今日は久しぶりの「椿姫」本番でした。よく考えてみたら、最近日記にろくに仕事の事書いてないなぁ・・・。
きょうの「椿姫」は、お客さんの入りがすごく良かった。やはりお客さんが多いときの盛り上がりというのはありますね。今、もともとこのプロダクションのプレミエでタイトルロールのヴィオレッタを歌ったゲルリンデ・イリッヒが産休をとっているので、もう一人のシルヴィア・ヴァイスがすべての公演でヴィオレッタを歌っています。僕は元々彼女とは稽古を多くしていなかったので、演出上のずれがけっこうあり、今日は日曜なんだけど本番の前にその辺のコンセンサスをとるための稽古もありました。
ふつう、日曜日というのはよっぽどのことがない限り稽古は入らないんだけど、今日のヴィオレッタのシルヴィアがゲストでいつもはゲラにいない事もあり、例外的に日曜の稽古となりました。平日にやるとシルヴィアがそのためにゲラに早めに来なくちゃいけないですからね。
そう、そういえば、このシルヴィア・ヴァイスというソプラノは僕らの友人の森川栄子さんとも共演したことがあるようですが、どちらかというとコンサート歌手としてのキャリアの方があるようです。この間は再建されたドレスデンのFrauenkirche(聖母教会、でいいのかな)の再建記念コンサートでモーツァルトのレクエムか何かを歌って、テレビで中継されたとか。
そう、この「椿姫」のプロダクションに関しては前にもちょこっと書いたような気がしますが、立ち稽古の真っ最中に僕が東京での東京室内歌劇場公演「インテルメッツォ」の出演のためゲラを離れて、稽古のある時期全く参加していなかったりしました。それで、ジェルモンがいない状態で稽古するのが難しかったらしく、もう一人のバリトン同僚が、本来ジェルモンの声じゃないんだけどダブルキャストされて、ヴィオレッタが二人、ジェルモンが二人と言うことに急になったのでした。で、僕とゲルリンデがプレミエ組だとはっきりしていたこともあり、僕はシルヴィアとはほとんど稽古する機会がなく、シルヴィアはもう一人のジェルモン、ベルンハルト・ヘンシュと主に稽古していたのでした。
今はベルンハルトがやはり声にあわない役なので降りることになり、僕が全部の公演でジェルモンを歌い、ゲルリンデは産休でシルヴィアがすべての公演でヴィオレッタを歌う。でも僕らは一緒に稽古をしていないので、食い違いがいろいろありましてね。実はこの間の公演では、その辺の食い違いが問題になり、僕はシルヴィアと休憩中に大げんかをしてしまったのでした・・・。
僕はブリューアー教授とはつきあいが長いし濃かったから、彼がどういう理由でどういう所作、表情を欲していたかをきわめて厳密に知っていたわけです。で、シルヴィアはわりと感情というかノリで演技するタイプなので、毎回芝居が変わる。だから、僕は毎回それに対応して芝居を換える必要があって、まぁそれはいいんだけど、どうしても大事なアクションてあるでしょ。そういうところだけ「ここはこういう風にしてくれるとありがたいんだけど」と、きわめて丁寧にお願いしたんですが、シルヴィアが「そう、ここはあなたいつもまちがってるわよ」といいだしたので、「ちょっと待った・・・」という感じになってきてね。まぁそれはいいや。
毎回芝居が変わること自体はね、別にいいんです。というか、かえって良いことがある。芝居が生というか、嘘がないというか。毎回同じ段取りをきちんとやるけど、芝居が段取り芝居でおもしろくない、という方が良くないですから。でも自分が毎回芝居を変えるのに、人がそれに対応して違う芝居したのを「あんた、段取りが違うわよ」といいだしたら、こりゃ、話が違うわいね。
で、今日コンセンサスをとるべく、稽古をやったわけです。
この演出では、ジェルモンは全くヴィオレッタのいうことを理解せず、いわば利己的で自分の家族のことしか考えない父親として描かれています。これは僕はかなり同感できるのですが、さらにこの演出ではヴィオレッタの夢、あるいは幻想みたいに描かれているニュアンスも強くて、そうなるとジェルモンが実在の人物として演じられるべきなのかどうか、ちょっと確信が持てなくなってきたりもする。
事実、最後の場面では、ジェルモン、アルフレード、グランヴィル、アンニーナは、道のショーウィンドウの中にいる人形のような扱いになり、ショーウィンドウから出ないのです。道の上にいるのはヴィオレッタだけ。
舞台装置が金属的な色合いな事もあって、悲劇が更に救いようのないどん底の悲劇になるような印象を持つ人が多いようですが、ヴィオレッタの孤独感は確かに強調されていますね。