日本リヒャルトシュトラウス協会のご厚意により、今年の年誌に寄稿したエッセイをホームページに掲載させていただける事になりました。
ドイツの春は五月にやってくると言いますが、日本と季節感が違うなぁと思うのは、そのあとすぐに夏になってしまうことです。もちろん年によってこの流れは違ってくるのですが、良くあるパターンの一つとしては、長かった冬が終わったあとに、ものすごい勢いで春が景色を変えてしまい、そのあとに間髪入れずに夏がやってくるのです。この「夏」は、日本人の季節感での夏とはかなり違って、強い日差しはあっても蒸し暑さは全くなく、大変過ごしやすいものです。・・・とはいってもドイツ人たちにとっては既に「暑すぎる」事もあるようですが。
この春の勢いは本当にすごくて例えば「うららかな」という表現は全くそぐいません。生命力のすごさを感じる瞬間です。散歩などをしていると毎日景色がどんどん変わっていきます。
ここゲラでの8回目の春を迎えて、こんなに長くこの地にいる事になるとはなぁと、思ったりもしていますが、ドイツでのオペラ歌手は仕事をする場所を自分ではなかなか選べないことも多いんじゃないかとも思います。特に劇場の閉鎖や合併が続く現状では、仕事があるところならどこでも行く、というのが正直なところでしょうし・・・仕事を選べるスター歌手は事情も違うでしょうが・・・僕のように、一つの劇場である意味で大切にされて恵まれた仕事環境があれば、来てみるまで存在を全く知らない中都市でありましたが、そこにとどまって仕事をし続けられている今の状況は恵まれていると思います。
ここ数年はありがたいことにドイツの他の都市や、ヨーロッパの音楽祭などへの客演も増えてきて・・・ザルツブルク音楽祭への出演などと言う大イベントもありました・・・ドイツでの仕事のペースも若干変わりつつあります。ゲラの劇場もインテンダント(総裁)が替わって2シーズン目が終わろうとしていて、新しいサイクル、モードでの劇場生活がだんだん地に足がついたものになってきました。
そして、日本でも充実した仕事をさせていただけて、特に今年はワーグナーの大作「ニーベルングの指輪」第一夜「ワルキューレ」のヴォータンを歌えたことはこのシーズンのハイライトだったかと思います。このヴォータンという役は学生の頃からずっと夢見ていた役と言えます。ただ、僕の声のウェイトから言っても、最初はこの役を舞台で歌う日が来るという具体的なイメージを抱くことは出来ずにいました。師の一人でもあるハンス・ホッター氏のヴォータンを始め、世界のヴォータン歌手の仕事ぶりを見て、その神々しいまでの舞台姿に触れて、自分とそれを重ねるのが非常に難しくなっていたと言うこともあるかと思います。
そして、今シーズンはワーグナーの大役がもう一つありました。ヴォータンのあとは「ローエングリン」のテルラムントです。この役はバリトンで良くある、いわゆる「悪役」ですが、音域的には僕にとってとても歌いやすい役です。アグレッシヴなパッセージが多いテルラムントとはいえ、非人間的と言っても良いほどの声楽的ポテンシャルを要求されるヴォータンに比べれば、歌うのはずっと気が楽でした。
しかしながら、声楽的要素以外のところで、このプロダクションは大変な思いをすることになりました。一つは演出のこと、もう一つはプレミエの直前に指揮者とタイトルロールが降板するという異常事態から来る混乱でした。今回は主に、前者の演出のことに関して考えてみたいと思います。
3年前の年誌に、オペラの演出について書かせていただきました。自分でもこの時の原稿を読み直してみたのですが、自分の身体表現者としての基本姿勢が全くと言っていいほど変わっていない事、そして逆に自分の音楽や舞台との関わり方が微妙に変化していることに気がつきました。
3年というのは長いようで短く、短いようで長いです。この間に僕は40代になり・・・今は厄年のまっただ中ですが・・・劇場や同僚の中での立場も微妙に変化しています。
ワルキューレは、本当に恵まれた環境でした。飯守先生の、ワーグナー音楽への愛に満ちたアプローチの中、演出のジョエル・ローウェルス氏も初めてのワーグナー演出にもかかわらず、大胆な彼のセンスを存分に働かせた舞台を作ってくれたと思います。
批評や知人の感想などによれば、演出は賛否両論だったようです。一人一人のお客様がその演出の中に何を見出すかというのは、結局はとっても個人的なことで、一人一人の人生経験や世界への関わり方との関係から生じてくるものがありますから、演出の中の何処にスポットを当てるか、何処に美点を見出すかと言うことについて教条的な態度で接するのはナンセンスなことだし、するべきではないと思います。それを前提にした上で敢えて書いて見ると、今回のジョエル・ローウェルス演出については、彼の魅力的なアプローチが不当な評価をされている部分がなきにしもあらず、と感じるときがあります。
・・・もっとも自分の意見を非常に簡単に世に出せるようになっている今日この頃(ブログというツールの功罪もあるかと思いますが)は、一個人の感想と言うレベルを超えた、あまり吟味されていない見解が世の中に氾濫していて、時々気が重くなります・・・。
ジョエルは実は僕と同い年で、稽古場でもすっかり意気投合し、それもあって僕は稽古が楽しくてたまりませんでした。初めてワーグナーを、しかもこの大作を演出するというのに、稽古場での彼は全くリラックスしていて、僕はとても自由に、表現に集中することが出来ました。彼はかなり緻密な演出プランを持っていましたが、それでいて歌手の方からの演技に対する提案にはとてもオープンで、しかも稽古が進む中での、即興的な思いつきから演技プランの変更にも柔軟に対応してくれました。
作品がワルキューレという、長大な音楽劇4つから成る連作の中の一つで、これだけとってもかなり大規模のものですから、大河に飲み込まれたようにあっぷあっぷしてしまうこともあり得ます。でもその大河の流れに立ち向かわずに、それを受け入れてその中で流れにある程度身を任せながら、その中で流れを利用しつつ泳ぎ切る・・・たゆたうというような感覚で・・・つもりで臨めば、おぼれないで済みます。楽譜を見て分析したりイメージしたりしても、実際に流れにどっぷりとつかって身を任せてみないとわからないことがあったように思います。音楽と共に大きな流れに乗ることで、その中に音楽と演技という肉体性においてワーグナーとかかわることで、初めて見えてくるものが多いのです。ですから、演技途中でのひらめきというのはすごく大事で、ご存じのように複雑に絡み合うワーグナーの示導動機のその場面のその瞬間での意味というのが、一人称的な肉体性を持ってかかわっているときに初めて、まるでパズルが解けていくように見えてくることがあるのです。だからジョエルの柔軟な姿勢は僕にとってはとてもありがたかった。彼の話だと、多分彼もそう言う形で稽古の中で作品をどんどん再発見、追創造していった部分があるようです。
決して稽古の回数が十分あったとは言えないのですが、その中でうまく稽古を配分して本番まで持って行った彼の緻密な稽古オーガナイズの功績は、プロダクション内部の人間にさえもあまり認知されていないように思います。
そういう部分は、演出家の芸術的功績として聴衆から評価されるべきとは思いませんが、彼のこの緻密な準備と計画によって、歌手一人一人が自分の役を身に付けるという作業を、本番に向かってスムーズに行う事が出来たと僕は思っています。難しい場面はやはり繰り返し稽古したいものだし、演出上重要でも歌手としては一度うまくいってしまえばあとは本番まであまり触れずに置きたい場面というのもあります。また場合によってはオペラそのものを稽古するばかりでなくて、芝居のエチュードなどに少し時間を割くことで、芝居上の難所がかえって簡単に片づく事もあります。彼はそういう、歌手の生理、肉体性の面からも稽古の進行を考えていたように思います。
僕はジョエルと気が合った事もあり、時間が許す限り色々な話をしました。彼がこの楽劇の他の場面、他のキャラクターに対してどういうイメージを持っているのかを知ることもヴォータンの役作りの上で役にたつと思いましたから、そういう事も積極的に尋ねて見ました。そういう会話の中で垣間見える彼の人間的な大きさは僕を強く魅了しました。
彼は今回、本来はその場面にいない登場人物を頻繁に舞台に出すと言う手法をとりました。第2幕が始まる前から僕も登場しましたし、フリッカもずいぶん色々なところに出て来て、フンディングの息の根を止めさえもしました。ジョエルは最初の稽古で「僕は、お客さんが君達を『良く知っている』と思えるようにしたいんだ」とまず言いました。各シーンで、話の中に出てくる登場人物のキャラクター性を強めると言う事でした。
これが「説明的に過ぎる」と言う批判を受けたりしたわけですが、そういう意見も僕には良く理解できます。ジョエルは「我々の視覚的ライト・モティーフ」と呼んでいましたが、そういう意味合いで、この複雑な物語の一つ一つの意図を解きほぐす手伝いをしてくれたと言う点では、ぼくはやはり非常にうまく行ったと思っています。
僕らにも、この点でこの演出は高いハードルを突きつける事になります。本来出ないところで出るわけですから、その時に舞台にでていく意味をしっかりと示さないと僕らが舞台に現れる意味がない、意味が見えない。しかも本来の出番でないと言う事は歌わない出番となり、歌手でありながら身体表現に歌以外の方法でしかあたれないという厳しい状況であったわけです。
歌無しの出番の中で僕にとって一番印象深かったのは、2幕の半ばで眠っているジークリンデを殺しに来るところです。神通力(?)でジークムントをフリーズさせてからヴォータンが現れ、このあとブリュンヒルデによる死を迎えるであろうジークムントに別れを告げたあと、ジークリンデを槍で突こうとし、そこで初めてジークリンデがジークムントの子を身ごもっている事を知るのですね。ここで使われている示導動機は、運命の動機と死の嘆きの動機です。この二つの動機と呼吸を合わせた芝居にする事で、音楽と僕が舞台にわざわざ出てくる意味を跡付ける事が出来るのだと、ずいぶん動きと動機のタイミングについては考えて工夫を重ねました。最終的に僕がジークフリートの存在に気づくタイミングで響いているのは死の嘆きのモチーフと言うタイミングにしましたが、ジークムントの死の嘆きが、つまりはジークフリートの誕生へつながり、ジークムントの意思を継いでノートゥングも継ぐジークフリートの使命をここで定義づけた、という解釈と言えなくもないわけです。あまり具体的に定義したくはないですが。
結局は身体表現は一致していなければその意味を持たない。その時鳴っている音楽と僕らの身体表現が内容的に一致する必要があるのです。その意味でこういった僕らの細かな努力はやはり大事だし、実はその積み重ねが意外に効を奏したのではないかと僕は思っているのです。
僕自身はワルキューレを客の立場で何度もみていますが、「感動的な作品」と思ってはいても、実際に上演に際して涙を流した事はありませんでした。でも、今回のワルキューレをみて泣いて下さったお客様が本当に多かったのです。これは神々の物語であるワルキューレ・・・登場人物の中で純粋な人間はフンディングだけ・・・を、追体験できる様に細かな配慮をしたジョエル・ローウェルス演出の成功を意味しているのではないかと思うのです。
上記の場面の印象が残すものが、知識としての「ああ、あそこでヴォータンが出て来たのはジークフリートの存在を知るためだったのだな」という情報か、「ああ、あそこでジークフリートの存在を知ったヴォータンはあんなにも嬉しかったのだな」と言う感情として追感出来るものを残したのか。この二つの間には大きな隔たりがあり、僕らはもちろん後者をめざして頑張ったわけです。活き活きとした感情を持って表現が響いていくかどうか。これは劇場の「癒し」の機能が果たされるためにはとても大事なポイントだと思います。
さて、今度はゲラでのローエングリンです。東京二期会の「ワルキューレ」公演を終えてドイツに戻ると、すぐにローエングリンの立ち稽古が始まりました。ぎりぎりのタイミングだったのですが、これがうまく間に合ったので「ワルキューレ」のための客演休暇の許可が下りたのでした。
さて、このプロダクション、ゲラのハウスとしてはかなり大掛かりなものです。ローエングリンといえば同じワーグナーの作品ではあってもワルキューレとは違って合唱がとても重要になってきます。特に男声合唱が大規模なのですが、今回の我々のプロダクションではスロヴァキアの首都ブラティスラヴァのブラティスラヴァ交響楽団合唱団の皆さんに客演してもらう事になりました。彼らが第一合唱を担当し、我々のハウスのオペラ合唱団は第二合唱を担当しました。
ゲラが前にこのオペラを上演したのはかなり前の事で、久しぶりにこのワーグナーの大作が聴けるという事で、ゲラの劇場ファンの皆さんの間では期待が大きく膨らんでいました。僕の知人達にもこのシーズンの演目が発表になった後に「来シーズンはローエングリンがあるんだって?楽しみにしてるよ!」と言ってくれる人もいました。
しかし、結果から先に言ってしまいますと、この期待はある意味で大きく裏切られる事になります。
私見ですが、音楽的、声楽的には一定のレベルをクリアしていたと思います。6人の主要ソリストの中で、ローエングリンとオルトルートがゲストで、後はハウスの専属歌手です。ゲラのクラスの歌劇場でエルザやテルラムント、国王ハインリッヒなどを専属歌手のアンサンブルでカバーできるという事はあまりないのではないかと思います。エルザは弱冠28歳のフランツィスカ・ラウホ。彼女にとってエルザはもちろんはじめてのワーグナーだし、挑戦だったと思いますが、見事に歌ってくれました。彼女はバイロイトの常連だったシェリル・スチューダーにも師事しており、そういう意味では師匠の流れを汲んだ声のカテゴリー選びになってきているように思います。彼女は声も素晴らしいですが、演技がとても良いです。どちらかというと理性的に役を処理するというよりは、役の方に飛び込んでいくタイプで、その割に自分の方に役を引き寄せないタイプでとても順応力がある人です。
タンホイザーを歌う予定だったペア・リンツコーク、ベルリンやハンブルクなど、大きな劇場でセンセーショナルな成功を収めているテノールで、彼も声だけでなくて存在感やユーモアのある演技がとても魅力的でした。しかし体調を崩して結局プレミエの1週間前に降板する事になりました。奇しくも同じスウェーデン人である我らがハウスのGMD(総音楽監督)のエリック・ソレーン氏も同じ日に降板し、プレミエ1週間前に残された僕らは精神的にはかなり追いつめられた状態になりました。
しかし急遽タンホイザー役としてマンハイムからやってきたテノールのジョン・マレイは大変プロフェッショナルな歌手で、数回のリハーサルで演出コンセプトと段取りを全部憶えて見事にプレミエを救ってくれました。ピンチ・ヒッターに慣れているのだと思いますが、こういう仕事ぶりを見ていると、ヨーロッパにおけるオペラ産業というものがきっちり定着している事をやはり痛感しますね。ペアがキャンセルしたその日の夕方にはもうジョンはゲラに向かっていて、エージェントのその辺の対応の速さにも感心させられます。ジョンはローエングリンと言う役を既に4度も歌っているそうで、完全に役が身体に入っているという事もあったでしょうが、その手際は見事なものでした。そうでなければ、このアブノーマルな演出を少ない稽古でしっかり身に付けて舞台に立つという事は不可能だったでしょう。
どうアブノーマルだったかというと、まず一つは時代が現代に置き換えられていた事です。我々が生活する現代のドイツ、そして場所も我々の住むゲラに置き換えられていました。この置き換え、読み替えの技術的なところから行くと、これはかなり巧妙に、そして念入りに行われていました。その点では非常に高いレベルの仕事が為されていたといえると思います。
ゲラでは2007年の4月から10月までBundes Gartenschau ?BUGA(連邦庭園博覧会)が開催されていたのですが、これまで演出のコンセプトに組み込まれており、ある意味で唸らされるようなところはありました。
ドイツ統合から18年、旧体制の崩壊してしばらくした東ドイツの町と言う事で、ブラバントはその街にある企業。オルトルートは旧体制の後継者となるべきポジションで、統合によってそれを阻まれた形。そのオルトルートと手を組んで、ジャパンマネーでその企業を買い取ろうとしているのが僕の演じるテルラムントです。僕が日本人である事もコンセプトの一部になっているわけです。伝令は企業ブラバントの再建計画を招致した、ここゲラの市長で、国王ハインリッヒはそこを訪れた首相ゲルハルト・シュレーダーという設定です。
エルザは、ブラバント社の前社長の娘で、弟殺しでテルラムントに糾弾され、ゲラの民衆はテルラムントに対して懐疑的ではありながらも町の繁栄、生活を救ってくれそうなテルラムントに同調せざるを得ないという状況。そこにローエングリンが現れます。彼は芸術家で、経済的な繁栄でこの町を建て直そうとするテルラムントとは違って、アーティストとしてこの町を救おうとします。アミューズメントパークを建設するという提案をするわけですが、これによってBUGAが開催される、と言う流れになっています。
良くここまで、こんなに複雑なパズルを組み立てあげたものだと、正直感心せざるを得ませんでした。また、演出家フローリアン・ルッツの稽古場での稽古をする手腕というのはかなりなもので、27歳という年齢からはちょっと考えられないくらいのスキルがありました。でも、結局この演出コンセプトには「意味」がなかった。ワーグナー作品ではこの「読み替え」が頻繁に行われ、日本リヒャルト・シュトラウス協会の名誉総裁でもあるヴォルフガング・サヴァリッシュさんも半生記の中でワーグナーの「指輪」ではこれが許される、と言うような事を書いています。でもそれも読みを深める為の手段としては意味がありますが、その行為自体には意味がない。それをやってそのパズル自体の組み立て作業の楽しみみたいなものは芸術とはいえないのです。サヴァリッシュ氏は、例えばラインの黄金の始めでヴォータンが単に眠っていてそれをフリッカが起こそうとしたなどという即物的な事を祖父が書こうとしていたとは思えない、というヴィーラント・ヴァーグナー氏の言葉をあげて、作品を掘り下げる努力の必要性を示唆しています。残念ながら今回のゲラでのローエングリンでは、読み替えが掘り下げに貢献するのではなく、作品を材料にしたパズルの組み立て作業の楽しみで終わってしまったように僕には思えます。演出家は歌手一人一人に会う時間を前もってとり、立ち稽古が始まった時点ではソリストにこのコンセプトが浸透しているように準備しました。これは大変賢明だったと思います。その説明の時に彼が僕に何度も言っていたのは、如何にこのコンセプトが作品にpassenするか。つまり、つじつまが合うか、でした。でも、そんなつじつまを無理に合わせ、こんなコンセプトを編み出すために頭をひねる必要はどこにも、誰にもないのです。「つじつまが合う」ことがゴールになってしまっていたわけです。これは芸術ではありません。
プレミエの聴衆の反応は真っ二つに割れました。ブラボーとブーイングのせめぎ合いでしたが、ゲラの音楽愛好家は怒っていました。旧東ドイツのこの町に長く住む人の中には、旧東ドイツを知らない若者(演出家は旧西ドイツ出身)がゲラという町を笑いものにしていると憤慨している人も少なからずいました。何しろ「騎士」を見たくて劇場に足を運んだ人たちは皆裏切られたました。劇場に非日常を求めて、騎士が正義を行う物語と期待してきたのに、舞台にでてきたのは自分たちが知っているゲラの状況がパロディー化され、ワーグナーの美しくも崇高な音楽がそのパロディーの道具に成り下がっている姿でした。
しかし僕が予想した通り、プレスの受けは大変良く「保守的な町ゲラにもこんな刺激的な舞台が上演されるとは素晴らしい」というような論調が多かったです。これによってゲラの劇場はドイツ全土にまたがる注目を再び勝ち得る事になり、劇場の経営側からすれば大変ありがたい演出だったでしょう。ゲラで久しぶりにローエングリンが上演されるというので外から訪れた、あるいはこの演出の評判を聞いてやってきた劇場ファンは喝采をし、ゲラの聴衆は怒る。そういう図式でした。
もう一つ、不幸な状況としては、ピンチヒッターとしてプロフェッショナルな仕事をしたローエングリン役のジョンが、カーテンコールで大ブーイングを浴びてしまった事です。彼は全く予想していなかったようで激しく気分を害して、一度は舞台から去ってしまおうとしましたが、引き止められました。ブーイングを受けて客席に対して攻撃的な態度を示した彼を厳しく批判する新聞記事もありましたが、あの演出を短期間でものにしてプレミエを救った彼をそういう風に評するのはフェアではないと僕には思えました。練習とマンハイムとの往復で疲れたのか、プレミエの声楽的な出来栄えが練習に比べて決して良くなかったのは事実ですが。演出の中でシンパシーを抱きにくくえがかれているローエングリンのキャラクターもこのブーイングには関係していると思います。
クラシックなレパートリーとしてドイツの劇場に定着している演目が、こういう手法で演出される事は、ドイツではもはや目新しい事ではありません。読み替え自体が面白い試みとして注目される時期はすぎていると思います。それにも関わらず、こういった事が繰り返される事にはどんな意味があるんでしょうか。ある批評の中に「劇場は刺激的でなければならない。この演出はそういう劇場の使命を果たしている」という記述がありました。そうなんでしょうか?数年前にカフカ原作の「流刑地にて」による新作オペラ「第六の時」をゲラで演出したヨハネス・クレズニックは「劇場は政治的でなくてはならない」と言っていました。そうなんでしょうか?
僕にはそうは思えません。芸術作品はもちろんそれ自体に価値があるわけですが、その作品鑑賞が鑑賞者にとって「窓」の役割を果たす時、その本来の輝きを持つのだと僕は考えています。メッセージや道具として使われる事は芸術作品の本来のあり方ではあり得ません。
そのためには作品を追創造する再現創造者がその窓の向こうを見ていなければならない。作品を見つめる事は大切ですが、その作品の向こうに何があるのかを見つめる事はその次の段階として非常に重要です。作者が何を見てこの作品を作ったのか。何から霊感を得てこの作品を作ったのか。そこに興味を持たない追創造行為は、場合によっては単なる知的遊戯、思考遊技となってしまうのです。
今のオペラ界ではそういう現象が多く起こっていると思います。僕は真剣にこのオペラ界の状況を憂えていますが、この状況が根本的に打開されるためにはまだなんらかのプロセスが生じる必要があるのでしょう。機が熟していない気がします。
思考遊技の中での情報が伝わるだけでなく、舞台での身体表現による活き活きとした感情が聴衆の共感を呼び、劇場全体が一つの感情の渦を作って、舞台を作る人間と聴衆とが共に作品の向こう側をみられるような、そういう舞台を作りたいです。劇場がある意味での「神殿」となり、劇場の神様がおりてくる瞬間です。本当にすごい演奏、舞台は「神がかった」力を持つものだし、そういう体験をお持ちの方は多いと思います。
劇場がこの現代で、なければならないものとして存在し続ける事、劇場が日常で疲れた人々の心を豊かにし、慰め、また日常に戻っていくための勇気と活力を与える存在であるためには、こうした問題が克服されて行かねばなりません。そのためには、劇場を担う人間が劇場を壊そうとする動きが場合によっては奨励されている現状を、なんとしても打開せねばなりません。そのためには具体的に何が今必要なのか、考え続けていこうと思います。