1999年11月プラハ国立歌劇場「椿姫」ジェルモン役
これは僕のオペラに関するヨーロッパデビューということでもちろん忘れられない公演ですが、それ以外の意味でも忘れ得ない公演となりました。
この契約は、僕がまだベルリンにいる頃に電車で5時間半のプラハまで日帰りでオーディションに行って勝ち取った(本当にそういう感じ)ものです。
この日のオーディションだけでも50人近くが歌っていましたが、その中で契約にいたったのは僕だけでした。全体的なレベルがどうだったかはわかりませんが、僕と僕の友人達などいわゆる西側から来た人も結構居ましたが、チェコ国内の人、それからロシアから来ている歌手も多かったようです。
だから会場は「僕はドイツ語しかわからない」「いや、僕は英語だけ」「あたしはロシア語だけよ」みたいなカオスでした・・・。まぁオーディションのことは良いんですが、今書きながら考えるとこのことは公演時に起こった事を一部暗示しているなぁ。
本当は練習が何度かはいるはずだったのですが、指揮者の都合でキャンセルに。
もともとこの椿姫はこの劇場のレパートリーで長いこと上演していますから、僕以外の歌手には練習は必要ないわけです。僕は初めて歌うジェルモンを(それどころかヴェルディのオペラを一本通して歌うのはこれが初めてだった)、練習無しで歌うことになってしまいました。それでプラハの劇場のKBB(制作にあたる部署)に「練習無しでやらざるを得ないけど、あなたはもうジェルモンはどこかで歌ったことがあるのよね?」ときかれて、「ここで『歌った事ありません。初めてです』なんて言ったらクビにされるかも」なんて考えて「ええ、歌った事あります」と大嘘ついたのです・・・。
かくして僕は練習無しでこの本番をつとめる羽目になりました。自業自得の部分もあるけど。レパートリー公演を後から歌う場合は、プレミエの録画を見て演出を確認するのが常ですが、それが唯一の情報なので、ビデオは何度も見ました。主に動きの面で問題になるのはヴィオレッタとの二重唱。そこでヴィオレッタがどう動いているのか、ビデオで綿密に確認して自分の動線も決めました。
それで本番。
客席は満員で、なかなか盛り上がっていました。僕の登場は2幕ですが、さていざ演技を初めてみると、確認したはずのヴィオレッタの動きが違うじゃないですか。上手に行くはずのところが下手、下手のはずが上手と、大きく違うのです。ご存じの方も多いと思いますが、このジェルモンはこの二重唱の中でヴィオレッタを説得して息子のアルフレードと切ってもらわなくちゃいけない。つまりジェルモンの方がヴィオレッタに語りかける箇所が多いわけですね。
で、予定にない動きを続けるヴィオレッタを説得しようとするとどうなるかわかりますか?ジェルモンが逃げるヴィオレッタを追いかけ続ける事になってしまうわけです。僕は冷や汗をかきながらこの「ストーカー行為」を続けつつ歌っていたのですが、なんとか最後の声を合わせる部分は椅子に落ち着いてくれたので事なきを得ました。ふうう。本当に焦りましたよ。
お客様の反応の方はとても良くて、二重唱の終わりですでに多くのブラヴォーを頂いて、2幕1場の後の一人のカーテンコールもブラヴォーだけでなくて口笛や足踏みで迎えられました。・・・ところでブラヴォーはともかく、口笛とか足踏みって日本であまりなじみがないですね、そういえば。やはり日本人はお行儀が良いんでしょうか。
どうして僕がストーカーにならなくちゃいけなかったのか、後で話を聞いてみたら、ヴィオレッタを歌っているのは違う人だし、あのビデオはもう10年くらい前の公演のもので、細かいところはずいぶんかわっているそうな。それだったら始まる前にいって欲しい・・・。このときベルリンに留学中だった演出家の岩田達宗さんがわざわざ見に来てくれたので、きいてみたら、それほど変な動きにはなっていなかったとのことだったので安心しましたが。
この半年後の1999年2月にもう一度このプラハ州立歌劇場でジェルモンを歌ったのですが、このときはもっと時間がなくて、僕は前日に他のオーディションのためにベルリンにいなければならず、本番当日の飛行機でプラハ入り。指揮者は同じ人なので良かったのですが、ヴィオレッタもアルフレードも全部違う人。まぁ細かいところは臨機応変にやるしかないとはいえ、またストーカーになるのはいやですからヴィオレッタの人だけとは打ち合わせをしておこうと楽屋に行きますと・・・。このヴィオレッタの人はドイツ語も英語も話さないのです。僕はもちろんチェコ語は話せませんから、また頭を抱えることになりました。それでも手振りなどで話していたら、楽語は通用することに気付き、楽語程度のイタリア語で何とかコミュニケーションを取りました。
本当に「レパートリーシステムは怖い」と思いました。このフレーズはこの後も何度か繰り返す羽目になるんですけどね。