劇場便り2010

日本R.シュトラウス協会本年度の年誌に掲載するエッセイです。日本R.シュトラウス協会のご厚意により、転載をお許しいただきました。
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去年も「寒い」という話から始めたように思うのですが、今年の初夏も寒かったです。6月に入ったのにタートルネックを着て「マノン・レスコー」のBühnenorchesterprobe(オーケストラ付き舞台稽古)に出かけた日は、ジェロンテを歌っているバス歌手のオラフ・プラッサが「今日、俺の人生で初めて、6月1日にマフラーを買った」と言っていました。客演でここに来ている彼は、冬物が手元にないわけで、あまりに寒いので街でマフラーを新しく買う羽目になったというわけです。
2009・2010年のシーズンを振り返りますと、多岐に渡ったレパートリーに挑戦出来たシーズンでした。ユダヤ人作曲家のヤロミール・ヴァインベルガーによるオペラ「ヴァレンシュタイン」のタイトル・ロールに始まり、この劇場で初めてのR.シュトラウス作品になる「ナクソス島のアリアドネ」、そしてタンホイザー、最後にマノン・レスコーというプログラムでした。その間に入ってきた再演ものは、ヴォツェクやコジマ、オテロ・・・。ヴェルディありプッチーニあり、ワーグナーとシュトラウスの「二人のリヒャルト」、そして現代物も。なかなかリッチなラインナップです。

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ヴァレンシュタインは、神聖ローマ帝国軍の総司令官を勤めた実在のドイツの武将で、ドイツ人だったら誰もが知っている名です。実在の人物だった上にドイツの文豪フリードリヒ・シラーが歴史小説として書いた「ヴァレンシュタイン」はシラーの代表作でもあり、二重の意味で知られているわけです。そのドイツの歴史上の人物を外国人である僕が演じると言うことで、最初はかなり緊張もしましたが、結局はその「人物像」を演じていくしかないのだ、と割り切るようにしました。
我が劇場では、毎シーズン一つはこういった「Ausgrabung(発掘もの」を上演します。芸術的な観点からは、社会的、政治的事情などで上演の機会を十分に得られず、正当な評価をされていないと思われる作品に光を当てる、と言うことがあります。でも実際的な理由としてはもう一つあって、我々のような中規模の劇場では、こういった意欲的な取り組みをすることによって、地域を越えた全ドイツからの注目を集めることができるので、劇場のプロパガンダにもなりますし、遠方からの集客を狙うことができるわけです。
今までこの意図で上演されてきたものは、本当に珍しくも価値のある作品が多いうえに、ただ上演しただけではなくて演出、音楽のクオリティの高さを持って眠っていた作品の価値を再認識させる事に成功しています。・・・平たく言えば、長い間取り上げられなかったのは、社会的な事情だけでなく、設定が「受けない」とか、実現が難しいキャスト構成など、作品自体にも理由があるケースが殆どな訳ですから、ここを補って公演全体の成功を導くには、高い技術と創造性が必要なわけです。それが長きにわたって成功していることは、我が劇場の仕事のクオリティの高さを示していると言えると思います。
そんなわけでこの「発掘シリーズ」はうちの劇場の名物プログラムというか看板のような位置づけになっており、我が劇場が何度もオペラ評論誌などで表彰されているのは、こういった取り組みが実ってのことです。
今まで取り上げた演目を振り返ってみますと、委嘱初演のものあり、著名作曲家の意外な作品あり、とかなり面白いシリーズになっていることがわかります。
2002年の「死の都市」(コルンゴルト)、2003年の「フィレンツェの悲劇」(ツェムリンスキー)、「第六の時」(ロートマン、世界初演)、2004年「ブロウチェク氏の旅」(ヤナーチェク)、2005年の「モーツァルトとサリエリ」(リムスキー・コルサコフ)、2006年オペレッタ「モスクワ、モスクワ」(ショスタコーヴィッチ)、2007年「コジマ」(ジークフリート・マットゥス、世界初演)、2008年「Scharlatan(偽医者)」(パーヴェル・ハース)、2009年「ヴァレンシュタイン」(ヴァインベルガー、ドイツ初演)と続きます。
ヴァレンシュタインが実在の人物でしたし、大きな戦闘があった場所として有名なリュッツェンは、ここゲラからも車で1時間もかからない場所にあり、絵空事ではない重みを感じました。この戦闘でヴァレンシュタインは敗れたのですが、スウェーデンのグスタフ国王を戦死に追い込みました。当時美食家の多くがそうだった様にヴァレンシュタインも重度の通風におかされており、とても馬に乗って戦える様な健康状態ではなかったそうですが、それでも戦いとなると陣頭指揮を執り、たぐいまれな集中力と判断力で必ず戦果を挙げ、不死身のヴァレンシュタインと言われたのでした。

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僕の演じたオペラでのヴァレンシュタインは、最後の3日間のヴァレンシュタインです。カトリック対プロテスタントという構図の30年戦争で、自身もプロテスタントからカトリックに改宗したヴァレンシュタインはカトリック軍、つまり神聖ローマ皇帝軍の総大将だった訳ですが、皇帝フェルディナンドとの関係が変化する中でプロテスタント側に寝返ろうと画策し、暗殺されます。
普通にヴァレンシュタインというと、前に書いた様な不死身の頑健な戦士と言うイメージが先行する様です。しかしヴァインベルガーによって描かれたヴァレンシュタイン、最後の三日間のヴァレンシュタインはそうでなく、むしろ皇帝フェルディナンドとの人間関係、忠誠心、自分を信頼する部下たちや、家族との信頼関係、それらの狭間で苦しみ悩み抜く、弱さを見せるヴァレンシュタインです。
表現者としての僕にしてみると、この事はむしろありがたい事でした。マッチョなキャラクターを演じる事はもともと向いていませんし、弱さを見せる、悩めるキャラクターを演じる事の方が僕にとってはずっと魅力的です。
こう言った心理の襞を表現するには所作だけでなく、音楽的、声楽的に微妙なニュアンスを施した表現が必要になるのですが、この時代の作品のご多分に漏れずオーケストラの規模が大きく、スコアにピアニッシモと書いてあっても自動的には音は小さくなってくれません。こういう近代、現代ものの演奏経験が豊富な指揮者でないととてもコントロールし切れるものではなく、おまけに初演以来70年以上経ってのドイツ初演ですから、聴いた事も弾いた事もない曲なわけで、さらにハードルが高くなります。今回のプロダクションではカペルマイスターが指揮を担当したのですが、変拍子に振り回されてしまって適切なバランスを作る所までは手が回らず、常に大音響に伴われて歌うと言う感じになってしまいました。都合僕も常に響きの豊かな声で歌わざるを得ず、声のニュアンスを十分演技に生かす事ができなかったのは大変残念でした。
このヴァレンシュタインのプレミエは大成功となり、ドイツだけでなくヨーロッパ全土の100を越すメディアに取り上げられて絶賛されました。ヴァレンシュタインはスキンヘッドだったのですが、スキンヘッドの僕の写真が、フランクフルト・アルゲマイネ紙、オペルン・ヴェルト紙、オペルン・グラスなど有名紙だけでなく、あちこちの地方氏にまで掲載される事になりました。
珍しいものを取り上げる事の役得もあったわけですが、ただ珍しい物をやる、という事だけでなく、その埋もれていた作品を十分に鑑賞に耐えるクオリティーにまで磨き上げて舞台にのせる、という事ができていたからの結果だと思います。苦労は大きな「発掘物」シリーズですが、今後も意欲的に取り組んで行きたいと思います。
さて、最近の我が劇場の方針は、スポンサーであるテューリンゲン州とゲラ市、アルテンブルク市へのアピールの必要性もあり、集客率を重要視しています。一つの演目を続けて上演したほうがコストも、演奏する側の負担も少ないのですが、それではどうしても客の入りが悪くなる。同じ演目を間隔を開けて上演すれば、客入りは良くなりますが、そのたびに稽古が必要になる。でも、その稽古を取る時間、予算がない。なので、それぞれの演奏者の個人的責任によって準備をするという事になります。
これがスタンダードな演目だったらまだしも、ヴォツェクの様な難易度が高い演目でもそれをやろうとするので歌手のほうはたまったものではありません。ヴォツェクのプロダクションについては昨年の年誌でご報告しましたが、このヴォツェク公演が2ヶ月以上のブランクを経て、しかもヴァレンシュタインのプレミエの二日後に予定されていました。しかも、新しい指揮者が振るというのです。その上、その指揮者とオーケストラとの稽古はなし。僕はかなり身構えてこの指揮者に、前もって稽古をしようと働きかけていたのですが、その指揮者というのはヴァレンシュタインを振るカペルマイスターで、とりあえずはヴァレンシュタインのプレミエの方で頭が一杯です。演出助手を捕まえて、ヴァレンシュタインのプレミエの翌日の午前中に立ち稽古の予定は入れてもらいました。(本当だったらずっと稽古が続いて来てのプレミエですから、朝ゆっくり寝たかったんですけど・・・仕方ないですから)
そこへ別の話が舞い込んで来ました。以前にやはり年誌で報告させていただいた新作オペラ「コジマ」がコットブスの州立劇場で上演されているのですが、主役のニーチェの歌手が病気で歌えないというのです。公演はいつか、と聞くと、なんとヴァレンシュタインのプレミエの前日でした・・・。僕が初演で主役ニーチェを歌ったオペラですから愛着もあります。でも、このヴァレンシュタイン、ヴォツェクが続くだけでも大変だというのに、その前に別の現代オペラを歌うなんて、ちょっとどう考えても無理です。普通に考えれば。
でも、普通に考えるわけにいかないのは、僕が断ったら公演が中止になってしまう事です。当然といえば当然で、この地球上で僕以外には2人しかこの役を歌える人がいなくて、そのうちの一人が病気だから僕に聞いて来ているわけです。仕方ないので、引き受けました。
うちの劇場でのインテンダントでヴァレンシュタインの演出家でもあるマティアス・オルダーグは簡単には首を縦に振りませんでしたが、やはり劇場経営をしている側の人間としては、他の劇場が困って公演中止の危機にさらされているのを見捨てるわけにも行きません。しぶしぶ客演休暇の申請書にサインをしました。ヴァレンシュタインのゲネラル・プローべを終えて、本来は長い稽古期間の疲れを癒すための休息日に車を250km走らせてコットブス入りし、合唱団も交えた稽古を重ねてその日の本番をつとめました。
この作品はワーグナーの妻コジマにニーチェが許されない恋愛感情を抱き、その物語をニーチェ自身がオペラにしたというものです。そのスケッチを発見した東ドイツ屈指の作曲家であるジークフリート・マットゥス氏が補完してオペラとして完成させたものです。最後に半裸でニーチェが踊り狂う「ディオニュソスの踊り」がドラマ的にはクライマックスとなっています。この踊りの振り付けを思い出すためにも稽古が必要でした。
稽古の甲斐あって公演は大変うまく行きました。嬉しかったのはコットブスの歌手たちの言葉でした。ゲラで初演された時のプロダクションを演出していたのがコットブス州立劇場のインテンダント、マルティン・シューラーでしたが、彼はプロダクションを自分の劇場に持って帰り、上演しました。でも、演出の生まれた時の過程を知らないコットブスの歌手たちにとっては演出の動線や約束事は覚えられても、どうしてそういう流れになるのか、今ひとつわからないままでステージに立つ事になってしまった様です。その歌手達が終演後に僕の所に集まって来て、僕の歌い演じるのを見てやっとこの作品がどうあるべきか、この演出が演じられるべきかがわかったと言うのです。舞台表現者冥利に尽きる,同僚からの言葉でした。
その日はコットブスに泊まって,翌日にまた車を飛ばしてゲラに戻り、ヴァレンシュタインのプレミエでしたが、作品自体の話題性も手伝って超満員。大成功に終わりました。一日休んで今度はヴォツェク。ヨーロッパを二分した軍隊の総司令官から,その一日で一兵卒に変身です。・・・今気が付いたのですが、この三つの現代オペラはどれも史実を元にしていますね。4日間で3演目の現代オペラ、しかもどれも主役ばかりで一つはプレミエという、普通では出来ない経験をしてしまいました。
さて、年が明けて1月にはR.シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」の新プロダクションがありました。この作品は僕にとって、単にR.シュトラウスの作品だからと言うだけでなく、大変思い出深く、愛着のある作品です。バリトンの役は二つあり、序幕(Vorspiel)にのみ出番のある音楽教師と、序幕とオペラ両方に出演するもののオペラ部分でのみ歌唱があるハルレキンの二役です。僕が出演する「ナクソス島のアリアドネ」のプロダクションはこれで三つ目ですが、どういうわけか僕が歌うのはいつも音楽教師の方で、まだハルレキンの方でのオファーをいただいた事はありません。柄というかキャラクターというか、音楽教師の方が向いているのかも知れませんが、僕としてはいつかハルレキンの方にも是非挑戦したいです。
僕が初めてこのオペラを歌わせていただいたのは、日本R.シュトラウス協会と東京オペラプロデュースによる共同公演で、今は亡き若杉弘先生の指揮の下で初めてオペラのプロダクションを歌わせていただいた、また初めてR.シュトラウスのオペラを舞台で一本歌わせていただいた感動的な体験でした。二度目は2002年12月の新国立劇場と二期会による共催公演、そして今回が三度目のプロダクションです。
日本R.シュトラウス協会と東京オペラプロデュースの共同公演のあと、R.シュトラウス協会の例会でこの公演のキャストがゲストに招かれて公演を振り返る機会がありました。その時にアリアドネを歌われた曽我栄子先生が、日本ではこの「ナクソス島のアリアドネ」は大変まれにしか演奏されないオペラなのに、公演のあとにウィーンを訪れたら、その日にウィーン州立歌劇場で「ナクソス島のアリアドネ」が上演されていた、とお話しになって、会場が沸いたという事がありました。事実、曽我先生も出演された日本語による邦人初演以後、この共同公演まで日本人による演奏はなかったとの事でした。
しかし、その後僕はこのオペラをまた日本で歌わせていただく機会を得ましたし、僕が出演していないプロダクションで2008年の二期会公演(ラルフ・ワイケルト指揮、鵜山仁演出)もありました。これは日本のオペラ界における一つの変化の表れではないだろうかと思いました。東京二期会が、新国立劇場や藤原歌劇団との演目での差別化も目指して意欲的にスタンダードなレパートリーでないものを上演し続けている事も関係あると思いますが、この「ナクソス島のアリアドネ」という作品の面白さ、洒脱さが楽しめる状況に、作る側のレベルももちろんですが受け止める側の聴衆の皆さんの耳、眼も越えてきたという事ではないだろうか、なんて思っています。

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さて、我が劇場での「ナクソス島のアリアドネ」です。
時代はご多分に漏れず現代に移し替えられているのですが、このプロダクションではそれが作品に親近感と切実さを与えたと思います。序幕が展開するのは、なんとこのオペラが上演されているゲラの劇場の中という設定ですが、それが視覚的にすぐに理解できるのは、舞台上にこのゲラの劇場の馬蹄形の客席が舞台装置として現れるからです。
執事長が二度目に登場して、オペラ・セリアである「アリアドネ」とツェルビネッタの一団が演じるオペラ・ブッファを同時に演奏せよ、と命ずるシーンがあります。そのシーンまでは全て幕前で舞台が進行し、この二度目の執事長の登場と共に幕が上がり、このゲラの劇場の客席が姿を現します。しかもその舞台上の客席には壊れた椅子や壁の照明が放置されていて、うち捨てられ寂れた劇場があらわれるので、劇場の予算をどのくらい市が負担するのかの論議が新聞を騒がせている現実ともリンクするのか、毎回公演でこの場面が来ると、客席がどよめいたりささやき声が聞こえたりしていました。

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作曲家は黒の上下にアディダスのスニーカー、僕が演じる音楽教師も黒のタートルネックに黒の別珍のスーツ、舞踏教師は革ジャンにサングラスでヘッドホンでヒップホップでも聞いているのか、ずっと顎を前後に振り振り舞台を闊歩しています。ツェルビネッタの一団はロックバンドで、スカラムーチョはドラムセット、ハルレキンはキーボードとアンプ、トルファルディンはベース、ブリゲラはギターを担いで現れます。

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うまくはまっているのが下僕(Lakai)の扱いでした。ここでは演出助手の設定で、今宵の出し物に責任があるのか、ずっとあちこちをチェックして回っています。彼は音楽が始まる10分ほど前から舞台に何度も現れ、幕がちゃんと掛かっていないと舞台スタッフを呼び出してやり直させたり、幕前に置いてあるアップライトピアノの位置をしょっちゅう直したりしているわけです。その幕のかけ直しをしているところに、旅支度のテノール(バッカス)が客席から現れ、イタリア語で「『ナクソス島のアリアドネ』の稽古が今日あると聞いてるが何時からか?」とその舞台スタッフに尋ねるのですが、イタリア語のわからないゲラの劇場スタッフは無視。仕方なくテノールが「ここはゲラの劇場か?ゲラ?ゲラでしょ?」と聞くと「そう。ゲラ」とだけ答えます。普段、観客の前には出ない舞台スタッフが演出の都合で台詞(「そう。ゲラ」だけですけど)を言う事で、出演手当も出ているのですが、流れで「ゲラだよ、ゲラ」と二度言ったりすると、舞台裏では「今日はあいつ、手当を二回分もらうつもりだな」なんて言われたりもしています。舞台裏もののさらに舞台裏ですね。
音楽教師としては、演出家のマティアス・オルダーグからはずっと「とにかく横柄に。バレンボイムになったつもりで」と言われていました。最初の執事長との対話が、このオペラ全体の流れを作る上で大変重要なわけですが、ここで全く芸術を理解しない市議に事情を説明せざるを得ない劇場総裁の様なもので、相手の理解の低さをバカにしながらも、その相手に芸術には理解と金がいるという事を理解させなければいけないジレンマにさいなまれつつ、しかし自分と弟子の芸術には揺るぎない誇りと自信を持っている、と言うところですね。

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写真をご覧頂くとわかるのですが、幕前のシーンで女子学生という出で立ちの3人がいます。この三人は音楽がスタートする開演前から幕前に現れて、なにやら人待ち顔で落ち着かない様子です。この三人はこの豪邸で行われる音楽劇アリアドネの端役のオーディションを受けに来た若い声楽家達という設定です。そしてこの三人は見事オーディションを通過して、オペラの方ではナヤーデ、ドリヤーデ、エコーの3役を演じる事になります。実に細かいところまで設定が作られていて、例えばこの中でエコーを歌う事になるソプラノは、オペラでアリアドネを歌うプリマドンナと大学で同級生で、久しぶりにプリマドンナのソプラノと再会して大いに喜び、プリマドンナを抱擁しようと近寄るのですが、世界を飛び回っているプリマドンナの方では、エコーを歌うソプラノの事を覚えてはおらず「あんた誰?」という感じでけんもほろろの応対・・・というような細かい芝居がずっと舞台上で進行していて、観客はどこを見ても飽きる事がない、という感じになっています。

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このプリマドンナ/アリアドネ役を歌ったソプラノですが、キルステン・ブランクという人で、僕とほぼ同年代ですが、実際に世界中で引っ張りだこのドラマティックソプラノです。今回はこのアリアドネ役デビューという事で、中劇場クラスでこの役を歌えるハウスを探していたようで、ゲラの劇場としては、大スターを表題役に迎える事になって大喜びだし、キルステンの方でも念願の役を充実したプロダクションで歌えると言う事で、両者の目論見がうまくあったのでしょう。最近ではロンドンのENOでトゥーランドットを歌いましたが、ドラマティックソプラノに転向する前はコロラトゥーラ・ソプラノとして世界的なキャリアを築いた人です。夜の女王などでベルリン、ドレスデン、ウィーン、ハンブルク、シュトゥットガルト・・・とドイツ語圏だけでなく、ヨーロッパ中で歌いましたが、なんとミラノ・スカラ座でのシノポリ指揮の「ナクソス島のアリアドネ」でツェルビネッタを歌った事もある人です。日本でもベルリン州立歌劇場の引っ越し公演で夜の女王を歌ったとの事でした。
彼女は、この声種転換の時期に一度仕事を中断してじっくりと技術的な問題と向き合って慎重にドラマティックソプラノになる準備したそうですが、その時期に、ホメオパシーを学んでホメオパシーの療法士の資格を持っています。僕も長くホメオパシーの世話になっていたこともあり、彼女とは気があってずいぶんホメオパシーの話をしました。彼女の助言によって始めたシュスラー有機塩の治療は僕には合っていたようで、今までは発症するまでははっきりと対応できなかった体調不良に、もっと早く対応を始める事が出来るようになりました。風邪の引きかけにすぐに対応を始められるので、とても助かっています。
・・・と書いてみてから少し調べたのですが、今は日本ではホメオパシー医療は評判が悪いようですね。極端な傾倒から不幸な結果になってしまったケースの報道などを見たのですが、これは日本人のメンタリティと少し関係がある様な気がしました。自分の居所、心の拠り所を見失った人がカルト宗教に自分の居場所を見いだしたように、現代医学に反発する人が自分の責任と判断力を越えたところでどこかに寄りかかろうとするのではないか、と言う気がします。ヨーロッパ個人主義で育った人格が自己責任で自分の行動を決めていくのに対して、我々日本人はやはり、普段周りの目を気にする分、頼りになる他者を見つけた時に距離を考えずに寄りかかる傾向があるように思います。また日本人のメンタリティは「空気に逆らえない」という特性を持つので、一度踏み込んでしまった世界から足を引く(?)のがとても苦手です。
キルステンから聞いたのですが、彼女のホメオパシーの先生が授業で生徒全員に「子供が木から落ちて骨を折った。君はどのレメディー(薬)を処方する?」と言う質問をしたそうです。生徒達は「えーと、アルニカか、ルタか・・・?」なんて骨や筋の治癒に必要なレメディーの名を挙げたそうですが、先生は「ちがう。救急車を呼ぶんだ」と応じたとの事。まさにこういった実際的で臨機応変な対応が必要なのだと思います。
歌い手はやはり体が資本ですから、健康法や薬に凝っている人はとても多くて、ホメオパシーを取り入れている人はかなりの割合でいると思います。なので、歌い手同士でホメオパシーのどのレメディーが良いとか、そういう話になる事は多いのですが、キルステンはプロの療法士としての資格を持っている事もあって、言葉に重みがありました。

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話がそれました。「ナクソス島のアリアドネ」に戻りましょう。
オペラの方が始まると、結婚披露宴のテーブルに花嫁が一人で座っています。これがアリアドネです。新婦の友人の三人(ナヤーデ、ドリヤーデ、エコー)は新婦を気遣いつつ、もう来るとは思えない新郎を待つのをやめるよう促します。そして、披露宴のテーブルの食器やグラス、ウェディングケーキなどを片付け始めるのです。

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そこに、大きなモップを片手に登場する用務員さん(?)のような出で立ちのバッカスがどんどん椅子やテーブルを片付けようとします。この時点では誰もバッカスとはわからないでしょう・・・尤も、序幕の時にテノール歌手が「こんな衣装(カツラ)をつけられるか!」と怒鳴り散らす時の衣装がこの用務員風の衣装である事に気付いた人もいるとは思いますが。
アリアドネがひとしきり自分の置かれた境遇を嘆くアリアを歌い上げると、今度は披露宴のアトラクションを担当するはずだったのか、ツェルビネッタとその取り巻きのロックバンドが現れ、歌と踊りでアリアドネを慰めようとしますが、どうもうまく行きません。ツェルビネッタが取り巻きの4人を、もう良いからあたしに任せて、と追い払って二人きりになると、ツェルビネッタは「偉大なる女王様」のアリアを歌い始める、という具合です。
ツェルビネッタは今回のプロダクションではダブルキャストでした。演出のマティアス・オルダーグは基本的にダブルキャストを好みません。どうしても一人の歌手にかけられる時間が限られてしまって、繊細なニュアンスの作業をするのが難しくなるからですが、今回はツェルビネッタとバッカスの二役がダブルキャストとなっていました。

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バッカスに関してはやむを得ない事情もありました。稽古開始の直前に、予定されていた歌手が体調を理由にキャンセルして来たからです。マックアリスターというヘルデンテノールで、ベルリンドイツオペラでのタンホイザー、シカゴリリックオペラでのトリスタン、という具合に世界中で引っ張りだこの人気歌手です。うちの劇場にはローエングリンで一度ピンチヒッターとして登場しました。背骨の問題で手術が必要という話で、これは仕方ない。で、とりあえずヴァレンシュタインでマックス・ピッコローミニを歌っていたヘルデンテノールのヴィンセント・ヴォルフシュタイナーに打診し、彼はバッカスを歌った事はないという話でしたが、引き受けてもらった。でも、彼は全ての本番日程をこなせない・・・直後にハノーファーでのジークムントが控えているとかで・・・。そこでもう一人、バッカスが必要でした。
オテロやカヴァラドッシでうちの劇場の常連となっているリカルド・タムラ氏と僕とは数年に渡るる共演の末、すっかり家族ぐるみの付き合いをする親友になっているのですが、彼がちょうどゲルゼンキルヒェンの劇場でバッカスを歌っている事を僕は知っていたので、プロダクションの演出家でもあって劇場のインテンダントでもあるマティアス・オルダーグにその事を教えたら早速交渉して、彼もバッカスを歌う事になりました。
こういうドタキャンというのは、僕が見ているなかでも結構あるんですが、やはり産業として音楽産業の歴史が長いですから、エージェントも動きがはやくて、だいたいの場合は何とかなっちゃいますね。日本の状況と比べると、彼等の柔軟さと素早さ、そして時にはその「なりふりの構わなさ」には、こういう所でも感心してしまいます。
だいたい、今回は同様の事がタイトルロールのアリアドネにもあったんでした。もともとはベルリン・コミシェ・オパーのプリマドンナのダグマー・シェレンベルガーがアリアドネを歌うはずでした。彼女も病気が原因で、結構直前に降りたのです。でも不幸中の幸いというか、より若い世代のスター歌手であるキルスティン・ブランクがアリアドネのロール・デビューの機会を探している情報が入り、契約となりました。そこでホッと胸をなでおろしていたマティアスはバッカスの一件で再び問題を抱え込む事になった訳です。
少し話がそれますが、この「ナクソス島のアリアドネ」というオペラは、理想的なキャストを揃えるのが大変難しいオペラです。ワーグナーの楽劇ほど長くはありませんが、同じくらいドラマティックな声を持ったソプラノ(アリアドネ)とテノール(バッカス)が必要です。ドラマティックなレパートリーを歌う歌手の方が基本的にギャランティが高くなりますから、これだけでコスト的にはすでにかなり嵩んでいるのに、他にも超絶技巧を必要とするコロラトゥーラ・ソプラノ(ツェルビネッタ)、ソプラノの音域までカバーするハイ・メゾソプラノ(作曲家)、超高域を楽々こなすべきブリゲッラを含めバッカス以外に3人のテノール(あとは舞踏教師、スカラムーチョ)が必要なのです。声楽技術的に難易度が高い役が多い事と、あとは単純に人数が多い事が理由ですね。我が劇場のプロダクションは、あとからキャスティングされた歌手がメイン・キャストの中に何人もいましたし、彼らはあちこち飛び回って歌っている歌手ばかりですから、稽古に全員が揃った試しがなく、ただ一度だけ全員が揃うはずだったゲネラル・プローベも、けが人が出てしまい、なんと一度も全員が稽古で揃う事がなかったという希有な(?)プロダクションになってしまいました。

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さて、ツェルビネッタですが、一人はアイルランド人のキム・シェハーン、もう一人は中国人のリンリン・ファンでした。二人とも、ちょっとタイプは違うけど、非常に魅惑的なツェルビネッタを演じてくれました。キムはバッカスのリカルド同様、チューリヒ・オペラのオペラ・スタジオの出身で、今売り出し中のソプラノです。来シーズンからは我が劇場の専属歌手になるので、とても楽しみにしています。
リンリンとは、先シーズン、僕がピンチヒッターとして1週間で飛び込んだメンデルスゾーンのオペラ「兵士達の恋」で共演しました。柔らかさと強靱さを併せ持った声で、まだとても若い人なので、彼女も今後が楽しみです。
ツェルビネッタ率いるコメディア・デラルテ軍団は、喜劇グループですから、彼らの振るまいがこのオペラの中でおもしろおかしいのは当然なわけですが、この演出の中では、コメディア・デラルテ軍団のお株を奪う様なギャグが至る所にちりばめられていて、この作品を良く知る聴衆には堪えられない楽しみとなっていました。
例えば、アリアドネはオペラの冒頭で、死の遣いヘルメスに何度も呼びかけます。ここで、バッカス・・・衣装は先ほどの説明通り「用務員」風です・・・が掃除を済ませたあとに、劇場宛に毎日届く宅急便を整理しているのですが、その宅急便が「ヘルメス宅急便」(日本で言ったらクロネコヤマトとかですね)なのです。このヘルメス宅急便はドイツでは小包に関して言うと一番大きいシェアを持っていて、誰もが知っている会社です。
バッカス、アリアドネの両役は、オペラでは本来シリアスな部分しか見せない役なのですが、序幕ではコミカルな部分を惜しげなく晒してくれます。
喜劇とオペラを同時進行にして9時の花火に終演を間に合わせるためにカットを余儀なくされた作曲家と音楽教師にテノール(オペラでのバッカス)とプリマ・ドンナ(オペラでのアリアドネ)が、それぞれ自分のところはカットせずに他の役の部分をカットしろと詰め寄る場面がありますが、これなどは作品の中に既に書き込まれているコミカルさです。そこにこの宅急便ギャグやら、開演前に登場してイタリア語で話しかける場面やら、さらにコミカルな要素が演出面で盛り込まれているのですが、それが最後のこの二人のシリアスな二重唱の壮大さや深さを損なう事はないのですね。理由の一つは舞台裏でのこの二人の振る舞いと舞台(オペラ)でのこの二人の歌いぶりや演技が、表面的な矛盾を見せている様で実は一つの丸い「にんげん」をまさに体現しているからではないかと思うのです。R.シュトラウスがこのオペラに込めたものは、まさにそこではないかと思います。単なるオペラ職人の戯れ、名人芸と言うだけではないと思うのです。
逆のパターンがツェルビネッタであって、彼女は喜劇という社会的認知度が比較的低く,うわべだけの楽しさを売る商売をしながらも、その中で彼女が垣間見た人間の深淵を彼女の芸の中に折り込んでいくからこそ、作曲家もあそこまでツェルビネッタに惹かれ、またその視線の熱さが、普段は語られる事のないツェルビネッタの本音を二重唱の中で引き出すのではないかと思います。
喜劇だけでなく、シリアスなオペラも結局は虚構です。舞台は非日常であって、普段の日常はこんな風には流れていません。と同時に「事実は小説よりも奇なり」という言葉もあるとおり、現実の中に小説の様な、オペラの様な「考えられない様な」展開がおこる事も事実です。話題になっている村上春樹さんの最新作で、米国のテロ事件も一つのヒントにしていると読みましたが、今の世界の情勢は、小説よりも奇であったり残酷であったりする事がしばしばあり、情報化社会の中で我々はそのニュースにかなりのスピードと量でもまれていると思います。
「劇場の中に本当の人生がある」と強く感じる事が最近よくあります。「劇場」でなく「芸術」と言っても良いかもしれません。あるいは「美」でしょうか。人間性の深みに近づくための一番の近道が芸術である、というのはルドルフ・シュタイナーの言葉ですが、なぜ芸術があるのだろう?と自分に問いかける時、そんな事を感じます。
道徳や規則、市場原理。そんなものに突き動かされ、あるいは縛られて生きているのが我々現代人です。金融危機の折りには、新自由主義とも呼ばれる、非人間的な市場原理の追求が、市場原理そのものの限界をも示しました。つまり規制緩和と小さい政府によって市場原理を野放しにしていれば人間が幸せになるというのは幻想だったと思い知らされた形です。一握りのエリート達がなりふり構わない資本主義の追求によって低所得層を食いものにする事をだれも止める事が出来ませんでした。破綻によってやっと歯止めがかかったのです。
では、道徳が市場原理に変わって人間の衝動を調和に導くでしょうか?これも難しいでしょう。「衣食足りて礼節を知る」という言葉もあります。規則については、守る人ばかりではない事はもう誰もが知っています。では、何が我々を導いてくれるんでしょうか。
こんな難しい事、僕にももちろんわかりません。でも美への憧れは助けになるんではないかという気がするのです。美への欲求というのは物質に対する欲求とは根本的に違います。所有したいという衝動を持たない欲求ですから、物質主義に犯された現代社会にはなじまないかも知れません。でも、なじまないという事は逆に、忘れられた宝物なのではないでしょうか。
劇場やコンサート、あるいは展覧会に足を運んだ人たちが、物質、所有とは違う満足を胸に家路につかれる事、これが僕ら芸術家の日常の中での目標と言っても良いと思います。
この「ナクソス島のアリアドネ」の中に描かれている様に、劇場の舞台裏というのは舞台の「美しさ」と対照的な部分もあります。言ってみれば張りぼての部分は必ずあるわけで、「劇場はまるで幼稚園だ」という表現を良く耳にしますし、僕もさんざん自分の目で見てきています。自己顕示欲が比較的弱い人というのは劇場という場所に集まって来にくいですし、テノールとプリマ・ドンナのカットがらみの駆け引きの様なくだらない衝突もたくさんあります。
でも、この二人のオペラ歌手も、そしてツェルビネッタも4人のハルレキン達も、美を求めて止まない魂の持ち主です。実際の劇場人達もです。カペルマイスターとしても劇場の中を知り尽くしていたR.シュトラウスだからこそ、こんなにも生き生きと舞台の表と裏を描く事が出来たのは言うまでもありません。そういうR.シュトラウスの姿勢や心意気に触れる機会でもある、こういう作品との出会いで僕はやはり感激するし、大変僭越ながらR.シュトラウスを劇場人として、同志なんだと感じてしまいます。
公演スケジュールのところで少し触れましたが、我が劇場は今、将来への不安に晒されています。2012年以降の予算がまだ立っていないのです。2010年9月にテューリンゲン州の文化大臣の提唱による、将来のテューリンゲン州の文化政策のワークグループが発足し、そこで慎重な検討が行われる予定です。
うちの劇場のインテンダントのマティアス・オルダーグはこの5年間の劇場運営の成果によって、テューリンゲン州のみならずドイツ全土から中クラスの劇場インテンダントとしてスター扱いされています。それは運営面で斬新なアイディアを取り入れ、また構造的な無駄をなくして経営をスリム化し,なおかつ極めて高い芸術的な成果を挙げているからです。潤沢な資金がもともとある大劇場ではあり得ない苦労を乗り越えつつ、作り上げる作品のクオリティを高く保つ事、これは本当に至難の業です。経済のプロがインテンダントに就任して経営の観点から運営を効率化して、それが成功する例はいくつか見られますが、オルダーグ氏の様に両面の成功を実現しているのは希有です。
その元で働く我々は、我らがインテンダントの仕事ぶりを誇りに思いつつも、日常の営みの中では、やはり大きな負担を強いられています。先ほどの話の公演スケジュールもそうですが、舞台スタッフなどはゲラとアルテンブルクの二つの街の間を文字どおり飛び歩きながらフル回転しています。給料も法律で定められている劇場労働者の給与では劇場全体の資金繰りが無理なので、うちの劇場独自の給与体系を作り、ボーナスなし、昇給率も抑えられた状態でみんなが頑張っています。一生をドイツで送るわけではない僕にとっては、その意味では今だけの苦しさですが、ここに骨を埋める大半の同僚にとっては,深刻な問題です。でも、みんな美を求める魂を失っていません。少なくとも今の所は。この魂こそが本当に宝物だと思います。
今シーズンは「ナクソス島のアリアドネ」のあとに「タンホイザー」のプロダクションがありました。ここでは若きスターバリトンのシュテファン・ゲンツがヴォルラムを歌い、やはり体調不良で降りたエリーザベトの歌手の替わりに、かつて僕が留学時代にベルリン州立劇場で多くの舞台に触れる事が出来たカローラ・ヘーンがエリーザベトを歌いました。この話を小説家トーマス・マンの家族に置き換えた演出は話題になりました。
シーズン最後には日本でベルリオーズの「ファウストの劫罰」でメフィストを歌い、フランスの巨匠ミシェル・プラッソンの指揮、コンテンポラリーダンスのグループ「H・アール・カオス」を率いる大島早紀子さんの演出で素晴らしい体験をさせて頂きました。詳しく書く場所がなくなってしまいましたので、これについては機会をあらためたいと思います。
来シーズンは、トリスタンとイゾルデ、魔笛のほか、発掘シリーズとしてウッレンシュピーゲル(オイレンシュピーゲル)というヴァルター・ブラウンフェルス作曲のオペラを取り上げます。ドイツの著名な建築家シュテファン・ブラウンフェルス氏はこの作曲家の孫ですが、今回のプロダクションでは舞台美術を手がけます。その他、新プロダクションではありませんが、ヘンゼルとグレーテルのペーターも歌う予定です。日本では兵庫県立芸術文化センターの「こうもり」でアイゼンシュタイン役に初挑戦します。
また劇場で皆さんとお会い出来る事を楽しみにしております。