本当にひどい目に遭いました。掲示板で少しぴかチュウままさんが書いてくれていたけど、真夜中に6時間も立ち往生してしまいました。
月曜日にオーストリアのインスブルックに行かなくてはいけなかったのです。ドイツ国境から比較的近いので、大体ゲラからは550km。日曜日のオランダ人の本番は昼の公演でしたので、その後に一杯紅茶だけ飲んですぐ出発しました。
実は金曜日くらいからのどの痛みがあって、まぁ風邪だったんですが、さんざん考えて、やはりオランダ人の本番は歌うことに決めました。今から考えると、この時点でもうこの一連の「ひどい目」は準備されていたのかも知れない・・・...
。
風邪をひいているというアナウンスを入れてもらって、指揮のガブリエルも僕の体調を気遣って早めのテンポで振ってくれましたし、なんとか無事に公演は歌いきりました。
オランダ人を歌った後に550km走る自信もなかったし、大体300km走ったところにある、ドライブインのホテルに宿泊。ここは前に通りかかって良さそうだったので、電話して予約しておきました。
そして月曜の朝。雪でドイツ各地で交通大混乱。そして僕が走っていたA9という高速では、僕が泊まったHolledauというところからちょうど34kmの渋滞が始まっていました。約束に間に合うか?
でもなんとか通常の倍の時間かかってインスブルックに到着。やれやれ。
インスブルックでの滞在は約3時間。早く帰りたかったので、食事もせずにすぐに出発しました。
どうせ渋滞もあるし、途中で休憩したときに食べればいいと思って。
まぁ雪が降っていたので、早くは走れませんでした。場所によっては車線も前の車も何も見えない状態で約40kmのよちよち歩き状態で走るところも多かったのですが、10km以上の渋滞はなくて、大体通常の1.5倍くらいの時間をかけて、ゲラまで30kmのところまで来ました。もしかしたら健登が寝る前につくかな?とか思ったりして。
そしてここで完全にストップ。夜の9時でした。一番右の車線に連なっていた大型トラックの群を横目に走ると、全部の車線が止まっているところまで来ました。誇張でなくて100台くらいの渋滞中のトラックを抜いてそこまで来たと思います。
そこから6時間・・・・。でもね、誰も何も状況を知らせてくれないんですよね。10分後に走り出すのか朝まで待つのかわからない状態での6時間待ちは本当にきつかった。
ADACという、日本のJAFみたいな組織があるんだけど、そこの交通情報に電話しても「渋滞があること以外は一切情報がない」という始末。あーあ。
勿論マイナス5度では暖房を止められない。悪かった喉の調子はもう最低の状態になりました。
僕はもう水も食べ物も一切ない状態でしたが、まぁ逆にトイレに行きたくならないで済んだからよかったかも知れない。
笑ったのは、作業が終わったのか、朝の3時半に道が通れるようになって、パトカーが眠っているであろうドライバーを起こすためにけたたましくサイレンを鳴らした時。
寝ぼけた人が多いのか、対向車線に止まったパトカーがならしているのに、なんとかよけて道を作ろうとしたり、パトカーが来たから動いちゃ行けないと思ったのか、他のドライバーが早く帰りたがっているのにいっこうに動こうとしない人とかもいたりして。
まぁ希有な体験でした。
2003年12月15日(月)スクリプトで読み込み