(死の都市) フランク・フリッツ両役
いよいよコルンゴルトのオペラ「死の都市」の立ち稽古が始まりました。
演出はヴァイマールなどでも活躍しているマティアス・オルダーグ教授。ゲラでも頻繁に客演の演出家として読まれているようです。最近ではヴェルディのオペラ「運命の力」を演出しました。これは僕がゲラに来る前のことですが。
たぶんライプツィヒの音楽大学でオペラ演出家として教鞭を執っているのだと思います。まだ若い方で40代ではないだろうかと思います。コンセプト説明の時に、もう手際のよい説明で好感を持ちました。ゲラの劇場の人たちは彼をとても高く評価しています。
このオペラはいろいろな意味で特殊だと思います。
G・ローデンバッハという人が書いた「死の都市ブルージュ」という小説が原作になっていて、物語としてはかなり暗いものです。妻に先立たれた男が死んだ妻との想い出の中で生きていくために「死の都市」ブルージュに移り住んで、そこで体験する奇異な体験・・・実は彼の夢の中の出来事ですが・・・を描いたものです。彼はこの体験を通して再び人生をやり直そうと決心するに至り、死の都市ブルージュを去ります。この作品の発表後にブルージュ市から抗議があったという話を聞きました。そりゃ「お前の街は死んでるよ」と言われたら黙ってられませんよね。
僕はブリュッセルで仕事があったときに、このブルージュまで連れていってもらったことがあります。町中に水路が張り巡らされていて、それが運搬の目的で使われていてヴェネツィアさながらです。古いきれいな街で、確かに前に向かって進んでいる感じがする街ではありませんね。古楽のコンクールが行われることで音楽家の間に知られている街でもあります。ふむ。これも「古」楽であるな。停滞した後ろ向きの街という印象を与えるのは無理もないかも知れません。
このオペラは日本でも何度か演奏会形式で上演されたようですが、日本語の資料というのは僕の手元にはありません。小説は以前に読んだのですが、どういう訳か今さがしても見つからない・・・。日本に置いて来ちゃったのかなぁ。
この作品はコルンゴルトが23歳の時に初演され、大成功をおさめました。R.シュトラウスを彷彿とさせる雄弁なオーケストレーションの中に、プッチーニ、ワーグナー、R.シュトラウスのオペラのモチーフのパロディも多数見られます。クラシック作曲家としての彼はこのあとには死の都市をしのぐ成功を得ることは出来ず、アメリカに渡って映画音楽として何度かオスカーを取ってからも管弦楽曲の発表はしたものの結局コルンゴルトの代表作はこの「死の都市」と言うことになってしまいました。
しかし23歳の時にこんな複雑な、大規模なオーケストレーションを持つ作品と書いたというのは驚きです。劇場のピアニストはみんなヒィヒィいいながら弾いています。問題は、音が多くて弾くのが大変なのに、音を抜いてしまうと大事なモチーフが抜けてしまってオケの響きからほど遠くなるので、とにかく彼らとしてはさらってさらって弾けるようにするしかないわけです。
この分厚いオーケストレーションのせいで、東京での最近の演奏では歌にマイクを使って増幅しなければならなかったという話を聞きました。オケがピットに入ってくれなければ、これはバランスが取れるわけもないでしょうね。部分的にはかなり室内学的な響きの箇所もあるのですが。
パウルという主役のテノール役。これは本当にテノール殺しですね。高い音が果てしなく続く上に弱声の表現もかなり求められるし、何しろ歌う量が多いこと多いこと。ソプラノのマリエッタ役も大変です。こっちは踊り手の役なので歌うのが大変な上に踊りもできなくては。サロメとおなじくらい大変かなと思います。
僕の歌うのはフランクというパウルの友人役、それから夢の中でマリエッタの一座の中のピエロであるフリッツの両方の役です。録音を聴いてみると違う二人のバリトンによって歌われていることが多いですが、楽譜ではおなじ歌手が歌う設定になっています。その方が「夢」の効果が大きいのは確かです。
フリッツが歌う「私の憧れ、私の迷い(Mein Sehnen, mein Waehnen)」というアリアは僕が大好きな曲でここ数年、オーディションで頻繁に歌うようにしている曲です。トーマス・ハンプソンのドイツオペラアリア集の中の録音は見事です。
歌う量はパウルの10分の一にも満たないでしょう。それでいてパウル、マリエッタに次ぐ第3のプリンシパルなんですけどね。舞台で歌わずに聞き役に回ることが多く、以前に蝶々さんのシャープレスを歌ったときに経験した「聞き役の難しさ」をもう一度、という感じです。
オルダーグ教授の稽古は非常に僕にはやりやすいです。稽古中のひらめきでいろいろアドリブを入れていくと敏感に反応してくれるし、こちらの提案にもきちんと耳を傾けてくれます。そういえばゲラに来てからブリューアー教授以外の演出でオペラを歌うのはこれが初めてだった。
主要キャストの中でドイツ人でないのは僕だけで、僕のアリアの前にはマリエッタが僕に「お前はライン地方生まれのドイツ人だ!」と言う箇所があったりして、ワーグナー、R.シュトラウスなどの作品ほどは国際的になり得ていないこの作品は、まさにドイツ人のオペラだなぁと思う機会が多いのですが、今日の1幕の稽古では、一カ所僕が変だなと思って問題提起した箇所がありました。僕にはどうしても芝居の内容とテキストに矛盾があるように思えたのです。
オルダーグは「いやいやこの動詞には二つの意味があって・・・」とドイツ語講座になりかけてしまいましたが、横にいた演出助手が「ちょっとまって。いや、これは彼の方が正しい」と助け船を出してくれました。 Es schien sie selbstという文を、オルダーグはErschien sie selbstと読み違えていたのです。結局それで僕の主張が正しいことは認められました。実はこの楽譜に使われている活字の「s」がどういう訳か縦に長い奇妙なsで、僕もよく読み違えるので、まぁ読み違えは大いにあり得たんですが。
「なんだ、君の方がドイツ語を正しく理解してるんじゃないか!」なんて言われましたが、後で考えてみると、ずいぶんドイツ語でオペラを稽古する環境になれてきたなぁと思います。でも稽古では電子辞書は必携です。
(2002.2.12)