色々な目の前のことに追われているうちに、このコンサートの日が来てしまいました。準備を早めに始めておいて本当に良かった。アルテンブルクの室内コンサート(Kammerkonzert カンマーコンツェルト)シリーズの中で行われるもので、僕が思うに、歌曲だけのコンサートがこのシリーズで行われるのは珍しいのではないかと思います。一つのコンサートを構成するだけの歌曲を準備するのはかなりの時間と手間、熱意を必要としますからね。・・・前にも書いたとおり、歌曲への愛を何年もの間閉じこめておいた感じの僕にとっては、今はいくら歌っても足りないくらいの感じで、2月に行ったコンサートとは全く違うプログラムですが、もう次のプログラムを組みたい気持ちになっているくらいです。
ドイツで歌う、ソロのリーダー・アーベント(歌曲の夕べ)はこれが二回目という事になりますが、今回はハインリッヒ・ハイネの詩、ローベルト・シューマンの作曲による歌曲を集めました。前半がリーダー・クライス作品24,後半が詩人の恋。この詩人の恋という曲は、僕にとっては特別な意味を持つ歌曲集で、もちろん意気込みも特別のものがあります。
というのも、僕が初めて聞いたドイツ歌曲というのがこの詩人の恋だったのです。演奏者はヘルマン・プライとカール・エンゲル。高校生の頃で、オペラを音楽部の公演で歌って、「芸大に行くぞ!」と鼻息を荒くしていた頃です。
このプライの歌いぶりがすごくてね、なんだかハンマーで頭をガチーンと殴られたようなショックを受けたのを良く憶えています。カール・エンゲルのピアノも繊細ですごく良かった。最近になって師匠の原田茂生先生から「このペアの『美しき水車小屋の娘』が最高の『水車小屋』だ!」というお話を伺って、録音も頂いて聞いたのですが、若々しくて素晴らしかった。
さて、この日のコンサートは、舞台に客席を作って行われました。ハイツハウスという100人くらいはいる小さなコンサートホールはあるのですが、ここは音響がすこぶる悪い上にピアノが良くない。なので、別の可能性として提示された、舞台上でのコンサートをすることにしました。
僕らが劇場にはいると、ちょうど今日の昼にあったオーケストラ伴奏のコンサートの舞台をばらしているところでした。18時に僕らの舞台が組みあがって音響チェック。デッドではあるけど、意外に悪くない。
歌曲の場合は、デッドな音響は場合によっては悪いことではないのです。響きすぎると言葉が聞き取れない。歌曲ではダイナミックレンジがオーケストラ伴奏の時とは別の意味で広いから、残響が長いとじゃまになることもあるのです。
2月のリーダー・アーベントが終わってから、さらなる技術の鍛錬を続けてきて、今回は弱声の表現に前回よりさらに踏み込めそうだから、超弱声を使おうとする時にこういう音響は悪くないんじゃないかと思いました。
お客さんも思ったよりたくさん入って、テーブルもあって、飲み物を片手に和やかな雰囲気ではじまりました。実はこの来客数に関して、僕らは賭をしておりました。僕らというのは僕と嫁さんと、今ゲラに遊びに来ているソプラノの森川栄子さんですが、最終的には僕の勝ちでした。・・・賭の詳しい内容などはナイショですが。
リーダー・クライス作品24をまず歌ったのですが、これは12年くらい前に一度コンサートで歌っております。ミュンヘンでのハンス・ホッター先生の歌曲マスタークラスを受講したメンバーが東京でコンサートを開いたのです。ピアノはそのマスタークラスで弾いてくれたヴォルフラム・リーガー氏がドイツから来てくれました。彼は素晴らしいリートピアニストとして、今は世界中で活躍していますね。トーマス・ハンプソン、バーバラ・ボニーなどのパートナーとして有名かも知れない。ボニーのパートナーという意味ではデヴィッドのライバルとも言えるのかな?
この時は僕は、デヴィッドの声楽技術と知り合う前だったし、なんだか思い入れと思いこみだけで歌曲と格闘していたように思います。思いこみも大事なんだけど、思いこみだけだと何とかなることと何とかならないことがあるし、何よりやっている方がつらいんですね。思い描いているような音色がでないから。
この曲は詩人の恋ほど頻繁に演奏されませんが、素晴らしい歌曲集で、僕がベルリンで歌曲のレッスンを受けていたギゼラ・アンドレアスは「小さな詩人の恋」と読んでいました。確かにそんな感じ。ストーリー性があって、恋する若者が失望して行く様がはかなく描かれています。
大体思ったような演奏ができたかな、と思って休憩。で、後半はいよいよ詩人の恋。
詩人の恋ってね、1曲目が難しいんです、声楽技術的に。高い音域での弱声が歌いにくいフレーズの最後にあるのね。だから、これがうまく行けばその後もうまく行くだろう、みたいな、試金石的な意味がある一曲目ですが、なんとかうまく行って、3年前の詩人の恋では使えなかった繊細な音色が使えるようになっている事を実感しつつ歌っていきます。これは気持ちが良かった。「ああ、こういう音色で歌いたいって、ずーっと思ってきたんだなぁー」と思いながら歌っておりました。
この詩人の恋では、リーダー・クライス作品24と違って、恋に落ちたところから始まって、最初は恋が成就して、それから失意がやってきます。その後、恋しい娘は他の男と結婚してしまうのですが、そのあたりから曲想に「狂気」の色が入ってきます。曲で言うと9曲目(「あれはフルートとヴァイオリン」)くらいからですね。そして、11曲目(「ある若者がある娘に恋をして」)は、まるで人の事をお話で語るように若者の恋について語っています。
「ある娘が好きな若者に振られて、やけになって他の若者を選んでしまって、その娘を好きな別の若者は大いに嘆いた。これは単なるお話しだけど、本当にこんな事が起こったら心が張り裂けてしまうよ」と言うのが大意ですが、ほとんどの場合は、この曲だけ詩人の恋の中で流れから外れて、本当に「お話し」として歌われているように思えます。
が、これはパロディー化されているようでいて、僕の考えではやっぱり1人称で歌われるべき歌なんですね。これがどうもここ数年引っかかっていて、何とかしたかった。で、3月だったかなぁ、ひとつ「これだ!」と思えるやり方に行き着いて、今回はそれで行きました。これで詩人の恋が一つの一貫性を得たと思います。
2月のリーダー・クライス作品39は調性の一貫性を重視する事で、音楽的な一貫性がきちんと出せたし、やっぱり歌曲集を歌曲集として演奏する時はこういうの大事だなぁと思います。
で、12曲目からははっきりと狂ってきて、そこでまた弱声が効果的に使える箇所が多くある。その辺もうまく行って、僕の集中力の高まりと呼応して、お客さんの集中力がぐーっと高まってきた事が良く伝わってきます。こういう時は曲間の間の取り方がすごく大事ですね。
誰かが指揮者のサヴァリッシュさんについて「曲間の間の取り方をこれほど絶妙にやる指揮者は他にいない」と言っていたのだけど、本当にこの人はすごい。まさに0.1秒早くても遅くても、この雰囲気は出ないよなぁという、ここしかあり得ないと言うポイントで次の曲を始めるんですね。僕も曲間の緊張の取り方によって演奏そのものや客席の緊張感が大きく左右される事は経験から知っているので、これは大事にしています。
お客さんが、言ってみればみんな「ダンボの耳」になってきたのを感じたので、そこで曲間を微妙にずらして、当たり前の曲間のリズムでなく、ちょっと虚をつくようなタイミングで曲を始めたりして、それもうまく行ってどんどんお客さんとの一体感が強くなってきました。
こういう空気って、本当にたまらないですね。やっぱりこれって双方のコミュニケーションだと思いますよ、コンサートって。去年の東京でのリサイタルで始めて感じたんだけど、この空気がたまらなくて、またリサイタルやりたくなると言うのがあります。
で、のってきたぞーと思った14曲目。前奏がない曲なんだけど、急に頭が真っ白になってしまった。最初の単語が出てこないんです。次の言葉からはわかるし、市の流れもわかっているのに、最初の単語だけ思い出せない。これが途中の単語だったら、歌い出せば出てくるだろうと思って演奏を始めたかも知れないんだけど、最初の単語だったので、しばらく思い出そうと思案。
せっかくここまでばっちりコントロールしてきた曲と曲との間が、ここで切れてしまうけど、言葉が出てこないから仕方ない。しばらく考えてみてもまだ出てこない。仕方なくピアノの片野さんに小声で「次の頭、なんだっけ?」と聞くと、どうやら音程がわからなくなったと思われたらしく、ピアノで音をくれてしまった。音はわかってるんだけど・・・。でも、そんなに大声ではっきりしゃべるわけにも行かないし、もう一度ぼそっと聞いてみる。それで通じて教えてもらった。「Allnaechtlich(毎夜)」・・・そうだった。
再開しましたが、さっきまでの流れはやっぱり切れてしまった。ちょっと残念・・・。
でも最終的にはうまく行って、アンコールも4曲演奏。そのうち3曲は日本歌曲でした。僕は今までほとんど日本歌曲を歌ってこなかったんだけど、そろそろちゃんと取り組まなくちゃなぁと思っていて、一応日本人二人でコンサートするわけだから良い機会かと思って歌いました。
平城山、さくら横町、落葉松。そして最後はシューマンに戻って「献呈」。
さくら横町を普通はバリトンが歌わない事は重々承知の上だけど、ここで僕がさくら横町を歌っても文句を言う人は一人もいない。
ピアニストの片野真子さんは、僕と同じくベルリンの音大で勉強した人で、結婚してからご主人の仕事の都合でアルテンブルクに住んでいらっしゃいます。今までもつきあいはもちろんあったんだけど、一緒にコンサートをするのはこれが初めてでした。日本人らしい繊細さと、ドイツっぽいダイナミックさを兼ね備えていて、とても良かった。長い期間稽古を一緒にさせてもらったけど、僕のやりたい事をすごくよくわかって下さって、本番をとても気持ちよく歌えました。
結構、本番の間まで「戦い」の様相を呈するコンサートって、結構ありますからね。歌曲の場合は、歌手の人間的な本音、真実にフタをして演奏するのが不可能なので、歌曲の本番でピアニストとの駆け引きを考えなければいけないのはかなりつらい。
真子さんの場合は、僕のやりたい事をわかってくれている事がはっきり僕も実感出来ているので、すごく安心だった。