リーダー・アーベントのGP

今日は金曜日のリーダー・アーベント(歌曲の夕べ)のGP(ゲネプロ、総練習)でした。コンサートが行われるゲラの劇場内のコンサートホール・フォワイエで、ベーゼンドルファーのグランドピアノで通し稽古をしました。
このフォワイエは、とても残響が豊かなんだけど、お客さんが入ると今度はかなりデッドになるので、今日の響きと本番の響きが変わることは覚悟しておかなくちゃいけない。前にサイトにも書いたと思うけど、去年7月にやった東京でのリサイタルでも、この残響の違いには驚かされたので、今度は二の舞を演じないようにしないとね。


でも、やはり狭い部屋であわせとしているのとは違って、空間に広がりがあるというのは良いものです。自分の声とピアノの音が空間に満ちている感じが得られると大変幸せな気持ちになります。


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解釈的には問題はもう感じないんだけど、ピアニストのハイニッヒさんとはまだつきあいが浅いし、まぁ結構あわせはやったんだけど、まだテンポがしっくり来ない曲もいくつかあってね。まぁ明後日どうなるか。
ハイニッヒさんは、このコンサートの批評が新聞に出ることを強く希望していて、僕にも色々なところに働きかけるべきだというのだけど、僕としてはまぁ良い演奏が出来ることが第一だし、大体今回は劇場のための寄付を集めるという具体的な目的があるチャリティー・コンサートだから、まぁあまりそういうことは考えていなかったんですね。
事前の宣伝記事が出るという話は聞いていたので、それをハイニッヒさんに言ったら、彼の中でどうもそれで話が大きくなってしまったみたいで、今日も稽古の前に、新聞社に電話をしてくれと言うのだけれど、それははっきり断ってしまった。歌手というのは結構練習前には(特にこういう本番の場所での通し稽古なんかでは)神経質になるものだし、大体、練習へ向かって集中しようとしている瞬間にそういうこと言われると、ねぇ?
まぁギャラもないチャリティー・コンサートですから、良い批評記事くらい出て欲しいという気持ちは分かります。僕は今歌曲の演奏機会に飢えているから、ノーギャラでも喜んで引き受けたんだけど。大体劇場の椅子のためですしね。
うちで新聞見てみたら、宣伝記事は今日の新聞に出ていました。


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プログラムの前半にある、R.シューマン作曲のリーダー・クライス作品39という曲は、もうずいぶん何度も歌っています。ピアニストのアンドラーシュ・シフのレッスンをこの曲で受けたときの印象は鮮烈で、これが僕の解釈の根本に大きな影響を与えました。
僕はバリトンだから、作曲されたそのままの高さでは歌えない。これはテノール、ソプラノのために書かれた曲ですから。でも、歌曲というのは多くの場合、移調、つまり曲の高さを変えて演奏されます。で、僕も下げて低くしたものを歌うんですが、バリトン用の楽譜を買うと、その出版社の判断で高さを決めてあるのですね。当然だけど。
でも、このリーダークライスでは、このバリトン用の楽譜は問題があります。
リーダークライスというのは訳すと「歌の環」という意味です。12曲からなる歌曲集ですが、どの曲も調性(ハ長調とかヘ短調とかそういうやつです)的に関連が深く作曲されていて、最後に12曲目で再び1曲目の調性に戻るのです。つまり「環」が閉じるわけですね。
でも一番多く使われているペータース版のバリトン用の楽譜ではこの調性の関連が全く失われているのです。なぜなら曲ごとに下げる幅が違っているからです。これでは12曲が一つの作品になり様がない。「環」が閉じないわけです。
それで、12曲全部を同じ幅だけ下げるようにするのですが、こうするとよりによって声楽的に一番難しい曲をペータース版より高く歌わなくてはいけない。きつい!
でもシフのレッスンでこれをやって、その講習の最後の発表会で全曲演奏して、この方法の価値と意味が強く実感出来たので、どうしてもこれで行きたい。
このやり方だと、一曲一曲のキャラクターがはっきりする上に12曲としてのまとまりが出来る。聴いた感じとして、12曲が一曲なんだ!と思えるのです。これはお客さんの声としても聞こえてきたことなので、この効果は間違いない。
もう人前で歌うのがこの曲は4回目だからね。良い演奏にしたいです。

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