指揮者、公演途中で帰る

昨日、アルテンブルクでの「ランメルモールのルチア」2公演目がありました。とても天気の良い日曜日の午後でしたが、とんでもないことが起こりました。指揮者が休憩で職場放棄して帰ってしまったのです。

この公演は、来シーズンから空きの出来る常任指揮者のポストのオーディションをかねていました。いままでもかなりの回数の指揮者のオーディションをしてきたのですが、まだ確定しておらず、やっと3人まで候補者が絞り込まれたところでした。僕もGMDのガブリエル・フェルツに提案したのですが、やはりオーディションだけでなく公演を指揮ししてもらわないと、劇場の常任指揮者としての適正ははっきりわから...


ないのです。

で、この公演、アイルランド人のロバート・フーリアン氏が振ることになりました。そのために一昨日の土曜日は急遽ソリストと合唱がかき集められて音楽稽古がありました。
しかしエドガルドとアリサはゲストなので来られないし、時間もあまりなくて、かなり突貫工事的な稽古でした。僕がこのとき気になったのは、このフーリアン氏、カットについても正確に把握しておらず、また全然稽古でやる気ない感じだったのです。

先々週の常任指揮者のオーディションにも僕は立ち会ったので、彼の指揮ぶりは見ています。僕はオランダ人のアリアを歌ったのです。このフーリアン氏は楽譜をべったりみている感じだったので、彼が選考に残ったと聞いて、僕は「うーん」と思っていたのでした。 あの様子で本番を振られたら、歌手が「伴奏」ならぬ「伴唱」をしなくちゃなりませんからね。

今思えば、彼が稽古でやる気無かったのは、オーディションに通ったかと思ったら突然公演を振ることになって、準備する時間もない上に、この「ランメルモールのルチア」はフランス語版とまぜこぜのかなり変わったバージョンだし、稽古に歌手もそろわないし、あーあ、ってなところだったのかなぁと思います。


本番が始まって、序曲のあたりでモニターを見ていると、前日と同じ人物とは思えないバイタリティーでオーケストラをぐんぐん引っ張っていきます。オーケストラの投票で彼が選ばれたのも納得が行くと、このとき思いました。

で、僕も舞台に。アリアはまぁ問題なく終わり、次の場面でレチタティーヴォの中で、アルトゥーロと僕が声を合わせるところがあるのですが、アルトゥーロがフーリアン氏を見ないで勝手に出ようと息を吸い込んだところで、僕は迷いながらも本能的に彼に会わせて出てしまったのです。もちろんオケとはずれました。まぁそう致命的な箇所ではないんだけど。
そうしたらフーリアン氏、ピットで「やってらんねぇよ」という感じで大きく首を振ったのです。まぁずれたのは悪いし、アルトゥーロが指揮見ていなかったのも悪いけど「あらら、それはないんじゃないかしら、本番中に」と思っちゃいました。僕だけオケにあわせることもできたけど、歌同士がそろわないより、歌がそろってオケとちょっとずれた方がまだましでしょ。
でも、これは序の口で、「ランメルモールのルチア」との二重唱ではもっともっとピンチがありました。芝居的にフェルマータで待ってもらうべきところが結構あるのですが、音楽稽古の時に彼が僕の出を待ってくれたところに関してはいちいち言わなかったのです。でも彼、本番ではどんどん先に行っちゃって、芝居を待たないから、こっちがあわせるしかない。結局本当に「伴唱」になっちゃった。そうしたいなら音楽稽古の時にちゃんと行ってくれればいいのに。

でも僕はあわせられたから良いけど、他の歌手はけっこう大変なことになってました。いつもの指揮者、トーマス・ヴィックラインは良く歌を聴いてくれてあわせてくれる人なので、彼と同じつもりで歌っていたらずれまくるわけです。「うわー」とか「きゃー」とか心の中で言いながら芝居を続けていました。

で、休憩。彼が英語でGMDとオケの責任者とオペラディレクター相手にまくし立てていて、何かと思ったら、昨日の稽古になぜ歌手がそろわないのか、合唱指揮者がなぜ来なかったのか、と文句をつけていたのです。最後には「金のためにこんな環境で振るのはごめんだ。こんなもの音楽じゃない」と捨てぜりふを吐いて帰ってしまったのです。

たまたまか意図的にか、いつも振っているトーマス・ヴィックラインが劇場に来ていたので、彼が続きを振りました。

トーマスは実は来期からクビになることになっているのです。つまりかは彼の後がまのオーディションだったわけで、その尻拭いをするのはさぞかし不愉快なことだったでしょう。でもアルテンブルクの聴衆には人気があるので、彼が後半登場して大きな拍手がおきました。

1週間前にこの解雇に関する裁判が労働裁判所であったのです。トーマスは勤続14年目で、ここでクビにならなければ終身雇用となり、失業の心配しないで暮らせるところだったのにそこでクビになったわけです。ひどい話ですが、終身雇用の労働者が増えると経営者の方がやりにくいという事情と無関係ではないと思います。
でも彼はこの裁判に勝ったので、劇場が控訴しなければ彼は劇場に残れることになります。ただし常任指揮者というポストではないかも知れませんが。

そんななか、この公演を救ったことは多分この彼の状況にはプラスに働くことでしょう。

しかし、稽古で歌手がそろわないなら無理にこの公演をオーディションにしなければいいのにね。結局苦労するのは現場の人間、この場合はいちばん大変な思いをするのは歌手なんですから。

しかし途中で「指揮者が帰ってしまう」という体験は、貴重ですよ、ホント。いや、貴重じゃなくて、稀少かな。
2003年3月17日(月)スクリプトで読み込み

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