康のために色々な助言をしてくれる人です。
具体的には、栄養学的な事、一日のリズムの作り方や健康へ自発的に体が向いていくような助言、それから特にHeileurythmie ハイルオイリュトミー(治療オイリュトミー)を治療というか、共同作業のメソッドとして使います。
オイリュトミーが何か、という事は今までも何度か書いているかと思うんだけど、説明が難しいですね。僕の理解も万全じゃないかも知れないという不安があるしなぁ・・・。
独和の大辞典で調べると、「言語・身体運動の調和を目指す舞踏芸術」とあります。これはまぁ定義としては正しいわけですが、現実にはもうちょっと広い範囲を網羅していると思います。芸術ではあるけれど、スポーツ的でもあるし、幼稚園でも日本で言うところのお遊戯のように、カリキュラムにしっかりと入り込んでいる。
「芸術」という言葉には、良くも悪くもちょっと取っつきにくい感触がありますよね。オイリュトミーというのはそうではなくて、人智学、ヴァルドルフ教育の範囲内ではとても広く取り入れられているものなのです。
さて、話を戻します。
で、このケンペさんは今はベルリンにお住まいなんだけれども、幼稚園との共同作業として週一度ゲラまで来て、幼稚園の関係の人に診療・セラピーをするという企画が立ち上がったのです。で、今日はそのお試し版。無料で30分の面談ができるという事で、僕も嫁さんと予約をしておきました。
実は昨日の夜にすでに、幼稚園の父母会でケンペさんが講義をしており、登紀子はもうケンペさんに会ってます。それと、登紀子が毎週火曜日に通っている、幼稚園のオイリュトミーの先生用クラス(幼稚園の先生がオイリュトミーのレッスンを受ける時間なのだが、父母も参加出来る)にケンペさんも何度か来ていたようで、もう顔見知りではあった。
基本的には健登の成長に関する事を主なテーマとして用意していったんだけど、勿論親の暮らしぶり、生活態度などが大きく影響するわけで、そっちの方に話題が移っていきました。
人智学の関係者・・・人智学徒という言葉があるようですが、ちょっと固いですね・・・に出会うといつも思う事なんですが、深く人智学に入り込んでいる人ほどそうですが、とても確信、自信に満ちているんですね。・・・自信に満ちているというとちょっと感じが違っちゃうな。ぎらぎらした自信とか、自己顕示欲につながるような自信とは違って、緩やかな、穏やかな雰囲気を持っている人が多いんだけど、それでいて揺るぎない何かがある。ケンペさんもそうでした。
話す時もそう。自分のバックグラウンドにあるものに対する絶対の信頼があるという感じで、とてもはっきりとした主張、判断を元にしゃべるんですが、押しつけがましくはない。
ちょっと話がずれますが、人智学徒全体の事について。こういう態度というか雰囲気は逆に危険もあって、僕がもし人智学やヴァルドルフ教育に対してネガティブな意識を持っていると、こういう態度やしゃべり方には好意を持てないんじゃないかという事も思います。僕は人智学に対して絶対の信頼があるから良いんだけどね。
これが、よく言われてもいるようですが、人智学徒の問題というか、人智学徒を毛嫌いする人たちの想いなんだと思います。
納得されていない、あるいはコンセンサスの取れていない事柄をベースにして話を始められると、「ちょっと待ってくれ」という気持ちになりますよね。当然だ。
つまり、シュタイナーの理論や人智学の内容を良く理解していないと頭が「?」になっちゃうわけです。
僕は実はこの辺は大変残念に思っている部分でして、この辺の事について何か自分にできる事はないかなぁと考えているところです。シュタイナーは頻繁に、人智学、神秘学のトレーニング、修行をする際に、実際の日常生活を壊さないようなリズムとすすみ具合で行うように勧めています。でも、まわりを見ていると人智学にであって「これだ!」と思うからか、何もかもなげうって人智学の考え方に一気に切り替えようとする人が少なくないんです。これって、絶対不可能な事なんだけどね。
栄養の事とか、服装の事、子どもの教育や、一日のリズムなど、シュタイナーの主張は多岐に渡っていますからこれを全部一度に始めたら、それまでの生活、仕事のペースなどは守れるはずがないのです。一歩一歩は言っていく事で始めて血となり肉となる事があるのだけど、その辺が意外に見落とされていると感じます。
話をまた戻すと、ケンペさん。ケンペさんの話しぶりは、僕らにはとても心地よく、すっと心の中に入ってくる感じでした。
僕らの事について話を聞いて、特に健登と関わりが深い母親である嫁さんと、治療オイリュトミーを週一度やってみる事はどうか、という事になりました。
オイリュトミーについてはまた時間を取って書きたいんだけど、登紀子がヴァルドルフ教育との出会いの中で、心に響くものを見つけたいくつかのカテゴリーの一つなんですね。この間書いた誕生日の人形劇やあの人形作りなどもそうなんだけど、登紀子自身が声楽家として教育を受けて舞台にも立ったわけだし、音楽との関わりが大きなこのオイリュトミーは、かなり登紀子にとってヒットだったようなのです。
だから毎週火曜日のオイリュトミーのクラスにはピアノ伴奏をするなど積極的に関わっているし、時々ヴァイマールで行われる特別セミナーにも行っています。
そこにきて、このケンペさんの登場は非常にタイムリーで、僕はなんだか嬉しい。天の配剤というと大げさかも知れないけど、ちょうど求めているものが求められているところに来たという感じもするのです。
それも一般的なオイリュトミーという事だけでなく、登紀子、健登、あと僕も関係ある具体的なケースでの治療オイリュトミーですから、これはとても意義深い。これからどうなっていくか楽しみです。
治療オイリュトミーと言う言葉の、「治療」という響きはなんだか病的なものの治療という感じがしますが、そういう事ではありません。
もとのHeilen(ハイレン)と言う言葉は治療という意味もあるけど、病的なものを治すというだけでなく、救うとか癒しに近いニュアンスもあります。救世主イエス・キリストの意味のHeilandも語源はここですね。
よりよい人生の為、人生の質を上げるためのトレーニング、と言うとかなりぴったり来ます。
僕自身はまだオイリュトミーを自分でやった事がなくて、嫁さんにはずいぶん勧められるんだけど、なかなか時間がね・・・。でもやってみたいです、いつか。

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