お疲れさま、ダヌータ

昨日、アルテンブルクで「ランメルモールのルチア」の最終公演がありました。最初の予定では、「ランメルモールのルチア」は来シーズンにも持ち越されて公演を続けるはずだったのですが、資金の問題で急遽今シーズンもう一度追加公演を行って、それでおしまいと言うことになりました。結構沢山エキストラの合唱が参加していますので、そのコストだと思います。


この「ランメルモールのルチア」のプロダクションは、ほとんどの役がシングルキャストで、僕はルチアの兄、ヘンリー・アシュトン卿を歌っていますが、タイトルロールのルチアはポーランド人ソプラノのダヌータ・デプスキーです。
彼女は、僕と一緒に2000年の8月からこの劇場に入ってきました。これで3シーズン目なわけですが、これが彼女の最後のシーズン、そして昨日の「ランメルモールのルチア」が彼女の最後の本番と言うことになりました。劇場側から来シーズン以降の契約を更新されなかったのです。

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もともと僕とダヌータが入ったときは、劇場の首脳陣全体の入れ替えで、Intendantwechsel(インテンダントの交代)と言いますが、これによって劇場の方針が大きく変わることがしばしばです。うちの劇場の場合は、今のインテンダントになってから経営方針はかなりいろいろな面で突き詰めてスリムになり、公演数は減らしたのに観客動員数は増えるなど、経済面でも、また芸術面でも多くの成功を収めてきました。僕は劇場首脳陣の中のGMD(音楽総監督)に就任する予定だったロルフ・ロイター氏に招かれてオーディションを受け、契約に至ったのですが、このロイター氏自身がオーケストラと折り合いが悪く、就任せずにGMDが空席のまま2000/2001年のシーズンを始めたというハプニングもありました。僕は自分を招いてくれた人がいなくなったことで不安なスタートでしたが、2シーズン目からGMDに就任したガブリエル・フェルツが素晴らしい指揮者ということもあり、目下のところ快適な劇場生活を送っています。
そしてこのインテンダント交代の時に専属歌手は大きな入れ替えがあり4人の新しい歌手をとりました。僕とダヌータ、そしてテノールのオマール・ガリード=メンドーサ(メキシコ人)、ソプラノのザビーナ・マルティン(スイス人)の4人です。
オマールは、最初のシーズンにリゴレットのマントヴァ公爵を歌うことになっていましたが、そのプロダクションでは降板となり、2シーズン目は、まだ2年契約の途中でしたが自ら契約を解消して出ていきました。その後もフリーの歌手としてゲスト扱いでうちの劇場には歌いに来ています。「ランメルモールのルチア」ではルチアと結婚して結婚式の晩に殺されてしまうアルトゥーロを歌っています。
テノールというのはとにかく希少価値がありますから、専属として大きな役を歌うより、小さな役をあちこちでゲストとして歌う方が、収入の面から言っても得策だと考えたのでしょう。
ソプラノのザビーナは、僕がリゴレットを歌ったときのジルダでした。ダヌータもそうなんだけど、プリマドンナ気質というか、ライバル意識むき出しの人で、ダヌータとは最初から火花を散らしていました。で、2シーズン目の最初の演目「ドン・ジョヴァンニ」で、ダヌータがドンナ・アンナで自分がツェルリーナというのが気に入らなかったらしく、首脳陣ともめにもめて、挙げ句の果てには小さい役を歌いたくないがために休暇を取ろうとしたり仮病を使ったりしたのがばれて、2シーズン目の途中でやめていきました。
てなわけで、僕とダヌータだけがその「同期組」で残っていたのです。そのダヌータも今シーズン限りでやめるので、来シーズンには新顔の中で残っているのは僕だけという事になります。プライベートでも結構つきあいがあったし、登紀子と健登とも仲良くつき合ってくれたのだけれど、やはり職場で共に「闘って」きたダヌータがやめてしまうのはとても寂しいです。
どうして彼女の契約が更新されないかというと、劇場からの理由付けは能力的な問題です。「ランメルモールのルチア」では頻繁にスタンディング・オベイションが起こるし、彼女の超高音は本当にすごい声です。ただ高い声が出るんじゃなくて、太さと輝きを兼ね備えているのです。彼女がいろいろなものを歌うのを聞いたけど、ハイFでもハイ Esでも外したのを聞いたことがないし、ドラマティックソプラノの高音のような凄味があるのです。こういうドラマティック・コロラトゥーラはなかなかいないのです。
問題はまぁ、中音から低音にかけて弱いこと(でもあれだけ高音が強いんだからお釣りが来ると思うけど)と、その弱い音域で音程が悪くなることがままあること、そして演技力かなぁ。そして、これがネックなんですが、性格。
良いやつなんだけど、プリマドンナなんです。そして芝居のセンスは、僕からするとかなり大時代的というか、古き良き時代のイタリアオペラみたいな感じで、まぁ「私は歌手なのよ」ってとこなんでしょう。でもうちの劇場は、ベルリン・コミシェ・オパーの流れを汲む、いわゆる「ムジーク・テアター(音楽劇場と訳しておきましょう。つまりは音楽の芝居の部分をかなりクローズアップするやり方です)」を目指すもので、ストレートプレイの役者並みの演技力を要求されているのです。ダヌータの好きな、両手を広げて朗々と歌うというスタイルは受け入れられないわけで。
そして、何かその辺でコンフリクトが起こると、プリマドンナ気質にターボがかかっちゃって、演出家の指示を本番で意図的に無視したりすることも出てきて、最終的には契約を更新されないという事になってしまいました。
僕は稽古場でそう言う光景を見るにつけ「妥協しろよ〜」とか「時と場合を考えて発言しろよ〜」とか思っていまして、友人としても時々本人にも苦言を呈していたんだけど、彼女にとっては自分の自尊心の方が大切なようで、聞く耳持たなかったのですね。
そして昨日の「ランメルモールのルチア」最終公演。ダヌータは稽古でも「狂乱の場ではアンコールをやらせてもらう」とか無茶を言いだしてまわりを困らせていたりもしたのだけれど、劇場を去る寂しさとかセンチメンタルな感情は出すまいと振る舞っていたようでした。人によっては、彼女がそんな感情を持ち合わせていないと思っている人もいると思います。でもそうではないことは、僕は一応友人だからわかる。
最後まで我慢していたんだけど、最後のカーテンコールで、やはりスタンディング・オベイションになって、オペラディレクターや劇場の友の会のメンバーからの花束贈呈があったりしたこともあるけど、すごく長いカーテンコールになったのです。そして最後にはやはり泣いていました。ぼくは例によってもらい泣きしそうになったけれど、なんとか堪えました。
ダヌータの涙を見てしみじみ思ったこと。
ダヌータはそのプリマ気質のせいで諍いを起こしたし、敵も沢山作った。彼女のことを悪く言う人は沢山います。そして自分の自尊心のために職を棒に振ったわけで、僕にしてみれば、それはとても馬鹿馬鹿しい事に思えていました。
僕にとって受け入れがたかったのは、ダヌータが自分が拍手をあまりもらえなかったときに、その時に来ていたお客さんを責めたことです。つまり自分が拍手をもらえないのは客の耳が悪いのだと。僕はこれにはずいぶん反発したけど、彼女が自分の考えを変えるわけもなく。
でも、あの涙を見てなんだかすーっと僕の心に入ってきたメッセージは、それでもダヌータは全て本気でやっていたんだなぁと言うことです。もし彼女がとった行動が賢い行動でなかったにしても、適切でなかったり、他の人に不愉快な思いをさせたことがあったとしても、彼女を突き動かしていた衝動は、生の、本当の感情で、彼女にはそうするしか方法がなかったんだなぁと、そう思ったのです。腑に落ちたというか、納得したのです。
しばらくはバイエルンの我が家で、旦那さんのもとで静かにこの3シーズンで酷使した体と喉を休めるのでしょう。お疲れさま、ダヌータ。
(2003.7.4)

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