ベートーヴェン作曲/歌曲集「遙かなる恋人に寄せて」
この曲を歌うことは長い間僕の夢であり憧れでした。というのも大変に難しい曲で、ドイツ人も敬遠しているほどの作品なのです。
7つの曲(詩の構成としては6曲ですが、音楽的な構造からすると7曲といって差し支えないと思います)からなっている歌曲集ですが、その7つの曲が途切れることなく続くという、大変大胆な構成をもっている曲で、15分ほど、長い間奏も挟まずに歌い続けることになるのです。シューベルト以前にこんな作品が存在していたことにまず驚きを禁じ得ません。ワーグナーがずーっと後でオペラにおいて行ったような、曲と曲とが有機的につながり、どんどん展開していきます。
難しさの一つはテキストの多さです。大変な量のドイツ語をさばかなくてはいけません。それから長い間奏で汗を拭くこともつばを飲み込むこともできず、高い集中力を15分に渡って保つというのは大変なことです。
歌曲における15分はオペラにおける15分とは全然質が違うものになります。歌曲演奏においては歌手は指揮者であり演出家であると同時に当然歌い手であり、場合によってはピアノ部分を支える伴奏者にもなります。全ての物語をピアニストと二人で引き受けなくてはいけないわけです。子音のさばきのスピード一つ、フェルマータのためらい具合一つで表現は全く違うものになってしまいます。僕の感覚ではこのベートーヴェンでの15分は、オペラに90分出ずっぱりと同じだけの集中力と体力を要求します。
そんなわけで、一人で練習することはあっても本番にのせることは自分からはしませんでした。勇気が湧かなかったわけです。
ところがピアニストの小倉貴久子さんから、彼女の「ベートーヴェンの不滅の恋人」というテーマのリサイタルでこの曲を歌わないかというお話を頂きました。僕なりに考えた末に引き受けることにしました。
もちろん偶然ですが、この演奏会のあった2001年1月まで、僕は5ヶ月間ドイツで一人暮らしをしていました。東京生まれでずっと東京にいた僕にとっては、なんと初めての一人暮らしだったのです。なぜそんなことになったか。全く私事ですが、2000年の4月に我が家に長男が誕生しました。予定日は5月だったので、それがはっきりした時点で僕ら・・・つまり僕と嫁さん・・・はその前後併せて6ヶ月を日本に滞在することに決めました。予定日の1ヶ月前に東京での仕事がすでに入っており、出産は東京でする事になりますから、それならばたばたしないように、その前後それぞれ3ヶ月は日本にいようと。
でも3ヶ月の赤ん坊を12時間も飛行機に乗せるのはどうもよくないという話になり、知人などに話を聞くとこの月齢で飛んだ赤ちゃんもいるし問題ないかも知れないけどあるかも知れない。医者は勧めない。健登(長男)の事を考えたら、これは無理だ、やめようと決めました。そして僕がまた東京に仕事で戻ってくることが決まっていた2001年の1月までは僕一人がドイツに行き、嫁さんと息子は東京で待つと。
最後の本番を8月6日に終えて嫁さんと息子にしばしの別れ。何もわからずに眠っている息子の顔を見ていたら涙が止まらなくなってしまって、本当にいつまでも泣いていました。
でもこの孤独な5ヶ月については他でも書いていますのでここでは割愛。
そして僕はこの孤独な5ヶ月の間にこの「遙かなる恋人に寄せて」の準備をしなくてはいけなかった。これはマジで辛かったです。とにかく難しい曲だからさらわなくちゃいけないんだけど、最初の2ヶ月くらいはもうちょっと歌い始めるともう涙が出て来ちゃって全然練習になんかならない。本当に困りました。1節目の歌詞は、「僕は丘の上にいて青い霧のたなびいているあたり、遙かな牧場を眺めている、いとしい人よ、君にあったところだね」とある。まだ歌える。でも2節目にもう「君から遠く離れていて、僕らと僕らの安らぎの間を、僕らの幸せと悲しみとの間を、山や谷が隔てているのだ」と来る。もうだめ。
僕は結構、演奏、特に本番の演奏は如何に冷静につとめるかが一つプロとして大事なことだと思ってきました。「感情移入」は危険だと。自己満足の演奏に陥りがちだからです。自分だけ感情を込めたつもりで演奏しても、その込められるべき感情が音にのらなかったら、それは単なる自己満足だし、実際そう言う落とし穴に陥る例を沢山見ているからです。
もちろん演奏というのは命の息吹が込められたものでなくてはいけません。でもそれは「感情移入」という単純なメトードでは、理想的には実現し得ないものだと思うのです。実際、優れた音楽作品には気持ちだけで書かれたものなんかありません。計算ずくで書かれているわけです。計算だけじゃダメだけど。
一人新しい家族が増えたことも関係あるかも知れませんが、そんな僕に一つの大きな変化があったのです。これについては別に書かなくてはいけないのですが、新国立劇場小劇場での「オルフェオとエウリディーチェ」のオルフェオ役を歌ったあと、何かが完全に僕の中で変わってしまったのです。好むと好まざるに関わらず。そして僕は演奏する歌手の体から感情を排除することができなってしまいました。
こういう経緯があってのこの「遙かなる恋人に寄せて」。この曲には愛する人から遠く離れたところにいる主人公が、風や小鳥や小川に自分の思いを託そうとしながら希望を抱いたり絶望したりし、ついに「歌」に自分の気持ちを託すことで、かなわない逢瀬への衝動を昇華させるという素晴らしい愛情が歌われています。疑いなく素晴らしい作品で、この時期にこれを歌うことになると言うことに、何か運命的なものを感じました。
ピアニストの小倉貴久子さんは、ソロピアニストとして、またアンサンブルピアニスト、フォルテピアノ(ピアノの前身にあたる楽器)の奏者として、とても高い評価をもっている方です。エネルギッシュで繊細な演奏をする方です。練習ではかなり試行錯誤や討論を経て、二人が納得する演奏にたどり着けたと思います。最初の練習の時に一度会わせた後にまさに討論になってしまって練習がストップしてしまったこともありました。お互いに本音を隠さずしゃべり、演奏できる仲間というのは得がたい財産です。本番でも満足のいく演奏ができたと思っています。特にこの日は、今の僕が大事にしていきたいと考えている「オペラ歌手のリート」が歌えたと思っています。