新年明けましておめでとうございます

皆さん、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
久しぶりの投稿、久しぶりのエッセイです。ホームページをやっている以上はある程度の頻度で記事を書くのが務めと思いつつも、かなり久しぶりになってしまいました。以前の更新頻度がかなり密なものだったので、落差もかなりある様にお感じになっている方が多いかも知れません。


2008年という年は、何度か日記の中でも書いたかも知れませんが、僕にとっては厄年、しかも本厄の年でした。40代に入って、明らかに体調にも変化が見られましたし、僕としては実はかなり身構えていました。その厄年を終えて無事に2009年を迎えられたと言うことは、実は僕はとってもとっても嬉しいのです。大げさに響くかも知れませんが「生き延びることが出来た」という気持ちがあります。
2009年、最初のステージは、NHKのニューイヤー・オペラコンサートです。僕は初出演となります。以前に誘っていただいた時は年末のドイツでのベートーベン第九交響曲の演奏会がネックとなって実現しなかったのですが、今回は総音楽監督のソレーン氏に理解してもらえ、客演休暇の許可が下りました。
僕が歌う曲は、今年の干支の歌です。わかるかな?有名な曲ですよ。
 
僕は学生の頃からこの番組は、強い憧れを持って見ていましたから、今回歌わせていただけるのは本当に嬉しいです。当時「これが日本のオペラ界のトップ歌手達なんだな。ふむふむ」と思っていたので、今回そう思われても恥ずかしくない演奏をしなければ、と思うと肩にずっしりを重みを感じます・・・。何しろテレビと言う媒体が、当たり前の事ですが僕には馴染みがない媒体なので、これに対する緊張はかなりあります。役柄からして、ビビっているようでは話にならない役ですし。でも頑張ります。是非皆さん、ごらんになって下さいね。
 
こう言うと、責任転嫁みたいですが、このニューイヤーオペラコンサートの一つの大きなポイントは、このコンサートにでる事によって親が喜ぶと言う事でしたね。母は自分が趣味で声楽をやっていたので、僕がこの道に進んだ事を喜んでくれているのですが、やはり天下のNHKのお正月恒例番組に息子がでると言う事で大変喜んでくれました。もちろん最終的に判断したのは自分ですから、自分で責任を持たなくてはいけませんが。
このオファーを受けるために、スケジュール的にかなり無理がかかったのですが、考えた揚げ句にこの過密スケジュールに挑む事を決意しました。12月21日に群馬交響楽団との第九交響曲の本番を終えて23日にドイツへ飛び、26日にはヴァーグナーの「ローエングリン」の本番。そしてなんと、26日の深夜まで歌っていたと言うのに27日の早朝には家を出て東京へのフライトです。
それも28日朝に成田に到着し、その日の夕方にあるNHKでのオーケストラ稽古へ参加するためでした。
 
その一番きついところを終えて2008年を終え、さあ2009年です。頑張ります。
 
何人かの先輩方に脅かされました。
僕も尊敬する日本人バスバリトンで大橋国一さんと言う方がいらっしゃいました。素晴らしい歌手で、若杉弘先生指揮でレコーディングされたワーグナー・アリア集のレコードは僕の宝物の一つです。その中では「ワルキューレ」から「ヴォータンの別れ」や「さまよえるオランダ人」からダーランとのアリアなどを歌っておられます。どちらかと言うとバスなので、僕と完全にはレパートリーがダブらないのですが、ドイツのケルン州立歌劇場の専属として華々しいキャリアを築かれた大橋国一さんは、僕のアイドルの一人でした。
その大橋さん、僕の今の年で亡くなったのです。日本の音楽界の皆さんやオペラファンのみならず、ケルン市民も、あまりにも早すぎる死を悼みました。そして大橋さんは、今の僕のように、タイトなスケジュールで日本とドイツの間を行き来して舞台を務めておられたそうです。
ちょうど僕はこの冬、日本とドイツの間を11月から2月までに3往復するスケジュールで動いていまして、本番の翌日のフライトや、フライトの翌日に本番だったり、飛んで着いたその日の夜にオーケストラとのリハーサルがあったり、その間も稽古やレッスンでびっちりと詰まっている僕のスケジュールと、僕の年齢とで、大橋さんのことを連想されるようなのです。
歌手としての僕は、ドイツで歌った日本人オペラ歌手の草分けの一人である大橋さんの足下にも及びませんが、同じ年齢で同じ状況に置かれているということで、正直ぎくっとしましたし、自分でもこの冬のスケジュールがいささか常識の範囲を超えていることは承知していましたから、かなり悩んだ上に決断しましたし、決断したからには良い演奏をするべく全力をつくそう、そしてその努力の大部分は、今回は特に体調管理に充てるべきなのだ、と肝に命じました。
 
もともとからだが強い方ではありません。14年前から始めた食餌療法も、これが自分に必要不可欠であることをはっきり認識していますし、ここ数年は、多少の中断をはさみながらも筋力トレーニングなどを習慣として体調維持に特に心を砕いてきました。それでも1月のトスカの公演を喉頭炎によってキャンセルすると言うことが起こり、いよいよこれは相当気をつけないとまずいことになると言う思いを強めました。オペラ公演を病気によってキャンセルしたのは、ゲラの劇場の専属歌手になってからのこの9年間で初めての事だったのです。とても悔しかったし、何とか不調と言うアナウンスをしてもらった上で歌えないか、最後まで迷いましたが、喉頭の腫れがとれず、スカルピアと言う役のドラマティックさも考えると、全体としては僕がキャンセルした方が間違いなく公演の質が高くなるはずだと判断しました。
 
その後は、体調維持をとにかく最優先してきました。最良の形でお客様の前に立てる事を肝に命じて生活してきて、何とかここまで来ました。体調に異変を感じた時には、もちろん休養を取る事が大事なのですが、疲労と不調は違うわけで、僕が自分で変えたのは、不調に対して積極的に関わる事です。
今までは、気持ちも消極的になって、とにかく休む、と言う感じだったのですが、それを敢えて変え、体調不良になった兆候を見たらすぐに、運動する、汗をかく、食事で糖質と炭水化物を絞る、水分を余計にとるなど、かえって体を酷使するようにしました。あとはホメオパシーのレメディーを素早くとる事。
僕にはこれは当たっていたようで、風邪の引きかけだ、とはっきり感じたところでひどくならずに済んだ事が何度かありました。・・・もちろん、こういう事には個人差がありますから、万人に適した方法じゃないかも知れません。今までのケーススタディとか色々から考えてこうしたのですが、幸いこれが当たったようなのです。
元はといえば、高校の時にサッカーをやっている頃は、熱が出たな、と思っても部活にでて熱い風呂に入って寝たら治っちゃった、という事が結構あったんですね。もちろん10代の体と同じ扱いをしたらいけませんが、一つのヒントはここにありました。
 
移動が多い中での体調管理としては、具体的にはフライトが多い中で、まず時差ボケ対策です。主に東向きに飛んだ時に激しい時差ボケになる事が多いのですが、これは同様の事をおっしゃる方が多いので僕だけの事ではないのでしょうね。もっと若い時は、東向きに飛んだ時、つまり日本に着いた日に体のリズムを日本のリズムにしてしまう事が大切だと言うことで、着いた日に稽古をいれたり予定をいれて、寝る暇を与えずに夜まで堪えて、夜になったらがっちり寝る、と言うやり方で対処してきました。
実際これはなかなかうまく機能していたのですが、昼は起き夜は寝ると言うリズムに一応なりながらも慢性的な疲労がつきまとう中で日本滞在の前半を過ごすような事になっていたと、後から振り返って思いました。
言い切ってしまうと、あれだけのスピードで移動をする事自体に無理があると最近は強く感じています。だからといって船で移動するわけにも行かないのですが、時速900kmで10時間以上も地理的に移動している事が生理的に不自然な事で、本来可能なスピードで移動した場合に到着する頃までは、やはりどこか不自然さが残る体調になるのは仕方ないのではあるまいか?と思うようになりました。この現代社会でこんな事を行っていると笑われそうですが。
最近では、夜昼のリズムを作る事だけでなくて疲労度と相談して寝る時間を決めるように変えました。時差ボケになりそうでも疲れがたまっていると思ったら寝るようにしたわけです。若い時にはこれは時差ボケ対策としてはタブーと思っていた事を敢えてやっているわけです。
昨年末は何かと暗い話題が多かったのですが、僕らの仕事は皆さんに夢を見ていただく事です。群馬交響楽団との高崎での第九のレセプションで、高崎の合唱団の団長さんの「辛い時こそ音楽を!」という言葉は、本当に心に響きました。今日からの一年が皆さんにとって、健康で心穏やかな年になりますよう、心から祈っております。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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