今日は、我がサイトの管理人さんの従兄弟でもある、バレエダンサーの服部有吉さんの舞台を見に行ってきました。
管理人さんと一緒です。前に書いたこともあるかと思いますが、彼らのおじいさんは作曲家の服部良一さん。言わずと知れた、一時代を築いた「服部メロディー」の作者です。
今日の舞台は、ハンブルク州立劇場バレエ団のソリストである服部有吉さんが振り付け・演出・自演をする舞台で、前半はやはり管理人さんの従兄弟、つまり服部良一さんの孫であり、これまた有名な作曲家の服部克久さんの息子さんである服部隆之さんの作曲で、なんと芥川の「薮の中」。服部隆之さんもプログラムの中で「大胆不敵な男だ」と書いていらっしゃいましたが、23歳の青年がこの作品をわざわざ選んで作曲依頼をしたという事に、まず驚きます。
そして後半は、服部メロディーのオンパレード。おじいさんと孫のコラボレーションというわけです。そして何と、宝塚のメンバーが参加するという、面白い企画でした。有吉さんの同僚である、ハンブルク州立劇場バレエ団のプリンシパルもこのプロダクションのために来日して共演しています。えらい豪華な顔ぶれです。
会場はゆうぽうと。僕にとっては大学院のオペラ公演で「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロールと「魔笛」の弁者を歌ったホールです。13年ぶりです。懐かしいなぁ。
前半の「薮の中」は「羅生門」というタイトルで久保摩耶子さんに作曲され、2002年の秋に日生劇場でオペラとして上演された作品でもあります。この時はこのサイトの掲示板でおなじみのぴかチュウままさんこと森川栄子さんが主役を歌われたんですね。僕も見せていただきましたが、素晴らしい舞台でした。
今回は、この作品の方はハンブルク州立劇場バレエ団のメンバーだけで上演されました。面白かったのは強盗、妻、夫がそれぞれ3組いたことです。殺された夫と妻、強盗の3人の主張は食い違い、真相は薮の中、と言うこの作品ですが、その3種類の主張をうまく3組を使うことで表現されていました。有吉さんは振り付け・演出もされた上で夫役も踊っていて、振り付けも見事でしたけど、やっぱり最後の自殺する夫の踊りに魅了されました。素晴らしかった。
細かく書くとえらく長くなるので機会を改めようと思いますが、知性や肉体性、そして「表現する意志」の強さが素晴らしいバランスで融合していて、本当に素晴らしい舞台表現者だと思いました。同じドイツで舞台に立つ日本人として、嬉しいと言うこともあります。自分の方に話を引っ張ってしまうようですが、それだけでなく、そういう環境で、ある意味民族性とか文化の壁を乗り越えて自分の表現手段に到達している有吉さんの舞台での姿に、激しく共感を覚えました。この辺のこと、いつかきちんとエッセイか何かに書きたいなぁ。
幕が殆ど閉まりそうなところで幕を止めて妻の役の女性が夫の体からナイフを抜いて去ると言う演出も憎いと思いました。
そして、後半。これがすごかった。
こういう書き方をすると、反感を持たれる方もいらっしゃるかな、とちょっと迷ったのですが、感じたことをストレートに伝えたい気持ちの方が強いので書いてしまいます。先にお断りしますが、僕の個人的な感覚と個人的な見識による、全く個人的な意見ですから、事実と異なる可能性は充分にあります。僕はそう感じたんだけど。
やはりハンブルク州立劇場バレエ団と宝塚歌劇団というビッグな顔ぶれなので、望むか否かにかかわらず、やはりこの二つのカンパニーの「VS」みたいな視点は自ずから出てきます。
踊りを専門にしているハンブルク州立劇場バレエ団と歌も歌って芝居もする宝塚歌劇団ですから、踊りだけの作品ではやはり世界的に見てもトップレベルの前者に軍配が上がるかとちょっと思っていたのです。ところがところが。
服部メロディーは日本の音楽だからか、どうもバレエのアクションがマッチしない様な気がする場面がある反面、宝塚歌劇団の皆さんは「決め」がうまくて、決めて欲しいところを本当に気持ちよく決めてくれる。これは唸ってしまいました。
でも途中で気がついたのですが、ハンブルクのメンバーである有吉さんだけは、他のハンブルクのメンバーと違って、ばっちり決めるのです。
僕自身も、本当に超低いレベルの話なので出すこと自体躊躇するのですが、大学、大学院、オペラ研修所でバレエを習ってきました。その時に強く感じたことの一つが、バレエの人たちと音楽家の、音楽のカウントの仕方が違うと言うことです。これは説明が難しいんだけど、僕の理解が正しければ、バレエの皆さんのカウントの仕方の方がタイミングが若干早くて、アップビートでカウントしているんです。音楽家はもちろんダウンビートをダウンビートとしてカウントするから、そこの感覚にずれがある。これは当時指導に来て下さっていたバレエの先生と結構論議の元になったりもしたので、良く憶えています。
有吉さんはバレエダンサーだから、もちろんバレエのカウントの仕方でやっていると思うんだけど、この後半の服部メロディーで観察しているとハンブルク方式でなく、宝塚方式で音楽の決めにばっちりはまってくる。
そして気がついたのは、彼が「歌っている」事でした。
もちろん、声に出して歌っている訳じゃないし、口を見ても口ずさんでいるわけでもない。でも、彼の踊りが言葉と音楽から生まれていることがはっきりと感じ取れたのです。そりゃそうだ。おじいさんの音楽だもの。体に入っていますよね。
宝塚のみなさんは純粋なダンサーでなく、歌も歌う人たちです。それに日本語の歌だし、有名な服部メロディー。みんな心の中で歌いながら踊っているわけです。つまり、歌う肉体が踊るときにうまれる一貫性だったわけです。
そしてここで腑に落ちたのは、前半で、洋の中にあって和の良さも持ち合わせ、独特の融合をしている有吉さんのスタイル。これは音楽一家である服部家の血、音楽性に根ざした(音楽教育を受けたかどうか、とかではなくて)、つまり言葉と音楽への感受性がその高度な融合を助けているのではないか!という事でした。
そして最後の曲、蘇州夜曲は有吉さんのソロ。最後の方でふっと踊るのをやめたのかな?とおもったら天へ投げキスをして終わりました。
僕はたまたま、休憩中にプログラムを読んでいて、有吉さんのおじいさんの思いでのところを見ました。「幼い頃、『バレエは好きか?』と僕に聞いた祖父のおぼろげな記憶。確かなのは僕の中を流れている血」とありました。
僕のひらめきが正しければ、このおじいさんの血こそが、有吉さんの舞台表現者としての根幹、あるいは踊りの表現と音楽、言葉の間を取り持った存在なのだと思うのです。このいくつもの想いが交錯して、この有吉さんの投げキスを見た時には涙が止まりませんでした。本当に猛烈に感動しました。
管理人さんも泣いていたようですが、家族にとってはこの蘇州夜曲というのは特別な曲なんだそうです。管理人さんに連れられて有吉さんにもご挨拶することが出来ました。本当に素晴らしい舞台だった。
こういう素晴らしい体験をさせてもらったことに感謝もしているのですが、それと同時に、ジャンルは違っても同じ身体表現者としては激しく刺激を受けましたし、ある種の嫉妬も感じました。僕も頑張らにゃ。
服部隆之さんにも客席で紹介されて、新選組!をドイツで見ていました!とミーハーなやつになってしまいました。多分「フィレンツェの悲劇」を見に来て下さるので、僕も気合い入れていきます。すごく気さくな方ですね。隆之さんが作曲された「薮の中」の音楽も素晴らしかった。新選組!の音楽で聴けた隆之さんの音楽のうねりとか温度がやはりこの「薮の中」にもあって、エネルギッシュであると同時に独自のスタイルがあって本当に素晴らしかった。
でも、家族でこういうことできるなんて、本当にすごいですね。