順調ですね。ダメ出しもえらい少なかった(これはこの演出家の場合、きわめて珍しいこと)。今回の「椿姫」プロダクションに関してあまり書いていないと思うのですが、今回、僕はジェルモンだけでなく、ドビニー侯爵も歌わねばなりません。最初の話ではジェルモンだけだったんだけど、僕が6月殆ど日本に行くことになっていて、その間にジェルモンがいないと稽古にならないという事で、ドビニー侯爵に予定されていたベルンハルトがジェルモンも歌うことになり、彼がジェルモンを歌うときは僕がドビニーを歌うと言うことで決着したようです。ベルンハルトがジェルモンのカバーを希望したという話も聞いたけれど。
で、先週一杯、そのベルンハルトが風邪で休んでいたので、ぼくは稽古の中で両方の役をやらねばなりませんでした。この二つの役は殆ど同時に舞台に出てこないので、稽古で両方やろうと思えば出来ないことはなく、BO(舞台オーケストラ稽古)は音楽重視の稽古なので、一応歌った方がオーケストラのためにも良いと言うことで、両方やる羽目になりました。やれやれ。
もちろん昨日からは片方の役だけ。昨日はドビニーを歌い、今日のHP、明日のGPはジェルモンです。そしてプレミエもジェルモン。
このジェルモンは、もう3度目のプロダクションで、こんなに何度も歌った役はヴェルディではジェルモンだけです。プラハ国立歌劇場、千葉市民オペラ、そして今回。それぞれかなり違ったキャラクターだったけど、今回が一番極端かなぁ。方向としては僕の考えに一番近いけれど。
回り舞台を使った装置で、1・2幕2場と2幕1場・3幕では装置が裏返しになります。
基本コンセプトが、簡単に言うとヴィオレッタの夢というか幻想というか。1幕はいきなり路上なんです。パーティーは路上で、ショーウィンドウから人形(マネキンか)が飛び出してきます。
最後に死ぬところも路上で、アルフレードやジェルモンなどの他の人物は、ショーウィンドウから出ないで歌います。舞台上で生身の人間として動くのはヴィオレッタのみ。
一番最初の前奏曲では死ぬときと同じ場所で座り込んでいて、1番のナンバーが始まると急に明かりが変わってパーティーが始まると言うことで、つまりは死の直前に回想するのがこのオペラと言うことかな。
最後のシーンでは僕は生身でないわけで、でも「後悔」を歌わねばならない。でも幻想、あるいは人形なので、感情込めて歌うと言うわけに行かないとあり、音楽的にも少しあっさりするのですが、演出によって音楽が規定されるというのは僕は好まないので、一度反論しかけましたが、今回はやめました。タイトルロールでもないし、この状況の中で自分の出来るベストの仕事をしようという感じです。
この間、幼稚園友達(?)のゲッツ家から、庭に生えているザルバイ(サルビア)の葉っぱをもらってきました。ザルバイ茶が登紀子の口内炎によく効くのです。喉の痛みや咳、胃の痛みにもよく効くようです。売っているのを買って使っていたけど、自分のうちの庭でとれるなんて・・・
で、早速いれてみました。いい香り。効果もばっちりだったようです。
2004年9月14日(火) No.341