クリスマスコンサート

今日はずいぶん冷え込みました。アルテンブルクへ車で出かけるときに、ちょっとガラスが汚いと思って洗浄液を出したら、ガラスが冷えていたらしく洗浄液がガラスに吹き付けられるやいなや凍ってしまって、一面真っ白!ああびっくりした。

アルテンブルクでのクリスマスコンサート。これも3回ありますが、今日はその第1日目。プログラムはヘンゼルとグレーテルの序曲で始まるものの、けっこうマニアックなものも。その筆頭はソプラノのダヌー...


タ・デプスキーが歌う、グリエールというロシアの作曲家の「コロラトゥーラ・コンチェルト」。
僕はリムスキー・コルサコフのオペラ「サトコ」からベネツィアの商人の歌う舟歌のようなアリア、チャイコフスキーの「スペードの女王」からイェレツキー侯爵のアリア、ドニゼッティの「ルチア」からエンリーコのアリアとルチアとの二重唱。けっこう歌い甲斐のあるプログラムであります。
今日の客席は満員で、非常に盛り上がったコンサートでした。

アルテンブルクの聴衆の方がゲラの聴衆よりも劇場への愛情が強いと、同僚が言っていたことがありますが、確かにそういう感じがしました。このTraditionelles Weihnachtskonzertはゲラでは行われずアルテンブルクでのみ3回あるのですが、指揮をしたトーマス・ヴィックラインが全ての構成、選曲などを担当して毎年行われているようです。トーマスはうちの劇場に二人いるカペルマイスター(常任指揮者)のうちの一人で、ゲラとアルテンブルクの劇場が合併される前はアルテンブルクの音楽監督だったとのことで、地域に根ざした音楽活動をいつも視野に入れている人です。今回も非常に多忙の中、アルテンブルクで恒例になっているこのコンサートを続けるべく大きな努力を払いました。
歌い心のある人で、彼の指揮は非常に歌いやすいです。

今回はなんでも好きなものを歌って良いと言うことだったので、僕は長年歌いたくてその機会がなかった「サトコ」のアリアと「スペードの女王」のアリアを選びました。ルチアに関してはダヌータが是非歌いたいから一緒にやってくれと言うことで、いずれにしても今シーズンの最後に歌うことになっている演目ですし、エンリーコも歌うことにしました。

サトコのアリアは、ロシア人のバリトン、ディミトリ・ヴォロストフスキーが歌っているのを聴いて「これは僕も歌わねば」と思った曲ですが、それからはずいぶん時間も経っていて、その当時に比べると僕の声は少し重くなっているので、今回は、極端に高い音域を要求するこのアリアをきちんと歌えるか少し不安もありました。テノールの音域に片足をつっこんでいるような曲なもんですから。
練習では少し問題があった箇所も本番は問題なく歌うことが出来て、お客さんにも喜んでいただけたようです。

東ドイツの人たちはロシア語を必修で勉強しなくてはいけなかったのですが、しゃべれる人は非常に少ないとのこと。日本人の英語みたいなもんですかね。サトコもスペードの女王も原語のロシア語で歌ったのですが、司会のマティアス・ヴィンターが「ロシアのオペラを日本人のテルヒコ コモリがここドイツでロシア語で歌いまーす」と言うと大うけしていました。なんのこっちゃ。

ダヌータの知人がベルリンから聴きに来ていて、大変誉めていただきました。ちょうど昨日ベルリン・ドイチェオパーでルチアをみたところで、エンリーコを歌ったバリトンがひどかったそうで、「あなたのエンリーコは素晴らしかった!まさに『悪役』ってかんじで!」と言われて、もちろん嬉しいんですけど、ちょっと複雑な気持ち。

今日の司会を担当したマティアスは、11月にゲラでのオズの魔法使いを演出した、バリトン歌手のマティアスと同人物です。(オズの魔法使いに関してはエッセイに少し書きました)彼は今日は10ヶ月の子犬を連れてきていて、マティアスが舞台で僕が楽屋にいるときは遊んであげ(もらい)ました。彼の名前はジャベール。そう、レ・ミゼラブルの警部の名前です。マティアスは今ケムニッツの劇場に移って1年目ですが、ちょうどミゼラブルのジャベールを歌っているそうな。
実は4週間前に彼の飼い犬だったヒギンスがなくなったそうで、ジャベールは後がまなのです。もちろんこのヒギンスという名前は「マイ・フェア・レディー」のヒギンス教授からとったものです。

写真は順番に、指揮のトーマスとソプラノのダヌータと3人で、マティアスとジャベール、僕とジャベール、であります。

2001年12月10日(月)スクリプトで読み込み

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