健登の誕生日にやった人形劇

これは、嫁さんが人形も手作りして上演した人形劇です。オリジナルはドイツ語なんだけど、僕が日本語に訳して写真と一緒に紹介したいと思います。


この人形達、ちょっとぼけた感じがするかも知れませんが、これがヴァルドルフ幼稚園で使うMaerchenwolle(メルヒェンヴォレ)という材料で作られた人形達なんです。メルヒェンヴォレというのは紡がれていない羊毛です。羊毛を洗ってメルヒェンヴォレにする工程もヴァルドルフ幼稚園ではカリキュラムに取り入れて子どもにも一緒にやらせたりします。
メルヒェンというのは聞いたことがある方も多いかと思うけど、ドイツ語で「おとぎ話、童話」という意味です。ヴォレは「羊毛」ね。

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このメルヒェンヴォレに色を付けたものが手にはいるので、それを使って人形を作るわけです。去年の健登の誕生日パーティーでは人の人形をたくさん作って人形劇をやりました。今回は動物たち。
大事なのは、あまり具体的な顔などを作らないこと。大体ヴァルドルフ幼稚園にある人形達には顔がないのです。顔の部分は子どものイメージの中で、想像力で補われていくのです。
最初は顔がない人形は気持ち悪いという人もいるようだけど、慣れてみるとかわいいもんですよ。逆にすごく生々しい顔がついている人形の方がちょっと気持ち悪いなぁと思ったりする。まぁ好みの問題と言われればそうなんですけど。
でも、すごくリアルな人形って怖い感じがする、と思ったことがある人って少なくないと思うんですね。そんな感じかなぁ。
さて、この人形劇ですが、人形以外にも色々手作りです。
舞台に使われているのは、これもヴァルドルフ幼稚園で良く使う絹の布。布って色々な使い方で色々な遊び方に使えます。健登は青い布を海にしたり、緑を畑にしたりしてよく遊んでいます。赤はたき火になったりね。
その布で情景を大まかに作って、あとは小道具の、麦の穂、麦の粉、パン、水車など。水車は僕が作りました。パンは、登紀子が焼きました。健登も手伝ったかな。
読んで頂ければわかりますが、このお話のミソの一つは「分け与える」というところにあって、人形劇のあとに、たくさん焼いた小さな小さなパンをみんなに健登が配りました。

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アヒルとガチョウが二羽で散歩していたところにあとからニワトリが加わりました。ニワトリは地面をガリガリ掻いて、落ち着きません。一日中何かやることがあるのです。

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突然、ニワトリがとても喜んで大声で言いました。「麦の穂がわらの中にあるよ!」
するとアヒルとガチョウも喜んで「麦の穂か・・・?」「うーん、それはおいしそう!」

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ところがニワトリは「穂はまず脱穀しなくちゃ。誰がこの麦の穂を脱穀屋さんに運ぶ?あそこに脱穀屋さんの家があるよ」

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アヒルは「僕は時間がない」と言い、ガチョウは「僕にはこの道は遠すぎる」といいました。
そこでニワトリはこの麦の穂をとって出発し、すぐに脱穀屋さんのところに着きました。脱穀屋さんはその麦の穂を脱穀してくれて、ニワトリは麦粒をもって帰りました。
すぐにアヒルとガチョウが来て、「これはニワトリさん、君は麦粒を持っているね!」「僕らはずっと君のことを待っていたんだよ。僕らにも少しおくれよ」
ところがニワトリは「麦粒はまず、挽いて粉にしなくちゃ。誰がこの麦粒を粉挽き屋に運ぶ?あそこに粉挽き屋の水車小屋があるよ」
アヒルは「僕は時間がない」と言い、ガチョウは「僕にはこの道は遠すぎる」といいました。
そこでニワトリはこの麦粒をもって出発し、すぐに粉挽き屋さんの水車小屋に着きました。粉挽き屋さんはその麦粒を挽いてくれて、ニワトリは麦の粉をもって帰りました。

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すぐにアヒルとガチョウが来て、「これはニワトリさん、君は麦の粉を持っているね!」「僕らはずっと君のことを待っていたんだよ。僕らにも少しおくれよ」

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でもニワトリは言いました「小麦粉はまずこねなくちゃ。誰がこの麦の粉をパン屋さんに運ぶ?あそこにパン屋さんの家があるよ」

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アヒルは「僕は時間がない」と言い、ガチョウは「僕にはこの道は遠すぎる」といいました。
そこでニワトリはこの麦の粉をもって出発し、すぐにパン屋さんのところに着きました。パン屋さんはその麦の粉でパンを焼いてくれて、ニワトリはパンをもって帰りました。

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すぐにアヒルとガチョウが来て、「これはニワトリさん、君はパンを持っているね!」「僕らはずっと君のことを待っていたんだよ。僕らにも少しおくれよ」

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でもニワトリは言いました。「その前にテーブルの準備をしなくちゃ。誰がテーブルとお皿を用意する?」

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アヒルは「僕はそういうの苦手だ」と言い、ガチョウは「僕は召使いじゃないよ」と言いました。
そこでニワトリは皿を持ってきて、テーブルの準備をしました。
すぐにアヒルとガチョウが来て、「テーブルの準備ができたのかい?うーん。これはいいねぇ。」「焼きたてのパンはなんと良い匂いがすることか!うれしいね、さあ一緒に席につこう」「僕らは長いこと待っていたんだ。さぁ食べようじゃないか!」

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ニワトリはそこで尋ねました。「一体どうしてそうはいくもんか。君たちは全然一緒に働かなかった。手伝うって事は君たちにはどうでも良いことだったんだね。そして食べる時だけ僕のところに来るのかい?」
「でも・・・これは君たちは考えなかったことかも知れないけど、働くのは僕には楽しかったんだ。だから僕は君たち二人をお客さんとして招待するよ。一緒にこのパンを分け合って食べようじゃないか。」
もちろんアヒルとガチョウは喜んで「パンを分けるって!」「うーん。そりゃ良い考えだ!」こうしてアヒルとガチョウ、ニワトリは楽しくごちそうを味わって、このお話もここでおしまい。
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写真を見ていただければわかると思うんですが、人形がシンプルなだけでなくて、劇としてもリアルではありません。今回は練習を見ていた健登が「僕がやる!」と言いだしたので、登紀子が読んで、健登が人形を動かしましたが、大人が動かす場合でも、読んで、動かして、また読んで、と言う風に進行します。勿論操り人形みたいなやり方もあるんだけど、こういうシンプルなやり方でも、子どもは驚くほどの想像力を発揮して、どんどん物語の中に入っていきます。
結構、僕にとってはこのお話の結末、意外な感じがするんだけど、たんなる勧善懲悪でなくて、仕事をすることが楽しかったこと、そしてみんなでパンを分けること、この辺には結構深い哲学がかくされているように思います。
(2005.05.13)

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