風車と水車小屋の娘の話

今日は、ドイツで全国的に「風車の日」だそうです。知らなかった。まぁ知らないですよね、風車と関わりがないひとであれば。


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最近出番が多いですが、友人のゲッツ家の人々から誘われて、「風車祭り」に出かけました。ゲラの近郊に、風車を移築して博物館のように保存してある街があるのだそうです。
年に一度のお祭りだから、すごい人出でした。今日はPfingstmontag(プフィングスト・モンターク 聖霊降臨祭翌日の月曜)で祭日ですからね。天気も良かったし。


イェルクの先導で車二台で行きましたが、まさにドライブ日和でとても気持ちが良かった。
かつてビールを醸造していた地下室なども展示していて面白かったですよ。


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風車小屋の中にも入って、色々説明を聞いたのですが、面白い話を聞く事ができました。風車小屋の機能の説明、移築の時の経緯とかそういう話のあとに、説明係の人が「Die schone Muellerin(ディー・シェーネ・ミュッレリン/美しき水車(風車)小屋の娘)って知ってますか?」とみんなに質問したので、僕が「シューベルトのですか?」って聞いたら、顔が「?」になってしまった。
彼の説明は、風車小屋が使われていた当時の社会事情についてで、つまり風車小屋でその土地の農夫の作物を集めて加工していたわけで、風車小屋がいくつもあるわけでなし、風車小屋を持つという事は、経済的に社会的にも利益が大きかった。
で、農村の中に位置するので、風車小屋の息子は農家からお嫁さんをもらう事になるわけですが、この風車小屋の息子に選ばれて風車小屋に嫁げば、経済的にも社会的にも豊かな生活が送れるという事になります。経済的に豊かな分、その土地で困った人を助けたり、ある種「おかみさん」みたいな機能も持っていたようです。
だから、「美しい風車(水車)小屋の娘」というのは、その土地の農家の娘達にとっての一つの「目標」のような概念として存在していたようなのです。
どうも僕はシューベルトの歌曲集「美しき水車小屋の娘」を知っているので、違うイメージがあって意外でした。シューベルトの歌曲集においては、粉挽きの若者は、毎日粉をかぶって真っ白になって勤勉に働いたのに、緑色の服を着た猟師に結局恋人を奪われて川に身を投げますね。でも、実際の粉挽きの青年というのは、村でモテモテの存在だったわけです。
もっとも、この風車小屋で聞いた話とはちょっと違う部分もあって、シューベルトの歌曲集では、恋人の女性が水車小屋の親方さんの娘さんなわけですから、彼女はもう生まれつき「美しき水車小屋の娘」なわけで、事情が違いますけどね。
単に、水車(風車)の粉挽きの青年が、「モテモテ」なのと「ふられて自殺」なのではだいぶ違うなぁと思ったのでした。でも、こういう当時の社会事情の話をその土地の専門家から聞けたのは大変貴重な体験でした。
僕が全部の説明が終わったあとに、説明係の人に「さっき僕が言ったのはね、シューベルトの歌曲集の話ですよ。ちょっとうかがった話とは事情が違うみたいだけど」と言ったら、やっと話が通じたみたいでした。そりゃ音楽と関係ない場面で風車の説明をしてる時に、いきなり日本人から「シューベルト?」と聞かれても困るかも知れない。ははは。
それで、面白かったのは、この僕と説明係さんのやりとりを横で聞いていた老紳士がいて、「?」と思っていたのですが、この人、僕が話し終わってから説明係さんに「この人はゲラのオペラ歌手でドイツ歌曲もよく歌う人だから、『水車小屋』と言ったら『シューベルト』なんだよ」と説明してくれていました。劇場にちょくちょく来てくれている人だそうです。
ゲッツ家の奥さんの方のジャネットがこれを遠くから見ていて「なに、サイン頼まれたの?」と言っていたけど、これもおまけとして面白い出来事でした。ゲラから15kmくらい離れたところだったけど。

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