ヴァルドルフ幼稚園でのセミナー

今日は、夜にヴァルドルフ幼稚園でセミナーがありました。ヴァルドルフ小学校設立プロジェクトの一環ですが、今日はルドルフ・シュタイナーがオックスフォードで1922年8月20日に行った講義のテキストをテーマとして行われました。


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僕は、日本行きが迫ってきてやることもたくさんあるので、時間ぎりぎりまで行くか行くまいか迷っていたんですが、こういう面白い企画がいつもあるわけではないし、行かなかったら後悔するだろうなー、と思ってやっぱり行くことにしました。
とはいえ、行くのならばその講義のテキストを読んで行かなくてはいけない。これがまた難しいんだ・・・。おまけに今日はドイツ語で読まなくちゃいけない。


今までほとんどのシュタイナーの文献は日本語で読んできたわけで、この論文も日本語訳があればそれを読んでいっても良かったんですが、それを探して入手する時間もなく。何しろ昨日、幼稚園から原文のコピーをもらったので。
この論文のテーマは、「Die Erforschung der uebersinnlichen Welten」訳すると「超感覚世界の研究」となります。これが一体小学校とどういう関係があるのか?直接は・・・ないですね。
シュタイナーは、徹底的に自然科学的な姿勢を失わず、超感覚的な世界のこと、ひいては超感覚的世界への参入の方法までも詳しく人智学のなかで述べているわけですが、この講義では、超感覚的世界へ参入するためのトレーニングの方法、気をつける点などが詳しく説明されています。
その方法論としては、とにかく瞑想が重要なのですが、瞑想の仕方も具体的な例を挙げて説明されています。
僕も前だったら、こういう話はあまりまじめに受け取らなかったかも知れないけど、今は100%まじめに受け取っています。
今日は、人智学徒・・・と言うと大げさかな。人智学に興味のある人のためのセミナーだったので、一応この論文を読んだ上で集まって、それについて語り合う勉強会みたいなものだったのですが、ヴァルドルフ小学校の校長先生になる予定のハースさんが今日の勉強会をとりしきるということで、僕はハースさんの話を聞くのが楽しみでした。
小学校設立プロジェクトについて、今までの流れを書いていないから、ちょっとわかりにくいかと思いますが、こういう機会に断片的にでも書いていこうと思います。昨日までブリューアー教授が亡くなってから日記を書けなかったこともあって、今は、今あったことをできるだけ体験がフレッシュなうちに書いておきたい、と言う気持ちになっております。
僕は人智学を学び始めて日は浅いんだけど、別の方法でこの世界のことは僕なりに学んできたつもりでいます。この別の方法、というのは僕にとっては「音楽」であり「劇場」であり「芸術」です。なので、わりと短期間にばりばり本も読んだし、多分割と咀嚼できていると思う。
それにしても新米だから、こういう事を書くと僭越とか生意気とか言うことになりそうだけど、人智学という教えの問題として、強く認識していることがあるのです。それは、この人智学徒の輪が、あまり開かれていないと言うか、外から見るとわかりにくい事、あるいは人智学徒の皆さんがそうでない人たちとのコミュニケーションがあんまり上手でないと思われるのです。
うーん。こう書くと一面的だなぁ。シュタイナーも言語による表現は極めて限られたものだ、と言っているけど、言葉にするのは難しい気持ち、状況ってありますよね。
まぁとにかく、僕はそれをちょっと気にしていて、今日のテキストの中にもそれと関連のある記述があって、だからちょっとその辺について発言してみました。
シュタイナーは、こういう超感覚的世界へ参入するためのトレーニングをしていても、現実世界にいつでも戻ってきて、現実的な日常生活をきちんと営めるようでなくてはいけない、と書いています。この論文の中だけじゃなくて、あっちこっちでそういうことを書いているのです。
でも、今日も人智学徒の輪に入って話していると、現実生活から離れすぎた感じがするんですよね。理想主義的に過ぎるというか。どうやって瞑想するのか、そのための医師の強化のトレーニングはどうするか、とかそっちの方向に話が行くのは良いんだけど、その土台としての客観的な思考がおろそかになりがちだと、頻繁に思っているのです。
で、「超感覚世界への参入が成功しているかどうか、あるいは意志を強くするトレーニングがうまく行っているのか、自然科学的な立場から検証する方法はないのか?」ときいてみました。ちょっと意地悪というか、距離を置いたきき方になったのは、常々、若干の興味はあるがこの輪の中にはいるほどの積極性はない感じの、ヴァルドルフ幼稚園の親御さん達の気持ちを考えたからなんです。ハースさんの答えは「それはあなたが感じるしかない」という答えだったんだけど、ハースさんが言うとどういう訳か説得力があるんですよね。この説得力がどこから来るのか、そっちの方に今度は興味をそそられました。
このシュタイナーの示した方法論が、超感覚的世界への参入、あるいは秘儀参入への唯一の方法論ではないはず。芸術もその可能性を持つ、大きな一つだと思う。その辺もちょっと話してみました。僕にとってはこういう場で何が興味深いかというと、こうして僕が突っついた時に、みんながどういう反応をかえしてくれるか、なんですね。人智学はこのドイツ文化に根ざしているわけで(シュタイナー自身はオーストリア人ですが)この国の人たちが、人智学をどういう風に咀嚼しているのかを、自分の目で見る、というのはとても貴重な体験です。
敷居が高い、という事に対してちょっと批判的なニュアンスを出しつつ「ボケ」を演じてつっこんでもらった、と言う感じですが、とても面白かったです。


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・・・いやあ、今までになく支離滅裂な日記になってしまいました。すいません。段々復帰しますから。
写真は、直接講義と関係ありませんが、幼稚園に飾られている「にじみ絵」です。シュタイナーはパレットを使って絵を描くことを良しとせず、独特の絵画の方法論を持っています。幼稚園ではそれが実践されているのですが、数日前に嫁さんが「あれ、健登の描いた絵が飾られているじゃない!」と気づいたのです。親ばかの僕はすぐに写真を撮ったわけです。
健登はずっと、にじみ絵に関しては、結構消極的だったので、こんなにきれいな絵を描いてくれたとは驚いたとともに嬉しかったので、その写真、載せちゃいます。

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