このエンリーコはゲラの劇場に来て四つ目の役です。有名なオペラですし、アリアなどはすでに歌ったことがあったのですが、エンリーコの役を通して歌ったことはありませんでした。ドニゼッティのオペラを一本やるのも、考えてみると初めてです。
今回も演出は、リゴレット、ドン・ジョヴァンニと同じく劇場のオペラディレクターのシュテファン・ブリューアー教授。ベルリン・コミシェ・オパーが使用したドイツ語訳で上演されます。
今回の上演で特徴的なのは、通常の版だけでなく、フランス語ヴァージョンの版からいくつかの場面を持ってきていることです。演出家の意図としては、単なるロミオとジュリエット的な恋愛の悲劇というだけでなく、アシュトン家、つまりルチアとエンリーコ達を翻弄する政治状況をクローズアップするという事が一つあります。
このフランス語バージョンはドニゼッティ自身がパリでの上演のために大幅に変更を加えて書き直したもので、最近リヨンのオペラハウスで、ロベルト・アラーニャをエドガルド役に迎えて上演されたものがテレビで中継されました。
また、もともとが英国スコットランドの話で、ドイツ語訳での上演と言うこともあり、固有名詞の発音をイタリア風ではなくてオリジナルの英語風にしてやることになりました。エンリーコはヘンリー、アルトゥーロはアーサー、エドガルドはエドガード、ライモンドはレイモンドという具合です。なぜかルチアはルチアなんだけど。この辺からはプランの一貫性のなさがすでに露呈していますが、まぁ今は言うまい。
僕の演じるヘンリーは、ルチアの兄ですが、先頃に亡くなった母親に代わりスコットランドの貴族アシュトン家の当主になったばかり。そこへ国王の崩御。政治的にかなりの打撃を受けた上にまだ政治家としての経験が浅いヘンリーはルチアに熱を上げているアーサー・バクローとルチアの政略結婚をたくらみ、何とかアシュトン家の存続を確かなものにしようとしています。そんな状況の中で、仇のエドガード・レイヴェンスウッド(というよりエドガードの親の敵が僕、ヘンリーなんですが)と妹ルチアが人目を盗んで逢い引きをしていると聞き、ヘンリーは逆上するわけです。
リゴレット、ドン・ジョヴァンニで、ブリューアー教授の演出手法はずいぶん飲み込めてきましたが、芝居の中で要求されるのは今回もご多分に漏れず、「狂気」「神経質さ」「緊張感」・・・という感じで、僕はこの一家の当主としての責任と政治状況の危機から来るプレッシャーで如何に煮詰まるか、が大きなポイントになっています。その尋常でないプレッシャーによってこのような不幸を生み出してしまう人物だというわけです。
そういう意味で、ヘンリーの位置づけが通常のルチア演出よりも重要になってきています。恋愛劇でなく政治劇にしたいわけです。
僕個人としては、部分的にのみフランス版から借用するというやり方や、イタリアオペラの伝統を排除する演奏様式を演出サイドから要求していることを含め、各登場人物のキャラクターづけに疑問を感じる部分は少なくないですが、前にドン・ジョヴァンニの時に経験したとおり、僕が演出家のプランをどうこう言える立場ではないし、もうこのプランで走り出している以上は、このプランの中で説得力を持つ表現が出来るように全力を尽くそうと腹を決めました。演出家が満足するだけでなくお客様にも納得していただけるようにね。
・・・といいながらも結構細部では納得の行かないところでいちいちブリューアー教授と意見を戦わせることになりましたが。まぁでもこれは必要なプロセスであったと思っています。
今日は初めての舞台稽古で、組まれたセットを見ました。舞台模型ですでにある程度は予想していましたが、実際に本物を見ると真っ赤な舞台のインパクトは相当なものです。天井部分が布になると言う話だったのですが、紆余曲折があって、結局木になったようです。そのせいもあり、音響は上々。今日歌ってみた感じではかなり歌いやすい感じになっていました。
この上に照明でも一ひねりあるので、ビジュアル的にはかなり興味深い舞台になりそうです。
(2002.5.10)