うちのオーケストラのチェリストで、マティアス・フォン・ヒンツェンシュテルンという人がいます。3月だったか、カペルマイスター(常任指揮者)のオーディションに、僕もアリアを歌う必要があって参加していました。
そうしたらこのフォン・ヒンツェンシュテルンさんが話しかけてきました。聞けば日本人と家族ぐるみのつきあいがあったとか。
このフォン・ヒンツェンシュテルンさんのお母さんが、戦争の終わりくらいに日本人と特に密につきあいがあったそうです。ベルリンに住んでいた音楽留学生などが首都爆撃を恐れて疎開した田舎でその日本人達の世話をすすんでしたのがこのフォン・ヒンツェンシュテルンさんのお母さんだったそうなのです。もちろんフォン・ヒンツェンシュテルンさん本人も家族ぐるみのつきあいをしたわけです。
そのいくつかの日本人家族の中の一人が、荒谷正雄さんという指揮者でした。僕はインターネットで調べてみたのですが、この荒谷さんという方は北海道の札幌交響楽団を創立して初代の正指揮者に就任された方です。終戦後にロシア軍を恐れてウィーンに逃れていったというお話でした。
その後まったく連絡が途絶えていたのが、フォン・ヒンツェンシュテルンさんの家族で合唱団員として日本に客演旅行をした人が日本で「荒谷正雄という指揮者を知らないか」と聞いて回って、ここで連絡がつき、また手紙の交換などが始まったそうです。
それにくわえて、ちょうど僕達が、日本での仕事を終えて帰ってきたところで、日記にも書いたかも知れませんが、劇場の看板歌手が帰ってきたと言うことで新聞記事が出たのです。こんなことで記事がでるのはゲラが平和な証拠だと思いますが・・・。
その記事のタイトルが「東京からやってきた喧騒嫌いの歌手」みたいなことで、そこに僕が、東京のテンポの速さについていけないと言うことなどを話していたので、いまゲラ郊外の小さな村に住んでいるフォン・ヒンツェンシュテルンさんは、一度田舎の我が家に、と招待してくれました。
ちなみにこのファーストネームとファミリーネームの間にある「フォン」はヘルベルト・フォン・カラヤンのフォンと一緒で、貴族の血が入っていることを表すものです。カラヤンは「カラヤンさん」と呼ばれると返事をしなかったという話を聞いたことがあります。「フォン・カラヤンさん」とよばないといけないわけですね。
3月に誘ってもらったのに、「フィレンツェの悲劇」のプレミエの後も、健登が手術をするとかしないとか、また僕自身も骨を折ったり体調を崩したりして延び延びになっていたのですが、今日フォン・ヒンツェンシュテルンさんのお宅におじゃましてきました。
素敵なところでした!写真を交えて紹介したいと思います。
彼が住んでいる村はキュードルフというゲラから20kmほどの距離にある村ですが、村の全人口は90人!
でもうちから車で30分かかりませんでした。通勤も問題無しですね。
彼の家ですが、これがすごい。
なぜ彼がここに住んでいるかというと、この家に惹かれたからだそうなのです。奥様のアンゲリカさんもマティアスさんも古い家にひかれて、魅力的な物件を暇を見ては物色していたそうです。それでこの家を見つけたわけですが、見つけた当時はぼろぼろの、まさに廃墟だったそうです。
ドイツでは、古い建築物を大事にして、新たにたてるのではなくてうまく修繕して住み続ける人が沢山います。ベルリンで僕らが住んでいた家もいわゆるアルトバウ(古い建築の意味。旧西ドイツの法律では1949年12月31日以前にたてられたもの)で、大家さんがきれいに中を改装していました。
壁が厚い石で出来ているものは、もはや今は作れないそうです。採算が合わないとかで。でももちろん石の厚い壁は断熱性も良いし、天井が高くて雰囲気もあるしいいんですよね。
この彼が見つけた家は、そういう都市部のアルトバウよりずっとふるいもので中世以降に見られるハーフティンバー様式のものです。写真を見ていただければ分かりますが、木の柱、梁、斜材を骨組みにして、その間を煉瓦壁やローム壁で満たしたもので、外からもその柱や斜材が見えて、独特の風貌を持ちます。
僕もこういう家は大好きなんだけど、今は、元がこういう構造の家も改築の時に上から壁をかぶせてなんの変哲もない家になっていることが多いのです。
もちろんこだわりのあるフォン・ヒンツェンシュテルンさんは、その構造を残して修繕に取りかかりました。しかしもう完全に廃墟となっていた上に、当時はまだ東ドイツ時代。ろくに材料が手に入らなかったとか。
大体音楽家のやる事じゃありませんから、周りの人からはかわりもの扱いされたと言っていました。
それでも2年弱でとりあえず2階を完成させて引越し、後は住みながら改築を進めたそうです。
もともとは村の学校にあたる建物だったらしく、2階には先生が住む部屋、1階には授業をする部屋がありました。フォン・ヒンツェンシュテルンさんの場合は、奥様が陶芸を仕事をやっている関係で広めのスペースがあるのがちょうど良いようです。
立派な庭もあって、その庭でお茶をごちそうになりました。
そのあと、近くを散策に出かけました。ヤギや牛、ウマも沢山にいて、ヤギにパンを持っていけば健登も楽しいだろうと言うことで。でも健登が主に引っかかったのはトラクターでしたが・・・。ちょうどトラクターが干し草をひっくり返す作業をしていて、健登の目はそっちに釘付けになっていました。
息子の健登は、ちょうど今農作業の機械に興味を持っていたのですが、ちょうどそれらが路上に放置されているのを発見。すっかりその気になって唸りながら遊び始めました。フォン・ヒンツェンシュテルンさんにきくと、近所のおじさんが、アンティーク好きで、そういうものを集めておいているのだそうです。
「そうか、昔はこういう農機具で作業していたんだなぁ」なんて思っていたら、近くを通りかかったトラクターについていた干し草をひっくり返す機械は、そこに展示して(捨てて?)あったものとあまり変わらない・・・
この農機具を集めているおじさんが、やはり古い建物を改築してその2階はコンサートホールとしても使えるというので、見せてもらいました。これがなかなか素敵なスペースで、フォン・ヒンツェンシュテルンさんは来月ここでタンゴの曲を集めたコンサートをするそうです。
でも、もっとすごいのはこの奥。
このおじさんのコレクションなのですが、まぁアンティーク品の山!まだ時間がなくてきちんと手入れをしていないそうですが、おいおいは博物館みたいにしたいそうです。
日本では古時計の歌が大ヒットしていましたが、そんな歌が聞こえてきそうな古時計もありましたよ。
タンス、テーブル、椅子、ベッド・・・。なんでもありましたが、極め付きは蓄音機!いくつもあって、レコードも並んでいましたが、僕はまさか使える代物とは思っていませんでした。そうしたらおじさんがおもむろに蓄音機の一つの蓋を開け、ネジを巻き始めました。
ちゃんと聴けるんです!しかもね、結構音が良いんですよ!
実は僕はベルリンに住んでいたときに既に蓄音機の魅力に触れる機会がありました。ベルリンに長く住んでいる日本人のコントラバス奏者がコレクションしていたのを聞かせていただいたことがあるのです。
他にあったのは、いろいろな大きさのつぼ、台所用品各種、そう、挽肉を挽く機械なんかもありました。ランプも風情がある素敵なものがたくさんあったし。
そしてそのあと教会や、近くの農場の近くを歩いたのですが、石垣に野いちごがなっていて、フォン・ヒンツェンシュテルンさんに「おいしいから食べてご覧」と勧められて食べてみたら、これが味わい深くて何とも言えない。売っているイチゴより全然味が濃いんですね。健登は最初びびっていたんだけど、一度食べたら「もうないの?」なんて言っていました。
夢のような生活ですよね。「トラウムハフト...(夢のようだ)」を今日は連発してしまいましたが、本当に僕らにとっては夢のような生活をしている人がいるんだなぁ。
オーケストラ奏者とソロ歌手という立場が違うから、もうそこで結構どうしようもない部分はあります。ソロ歌手としてはやはり劇場をうつりつつキャリアを気付いていくのが普通だし、オーケストラ奏者としては仕事上満足がいく職場であればそこでずっと弾いていくのが普通でしょうからね。もっともソロ歌手でも同僚のベルンハルト・ヘンシュ(僕とダブルキャストでオランダ人を歌っている)の様に、15年勤め上げて終身雇用となり、郊外に家を買って・・・と言う人もいるけど、やはり外国人として僕はここに骨を埋めるというわけではないですからね。
でも憧れるなぁ、こういう生活。
(2003.6.2)