さて、この10日・11日の二日間で、色々なことを片づけなければ!
と言うのも13日の日曜日にベルリン近郊のラインスベルク(Rheinsberg)という町でコンサートがあるので、12日にはラインスベルクに向かわなければいけないのです。
まず何をするか。最初の仕事は荷物の詰め替え。
ベルリンで4年以上住んだ我が家には、今は日本人のピアニストが住んでいますが、僕らの荷物を段ボールにつめた状態で置かせてもらっているのです。で、ゲラの家が決まったら引越業者と一緒にまた来て運び出す、という算段です。でも今回、とりあえずゲラの劇場の寮に住むのですが、以下の条件...
を満たすものはベルリンの段ボールの山から発掘しないといけないことに7月になってから気がつきました。
1.ベルリンで所有していた
2.そしてとりあえずゲラでの寮生活でも必要
3.でも日本では必要ないので持って帰らなかった。つまりベルリンに置いていった。
この条件を全て満たすものは、発掘してからゲラに向かわないともう一度買う羽目になる!で、それぞれが十キロ以上ある段ボールを山からおろして中身を出し入れするのですが・・・・・・・骨折してる!?
またまた友人にお願いして来てもらうことにしました。同じバリトン歌手である萩原潤さん、指揮者の小林資典さん、昨日も来てくれた小岩さんと木村さんに来てもらって段ボールを全て床に並べてもらいました。で、僕が後は中身の詰め替えをやっておいて、明日の夕方にまた来てもらって山積みにしてもらう・・・。みんな本当にありがとうね。この恩は一生忘れません。誇張でなく。
次の仕事は携帯電話を調達することです。
プライベートな話になりますが・・・まぁこれは日記なんだからプライベートなものですかね、もともと・・・
今年の4月30日に長男「健登(けんと)」が誕生して、3ヶ月とちょっとになったところで嫁さんの登紀子と長男の健登をおいてドイツに来たのです。1999年の秋は僕にとって最後のチャンスでした。もうベルリン芸術大学から離れることを決めていた僕は、この秋に何らかの形でドイツに残る可能性を見つけられなかった場合、日本に引き揚げる覚悟でした。日本で演奏活動をしていて、一定の充電期間が必要だと確信して留学し、その充電期間を終えて舞台に立つことを自分のメインに据えなければと思ったからです。そのためにはずるずると留学を続けることは良いこととはいえません。2000年の春には日本での仕事がいくつか決まっていたので、長男の出産は日本で、と決めました。それならばこれが潮時だろうと、ドイツで舞台に立てないならば日本に帰ろうと決意して望んだ1999年秋でした。秋はドイツではオーディションのシーズンです。ドイツの中で色々とオーディションを受けたり知り合いに頼んだりと活動した結果、テューリンゲン州のゲラという町の市立劇場で研修をさせてもらえる事になりました。「これでドイツに残れる!」と喜んだ反面、このゲラにすぐに嫁さんと子供を連れて一緒に移り住む事にはためらいがありました。慣れたベルリンならともかく、ゲラには知り合いはいないし日本人が居るかどうかもわからない。家探しも着いてからやらなきゃいけない。子育て初心者である我々がそういう環境で乳児を育てることは非常に大変なことだと容易に想像がつきましたし3ヶ月で飛行に乗るのは、お医者さんとしても勧められないとのこと。
では、仕方がない!僕はその次の日本での舞台として、2001年の2月に東京で、二期会の「こうもり」に出演が決まっています。その稽古で帰国する1月まで一人でドイツに行こう!という事になったのです。約5ヶ月の間、嫁さんと子供に会えないという事?ヘ僕にとって非常に辛いことですが、これが最善の選択だと納得したのです。
で、携帯電話。家が決まるまでは当然電話もありませんから、何かあったときに連絡がつきません。家族と離れて暮らしている僕としては、これは絶対に必要です。今はコールバックや、格安の国際電話サービスなどを利用すれば、日本-ドイツ間も1分10円〜25円位で電話が出来ます。1時間話しても600円から1500円。
すごい価格破壊ですよね。
甘ったれたことを言ってると思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、やはり家族の声を直接聞けるというのはなによりのエネルギー源です。両親を含む東京の家族みんなも連絡がつかないと心配だといっているし。
で、契約に行ったのですが、これが。外国人だと色々難しいんですよ。ドイツ・テレコムに行ったら滞在許可がないことで断られてしまったのです。というのも、基本的に契約は2年契約しかないのです。そうでなければ非常に割高のプリペイド式しかない。外国人だと、2年の滞在許可がなければダメなわけです。まぁそりゃそうだわな。僕はゲラという都市での滞在許可を申請したので、ゲラに行って手続きをするまでは手元のパスポートにあるのはただの「入国許可」なのです。劇場が出してくれた書類なども資料として出したのですが、だめでした。
明日は他をあたります。
2000年8月10日(木)スクリプトで読み込み