シェフとは言っても、コックさんのことではありません。英語で言ったら「ボス」になるんでしょうか。硬くいえば「上司」と言うことですが。
ムジークテアター、直訳すると音楽劇場部門に所属する僕ら専属歌手の直属の上司というと、演出家であるところのオペラディレクター、シュテファン・ブリューアー教授なのですが、今僕がここで「シェフ」とよぶのは、音楽総監督のガブリエル・フェルツ氏です。今年8月に29歳の若さで我が劇場の音楽総監督に就任したことは、日記などでもお伝えしたと思います。
彼は今年7月まではブレーメンのカペルマイスター(常任指揮者)として、その前にはリューベックのカペルマイスターとして、すでに注目されてきたようです。そしてここゲラの劇場の、極端に若い音楽総監督として、さらに注目度はアップしています。その証拠に彼の指揮するシンフォニーコンサートがすでに中央ドイツラジオによって2度収録されていますし、1月にはライヴの放送もあります。またドン・ジョヴァンニの批評が、ヨーロッパでもっとも権威あるオペラ雑誌の一つ「オペルンヴェルト」に掲載された(ゲラの劇場が取り上げられたは初めてのこと)のも、彼が指揮していることが大きな要因ではないかと僕は思っています。
音楽総監督がいない状態でスタートした先シーズンは、全てのオペラプロダクションとシンフォニーコンサートが、音楽総監督の候補者による「オーディション」となりました。フェルツ氏が振った今年1月のコンサートと2月のモーツァルト「イドメネオ」は両方とも僕は参加もせず聴くことも出来ず(二期会のこうもりのため日本に一時帰国中だった)だったので、彼が音楽総監督に決まったと聞いたときは不安の方が強かったのです。全然音楽的にどういうことをやる人かも人柄も全然わからない人が、自分の音楽上のシェフになるわけですから。もし彼が僕の声や歌いぶりを気に入らなければ、極端な場合、来シーズンにはもう解雇という事もあり得るわけです。
そんな不安を抱えて、ドン・ジョヴァンニの稽古がスタートしたのが6月。やはり音楽家同士ですから良く知り会うには一緒に演奏するのがいちばんの早道ですね。彼の音楽の確かさ、鋭さ、演劇的要素を含むオペラという特殊な状況での歌手と指揮者の関係への的確な認識が、すぐに伝わってきました。
若いのに、というか若いからこそなのか、非常にはっきりした物言いで、演出家に対しても要求ははっきりとしているし、歌手に対してもそう。新聞のインタビューで「この若さで音楽総監督という地位につくことをどう思われますか」と質問されて「フルトヴェングラーはぼくより2歳若く音楽総監督になった。決して早すぎはしない」とさらっと答えていましたが、スピード出世をしてきたエリート指揮者ですから、人間的には取っつきやすい人とは想像していませんでした。ところがどっこい、結構ナイスな人物で、いわゆる「いい人」といえるかどうかは別にして、人間的にも好感を持ちました。
僕は今まで彼とはドン・ジョヴァンニ、フォーレのレクイエムを一緒にやり、今はちょうどベートーベンの第九交響曲のゲネプロを終えたところです。来年の3月にはコルンゴルトのオペラ「死の都市」が控えています。
彼との共演で常に思うのは、まず音楽が若々しいこと。スケールがそれでいて大きいこと。本番で常に信頼できる存在であること。オリジナルに帰る事を大切にしながらも常に「新しさ」があることです。
これは簡単なようでとても難しいことです。フェルツ自身、今日のベートーベンの第九の練習ではうまく行かないところを直しながら「みんながいわゆる『伝統的な演奏』になれているのは良くわかっている。でもその伝統から抜け出さなくちゃいけないんだ」と繰り返し言っていました。
例えば第4楽章のはじめの部分で、もう伝統的にほとんどの演奏が「間」をおいている箇所を、そのままつっこんでいったので、油断して聞いていた僕はびっくりして「えっ」と声を出しそうになってしまいました。楽譜には休符がない箇所ですが、前後のニュアンスが大きく違うので、通常は呼吸を変える間が必要なのでしょう。僕はこの箇所を一呼吸おかずに進んでいく演奏を聴いたのはこれが初めてです。
これは単なる一例で、こういう彼の独特のアプローチが随所にあり、とても新鮮でした。すごいと思うのはその新鮮さが彼の独りよがりの解釈から生まれたものでなく、楽譜に忠実に演奏するという志から生まれていて、しかも演奏として輝きがあることです。今日は4楽章からゲネプロを開始して、休憩後に1楽章から3楽章という順番だったので他の楽章はまだ聴いていませんが、4楽章だけでもうわくわくしてしまいました。
僕の歌うバリトンソロの部分も同様。有名な「歓喜の歌」のテーマの所は、音域的にも低いし、頑張ってフルヴォイスで歌われることが常だし、僕も今までそうしてきました。いくら歌手が頑張っても、オーケストラがのびのび演奏すればバリトンの中音域を覆ってしまうのはわけない箇所です。
そこで彼の要求は「ピアニッシモ」もっとも弱い声で歌うことです。ソロの稽古の時は半信半疑でしたが、今日オケと合わせてみて、オーケストラがきちんと音量を押さえてくれているにもかかわらず表情豊かで、最初の「おお友よ、この響きではない・・・」の強声のレチテティーヴォの部分との対比も鮮やかで、彼の意図が音としてはっきり理解できました。
フェルツ氏との共演では毎度毎度、本当に音楽をする喜びを再確認する思いです。彼をシェフに持つことは大きな喜びであると同時に刺激、励みでもあります。
ところで我が息子が1歳半にしてムジークシューレ(音楽教室)に通い始めたのですが、その書類に目を通したら先生の名前が「フェルツ」とある。むむむ?うちの嫁さんの話では、その先生は歌が専門で、とても明るく開けっぴろげな性格だとのこと。「とても『音楽総監督の奥さん』という感じはしないわよ」というのですが、確かフェルツ氏の奥さんも歌い手だったよなぁ。
小さい子供のクラスですから親も一緒に来て一緒に歌い、お遊戯のようなことをするのですが、そのときに歌い手であるフェルツ先生は思わずえらく高い調で歌い始めてしまい、誰も一緒に歌わないのに気がついて「ごめんなさーい。また私が高い音で歌いすぎたわねー」・・・というのは毎回やっているというのを聞いて、「そうか何だか違うかなぁ」と思っていました。
でもこのあいだの「死の都市」の稽古の時、フェルツ氏が「うちの奥さんがあなたの子供のこと話してたよ」というので「ひえーやっぱりそうだったか」という事に。「うちも小さい子供が二人いるから、今度クリスマスにでも家族で食事でも一緒にしよう」と彼から提案があったのですが、結局お互い忙しくてクリスマスは見送り。今日のゲネプロで「来年になったらやりましょう」と言うことになりました。
このあと死の都市もあるし(最近日本でも日本初演があったようですね)、来シーズンはワーグナーがあるようだし、非常に彼との共同作業が楽しみです。
(2001.12.27)