ゲラのシュタイナー小学校の3・4年生担任で、このシュタイナー小学校設立運動をずっと一緒にやってきたガブリエレ・ポルシュさんが亡くなりました。あまりにも急な事で、僕らも含めてみんな愕然としています。彼女は僕らより3歳年上なだけで、まだ44歳でした。学校での関わりだけでなく、僕にとってとても大切な友人であり、仲間、なによりあの大変な設立運動を闘ってきた仲間でした。
こんなに悲しい時も、日常というのは流れていきます。むしろ日常をこんな中でもしっかり重ねる事が大事だと思うし、彼女のためにも結局はなると思うので、それは努めてしなくてはいけないと思う。こうして日記に書いているのもそういう意味もあります。シュタイナー小学校の子供たち、特に彼女が担任をしていた3・4年生クラスの子供たちのためにも大人がしっかりしなくちゃいけない。
ワルキューレの後の日記に、東京オペラプロデュースの松尾さんが亡くなった事を書き、その時に死について深く考えたと書きましたが、またもそういう事になりました。ガブリエレの場合は、ここのところは学校が春休みであった事、彼女が入院していた事もあって最後の方は会えていなかったけど、それまでは本当に日常を共にしていた人なので、衝撃が大きかった。いや、何より彼女が素晴らしい人間で、僕が彼女を大好きだったという事です。彼女はみんなに愛されていたと思う。今日、健登の担任のシュミットさんも言っていたようだけど、オープンでエネルギッシュで、ゲラのシュタイナー小学校のエンジンみたいな感じだった。もともと音楽の先生で、僕がヴォータンを歌う事を言ったら、ちょうど彼女が北欧神話の事をクラスでテーマに取り上げているから、一度クラスに来て歌ってくれないかと頼まれてもちろん快諾したんだけど、実現せずに彼女は逝ってしまった。
僕の舞台やコンサートもいろいろ観てくれた。自分自身が歌を勉強した人だから、いろいろ思う事があるみたいで、マーラーの「さすらう若人の歌」を聞いてくれた時なんかはすごく感じ入ったみたいで、しみじみといろいろな事を言ってくれた。この間トスカを見た時は、どうも僕がああいう極悪人のキャラクターを演じるという事が、たとえ舞台でも今一つ飲み込めないというか驚いたらしく、その後会った時の反応が妙で、おかしかったのを良くおぼえています。
シュタイナー小学校の設立教師としてずっと運動を引っ張ってきたヴェルナー・ハース氏が、まぁ色々あって学校の設立運動から完全に離れる事になった時の事。僕が完全に私見を述べるならばあれはヴェルナーに対する嫉妬や経営陣との摩擦からの陰謀だった。僕はそれを食い止めようとして設立運動の外からの協力者ではなくて運動の中心に飛び込んで懸命の努力をしたけれど食い止める事が出来なかった。ヴェルナーが我慢できずに退席してしまった最後の会議の席で僕は声を上げて大泣きしてしまった(今考えても恥ずかしい。大のおとながね・・・)んだけど、その後ガブリエレは僕に電話してきたんだった。この時の彼女の声の調子から、ヴェルナーを引き止める事は出来なかったけど、あなたの努力や気持ちは無駄にしないで頑張るから、というメッセージがはっきり聞き取れたのを良くおぼえている。明日のお葬式にはヴェルナーも来るはず。
二十歳過ぎの娘さんが二人いる他、年が離れた息子が二人いて、お兄ちゃんの方のヨハン・ヤコプは2年生、弟のカール・クリスティアンは1年生で健登のクラスメイト。あの二人の事を考えると、それだけで涙が出てくる。意外に今は冷静に受け止めているみたいだけど、これから母の不在を受け止めて消化しなくてはいけないのでしょう。
でも、ガブリエレはこの二人の事をともするとないがしろにしてしまうほどじゃないか、と思うほど自分のクラスの子供たちに入れ込んでいた。彼らはこのシュタイナー小学校の最高学年で、誤解を恐れずに言うならばあちこちのゲラの小学校からはみ出してしまった問題児のクラスみたいなところがある。全員じゃないけどね。キリスト者共同体の活動にも良く参加しているヨハンナなんかは親も熱心でどうしてもヴァルドルフ教育!という感じだけど、他のほとんどは問題を抱えてこの学校に来たんじゃないかと思う。でも、ガブリエレはその子供たちを本当にガッチリと受け止めてつき合ってきたと思う。あの子達はこれからどうしたら良いんだ、と思うと僕らは本当に頭を抱えてしまうけれど、この彼女の死を受け止める事から始めてこれからの事を出来るだけスムーズにやっていかなくちゃいけない。とりあえずは2年生の担任のビージンガーさんがHauptunterricht(主科目)はやるようだけど、暫定処置でしかないから、早急に新しい先生を探さなくちゃいけない。
一昨日、僕の誕生日だったんだけどその日の夜に、ガブリエレが白血病だという知らせを受けました。入院して検査を受けている事は知っていたんだけど、まさかそんな事だとは思っておらず、これで僕らは結構愕然としてしまって、その日は何だかぼう然と過ごしてしまった。この3月30日という日はシュタイナーの命日でもあるのです。
それでも、その時は「これから大変な闘病生活が始まるんだな。でも治る人もいるし、程度もそんなに悪いとは限らないし」と思っていたのですが、その翌日である昨日、早朝に亡くなったそうです。事故でもないのに、長く病気を患っていたわけでもなく、あまりにも突然にいなくなってしまった。
昨日の夜にお別れをしに行きました。キリスト者共同体に安置されている棺の中の彼女を見て、やっぱり本当なんだと思ったり、やっぱりこれは嘘じゃないかと思ったり。この復活祭の時期だったので、前日にキリスト者共同体の神父のヴェーバー氏が、「Christ ist erstanden !(キリストは復活した!)」と語りかけると、ガブリエレはもうかなり衰弱してはいたけれど「Ja, er ist wahrhaftig auferstanden !(そう、彼は本当に復活した!)」と答えたそうです。これは典型的な復活祭の挨拶で、そんな時にもイースターの雰囲気を彼女が感じ取っていた事には、ほんの少しではあるけれど慰められた。僕はうたをひとつ、彼女に捧げてきました。
明日は昼が彼女のお葬式で、夜が劇場オーケストラの定期演奏会の本番。僕が歌うのはプッチーニのミサです。プッチーニが若い頃の作品で、1952年に見つかるまでは埋もれていた作品だとか。作品の核をなす長大なグローリアのために、本来の作品名ではないのに「Messa di Gloria」と呼ばれるようになっているそうです。僕が歌うのはBenedictusのソロとAgnus Deiのテノールとの二重唱の他、本来合唱のバスパートのソロであるCrucifixus etiam pro nobisの三箇所。心を込めて歌おうと思います。
なんと言ってよいか言葉に詰まります。
自分の心血を注ぎ込んで仕事をしていたのですね。血液の病気ってそういうことでしょうから。
ゲラを支えるのに肉体が邪魔になってしまったのだと思います。
精神界からもっと大きなサポートをしてくれるつまりなのでしょう。
彼女の思いをしっかり受け取ってみなでゲラをいい物にしていってくださいね。
きっと、大きな衝撃が関係者の皆さんにあると思うのでくれぐれも無理をせず、ゆっくりと日常を紡がれますよう。
>あややさん
コメントをありがとうございました。お久しぶりです。
そうですね。血というのは自己ですものね、本当におっしゃる通りで、彼女は心血を注ぎ込んでいたと思います。
肉体を介す形でなく、これからもゲラの学校を見守ってくれるのだと思います。ただ僕は距離が近くて感情をやはり排除しにくいし、彼女自身の自我があきらめて死を選んだとは思えないので、彼女の無念さを考えると本当に胸がしめつけられます。あの子供たちにこれもあれもやってあげたいと具体的に思っていたはずですから。
そこをやっぱり僕らは感情に溺れずに冷静な目でこの出来事をみつめて、でもおっしゃる通り無理をせずにこつこつとやっていくべきなのだと思います。
頑張ります。