服部容子さんとのデュオ・リサイタル、無事に終えることが出来ました。来て下さった皆さん、ありがとうございました。ちょっと大きめのホールを借りてしまったので、お客様の入りを心配しつつ企画を進めていたのですが、多くのお客様に来ていただけて感激でした。
もうこのコンサートは、企画というか計画は大変長かったのです。ずっと容子さんと一緒にコンサートやりたかったのですね。一度2002年の年末に実現したんだけど、この時は二人とも忙しすぎて、とことんあわせをすることが出来なかった。もちろんその時演奏した作品の音楽をきちんと作るくらいの時間はあったわけですが、容子さんの音楽的個性と僕の音楽家としての本音の部分をぶつけ合うような時間はなかったわけです。
今回は、はなからそのつもりでいたので、ドイツにいるときにもうあわせの日程をばっちり決めてしまって、バリバリ練習しました。いや、練習というとちょっと違うんだな。お互いの音楽的個性をぶつけ合って、一度壊れて、もう一度再生する、そういうプロセスだったのではないかと思います。壊れたところで本番が来てしまうとどうしようもないので、時間が必要だったわけです。もちろん必要だったのは時間だけでなくて、労力、知力、体力、いろいろですが。
容子さんにとって、僕との戦いがどういう事だったのか、これは僕が書くことではないかと思うので、僕のことをちょっと。
お気づきの方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、僕は今回初めて、ピアノの蓋を全開にして歌ったのです。これは僕にとってはとても勇気のいることだったし、ピアニストに信頼を置けないと出来ることではない。今まではいつも閉めているか、開けても10cmくらい開ける程度でした。
ピアノの蓋を開けるかどうか、これには色々な理由、基準があって、単にピアノの音量と歌手の声量というような単純な問題ではないのですね。
ピアニストにとっては蓋を開けた方が、フルコンのピアノのポテンシャルを最大に引き出せるわけですから、メリットがあります。反面、小さなミスも聞こえてしまうので、危険もあるのですが。容子さんも「蓋を開けることは自分にとってハードルを高くすることだ」というようなことを言っていましたし。
歌手にとっては、ピアニストがどういう音色を作っているのか、よりはっきり聞こえるというメリットがあります。蓋が開いていないと、ピアノの音は歌手の横腹をかすめて客席に飛んでいってしまう感じで、あんまり音像としてははっきりしたものは得られないのです。
でも、当然音は大きくなりますから、歌手の声にかぶってしまう可能性はある。これはデメリット。でもピアニストにしてみると、テクニックさえあれば、蓋を開けた方がより広いダイナミックレンジで音量を制御できるからきちんと音量を抑えることもやりやすいと。
でも、本番の舞台ではもちろん緊張もするし、勢いというのもありますから、ピアニストをメンタリティーも含めて信頼できないと踏み切れない部分もある。
それから、僕自身の歌手としての問題も別にある。
ピアノの音が今までよりも大きく聞こえるわけですから、無意識のうちにいつもより大声で歌っていると言うことがある。これは実際に、以前のコンサートで蓋を開けるのをやめた理由の一つでした。気がついたら必要以上に怒鳴ってしまっている、というとちょっと乱暴な言い方ですが。
それと、ピアノの音を背中全体で受け止める感じになるので、ピアノの音の海の中に漂うような感じになるのですね。これはある意味、気持ちが良いことなんだけど、当然のこと、声の出方にも影響するわけです。
残響の多いホールで歌うと、無意識のうちに体をフルに使って歌うことをやめてしまう、というパターンがあります。よく教会で起こることですが、自分に返ってくる反響、残響が多いので、良く響いているように錯覚して、体がさぼってしまう。でも実際にお客さんに届いている音には、僕らに戻ってくる残響は含まれていなかったりして、お客さんの方からすると「どうしてこの人はこんなにセーブして歌っているんだろう?」みたいな結果になる。
あとね、残響が多いと自然にテンポが落ちます。これも本能的な反応ですね。
これに近いことが、ピアノの音に包まれたとき、そしてあいたピアノの蓋に反響する自分の声もそれに加わったときに起こるわけです。
これまで自分で稽古してきた時の生理とずれてしまってくる。
もちろん稽古の時作ったものそのままを本番で出せるわけではなくて、本番のシチュエーションでしか出せないものもあるから、ある程度はそのシチュエーションに飛び込むことも必要だけど、そういうときにパッとどんなところにでも飛び込めるほど僕は自分の音楽家としての本能に信頼を置いていないので、やはり躊躇します。
まぁこんな訳で、賭だったのですが、容子さんとしても音楽家としての僕にここで一つ働きかけたい部分があったようで・・・実は極めて具体的な理由があったことを後で知ったのですが・・・蓋を開けることを強く提案したので、最後4回くらいのあわせはピアノの蓋を開けてやりました。
僕は自分の喉が、どこかに行ってしまったような、とても不安な状態で、同時に音の海の中に漂うような不思議な幸せな感覚でこの最後4回の練習と本番をすごしたわけです。
うーむ。ディテールだがいいかな?と思いながら書いていたらえらく長くなってしまった。今日はこれから図書館に行ってロシア語の歌詞の発音と意味調べをしないといけない(ロシア語の辞書と文法書はゲラに置いてきてしまった・・・)ので、ここでやめておきます。また続き書きますから!
写真はリハーサルのものです。やっぱり、東京文化会館の小ホールって雰囲気が好きだなぁ。