いったいこの反応はどういうことなんでしょうか。
僕は個人的にはイタリアのチームは好きだし、セリエAというリーグのすごさもわかっているつもりです。(最近イギリスのプレミアリーグの方がスピード感もあるしレベルが上かも知れないと思っているけど)
それだけに今回の、複数のイタリア人の反応はとても残念だし、許せないものがあります。
ご存じの方も多いかと思いますが、この6月18日、日本と韓国で行われているサッカーのワールドカップ決勝トーナメント1回戦で、韓国は延長戦でイタリアを2−1で下して大会ベスト8となりました。6大会、W杯で勝利をあげられなかった韓国にとって、優勝経験国であり今回の優勝候補の一角であったイタリアを破ったのは歴史的勝利と言っていいでしょう。おなじ日、我らが日本代表はトルコに0−1で惜敗しました。
ところが、驚かされたのは、その後のイタリアのサッカー関係者の反応です。
まずイタリアの代表団長ラヌッチ氏のコメント「韓国は力を持った国。彼らが何らかの手を使ったのは明らか。あれほどひどい判定は生まれて初めて」「主審は恥知らず。これではまるでコメディ映画の一場面だ」「われわれは憤慨し、落胆している。イタリアのような国がこのような屈辱を受けるのはおかしい」
イタリア監督のトラパットーニのコメント。「どちらに風が吹いているかは、最初から明らかだった。陰謀だとは言いたくないが、われわれは不利な立場だった」「FIFAはフェアプレーを掲げていながら、ピッチ上はこんなありさまだ。線審は無能。これほど腹立たしい経験は生まれて初めて」
そしてイタリアに対するゴールデンゴールを決めたアン・ジョンファンに対する、ベルージャのガウチ会長の仕打ち。アン・ジョンファンを解雇!「イタリアを相手に戦う時だけ素晴らしいプレーをした。そういった行為はイタリアのプライドを傷つけるもので、2年前に受け入れてやったわが国に対する侮辱だと考える。イタリアのサッカーを汚した人物に給料を払うつもりはない」
いったい何が、彼らをこんな恥知らずの言動に駆り立てたのでしょうか?
イタリアの選手自身も、審判の判定がおかしいと言っていたようだけど、自分自身がピッチの中にいた選手達が客観的な判断を下せるわけはないから、これは仕方がないと思います。それにトッティ以外のイタリアの選手は、タックルで躓きながらもボールを追いかける、フリーキック狙いではなくて本来のサッカーをやっていたと思う。
仮に、イタリアの立場を積極的に理解しようとするならば、まずイタリアは数少ないW杯優勝経験国で、今回も優勝候補。国民の期待はかなりのプレッシャーになっていたでしょうし、関心の高さ、W杯での勝ち負けの重要度は、我々の考えるレベルよりずっと上かも知れない。
それと、セリエAでは、この二つの反則はかなり頻繁に行われているし、お互い様だから審判もあまりとらないと言う話も聞いた。だからいきなりW杯で基準が変わってもついていけなかったかもしれない。
でも今回のW杯では、特にシミュレーション(ダイビングなど審判を欺く行為)とユニフォーム引っ張りに対して厳しい態度をとるとFIFAも前もって言っていたわけです。でも、今回のW杯ではそうではないことがもうはっきりしてるわけでしょ。スペインがアイルランドに同点にされたのだってこの「服つかみ」に対するPKだし、あの試合の中でだって前半頭にそのPKがあったよね。
だいたいトッティはあのイエローカードの時に限らず、幾度となく「反則された振り」をしていた(と僕には思えた。かなり確信あるよ)わけだし、あのシーンで自力での突破を狙わないで自分から転んでいくと言うところが、僕には理解できない。正直言うと許せない。
FIFA はアン・ジョンファンの解雇の件を「アン・ジョンファンとペルージャの問題だから関知しない」というような態度をとっているけど、これもおかしい。もとはといえばFIFAの方針が招いた事態とも言える部分もあるし、大体そんな無責任なものの言い方がありますか?リバウドのシミュレーションにはすぐさま罰金を科したじゃないか。FIFAが間に入らないで誰が間に入るんだ?W杯で起こった事件じゃないか?
大体外国でプレイする選手が自分の国の代表選手として、自分のプレイしている国の代表チームに対して素晴らしいプレーをしたら職を失うなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことがあって良いわけがない。大体、その素晴らしいプレーこそはその代表チームに対する尊敬や尊重があって初めて生まれるものでしょう。アン・ジョンファンが29試合で5得点しかしなかった事なんて全然関係ない。イタリアがすごいチームだと思うからこそ普段以上の力を出したに違いないと思う。イタリアのチームをなめていたらああいうプレイにならないはずだ。それを「イタリアに対する侮辱と見なす」と公言するとは、恥知らずを越えて子供じみている。代表団長のラヌッチ氏にいたっては韓国が何らかの裏の力を行使した、つまりFIFAもつるんで悪巧みをしたとまで言っている。
それにこういう言動をFIFAが「うちとは関係ない」なんて言って良いわけがない。FIFAもくさってる。ブラッター会長はあの試合でイタリアはミスジャッジの犠牲になったといっているらしい。あほか。オフサイドの判定はともかくトッティが何度サッカーと関係ないお芝居をやっていたかなぜわからないんだ?あるいは風見鶏なのか。
ガウチ会長は「自分はナショナリストだ」と明言しているらしい。まぁこの点については潔いと言えなくもないけれど、それだったら逆に外国人を雇うこと自体をするべきじゃないと思う。セリエAのチームを率いている事へのプライドとか責任感はないのだろうか。
サッカー大国イタリアが、韓国の素晴らしいサッカーを認められない、敗北を受け入れられない。まるで子供ですよ。百歩譲ってミスジャッジだったとしても、それを含めてサッカーでしょう。W杯でだけミスジャッジがあるんじゃあるまいし。
大げさなようですが、「スポーツってなんなんだ!?」という問題です。なぜW杯をやるのか?という問題です。こういうくだらない行為がこのまま罰せられずに済むようなことがあってはいけない。確かにW杯とオリンピックは違うかも知れない。参加するだけでは意味がないのかも知れない。しかし、こういう行為を容認して行うW杯は、「戦争」「憎みあい」でしかない。
何で世界中の国の代表チームが一堂に会してサッカーをするのか?サッカーという一つの言語で世界中のサッカーを愛する人が一つになるチャンスなわけでしょう。「サッカー」という基準で、みんなが寄り添っていく行為ですよね。どうしたって世界的な視点を持ってサッカーを見ることになります。サッカーを通してのグローバル化ですよね。
この「グローバル化」ですが、一般的な話にすると、僕は必ずしも「グローバル化」が良いこととは思っていません。ケースバイケースです。なぜなら民族紛争はすべてこの「グローバル化」に対する抵抗だといってもおかしくないからです。自分は誰なのか、自分たちはどこにいてどこに向かうのか。アイデンティティを確保するために命を賭して戦う人たちが沢山いるのは良くわかります。
だから当然ネオナチは怖いし、いやだけど、逆に今のドイツ人が「ドイツ人であることを誇りに思う」と口に出来ない状況はとても悲しいことだと思うし、間違っていると思う。
でもその「サッカー的グローバル化行為」であるW杯で見えてくるのは、やはりそれぞれの国のサッカーの特徴であり、無理矢理言い換えれば、サッカーにおけるナショナリズムでしょ。場合によってはその民族のキャラクターがサッカー競技においてネガティブに働くため、そのキャラクターを変えるトレーニングをしなくちゃいけないこともある。これも逆の意味でナショナリズムと言えなくもない。この辺に話題を絞るとまた長くなるのでまぁそれは置いておいて。
日本は今回はフラットスリーを取り入れてその守備を起点とした攻撃的サッカーを目指したわけですよね。
グローバル化されていることで世界のサッカーが組織的、守備的になっているという全体の傾向はもちろんあると思うけど、ブラジルのあの適当な守備!その世界的傾向を徹底的に無視しているようなものですよね。それにあれで勝っちゃうんだからまたそれがすごい「ブラジル的」ですよね。サッカーにおける自分達のキャラクターを見事なまでに守り抜いている。誇りを持って。
でもその誇りは、言動に裏付けされているべきだし、努力や成果を伴わない誇りには意味がないと思う。
「イタリアのような国がこういう屈辱を受けるのはおかしい」とイタリア代表団長が言っているようだけど、それじゃ他の国なら、例えば韓国や日本ならこういう屈辱を受けてしかるべきだというのだろうか?
だから、べつにナショナリストだっていいんだ。「祖国万歳」でいいじゃないですか。でも他の国や民族、自分が属さない環を辱めることはないんだ。
自分のアイデンティティを保ちながら、共通の言語を探す。あるいはお互いの存在や価値観を尊重する。これこそが今の「地球人」に求められることなのだと思います。
「共通の価値観」というのは生まれないんだ、と僕は今思っています。そんな便利なものは作れませんよ。EUは通貨ではユーロを「共通の価値」として成功させたけど、ユーロ硬貨だって裏返してみれば、それぞれの国でデザインが異なるんですよね。
唯一の価値観を探し、信じるのではなくて、複数の価値観を許す、認める。この寛容さこそが今世紀を生きる人間達に求められるものなのではないでしょうか。芸術やスポーツには、その作業の中で何か重要な役割を担う可能性を秘めているのだと信じています。大体音楽では「両方勝ち!」というのがありますからね。
(2002.6.23)