「モーツァルトとサリエリ」の舞台稽古

この作品についてはほとんど日記で書いていませんでしたね。もう舞台稽古が始まりました。


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演出家のコルネリア・レープシュレーガー女史は、新国立劇場でもモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」を演出したので、日本のオペラファンにもおなじみかもしれません。
本来、コルネリアが演出する予定のプロダクションではなかったんだけど、オペラ・ディレクターのブリューアー教授が今年5月に急に亡くなったので、ブリューアー教授が信頼を置いていたコルネリアが引き継ぐことになったようです。彼女の今回の演出プランは、奇想天外、と言っても良いでしょうね。かなりひねられてます。




このプロダクションは二つの演目から構成されています。モーツァルトの「劇場支配人」と、リムスキー・コルサコフの「モーツァルトとサリエリ」です。僕は「モーツァルトとサリエリ」のサリエリを歌うんだけど、実は劇場支配人にも黙役で出演します。まぁこれはあとで。


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前にもちらりと書いたとおり、「モーツァルトとサリエリ」の方は、このオペラを稽古している稽古場、と言う設定です。上演20分前に演出助手、15分前にプロンプター、10分前にサリエリ役の僕・・・という感じで登場し、小道具を確認したりしています。
しかも、稽古なので、途中で何度もストップしてやり直す、という事をやるのですね。これが僕にはちょっと苦痛。止まってしまっては作品が成立しない、と言う風に思いますからね。まぁでも仕方あるまい。演出家のプランだから。止められてだめ出しがあったり、違う設定にしてやり直したり、挙げ句の果てには演出家が怒り出して「こんな作品は演出できない」と言って出て行ってしまう。最後の数ページは、そういうわけで演奏会形式みたいな事になります・・・。
元々の作品は、プーシキンの小説でサリエリがモーツァルトを毒殺する話です。この設定というか枠自体がもう時代遅れという声も聞くんだけど、それはそういう設定でかかれているんだから仕方ないと僕は思うんですけどね。
音楽は歯切れ良いところと、ロシア音楽らしい重々しさがあるところもあり、僕は結構好きです。でも関係者全体の意見としては、作品が良くない、と言うところで一致しているようですね。残念なことです。


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僕らの仕事は作品を最善の形で上演すると言うことであって、作品をけなしても始まらないと僕は強く思っています。場合によってはそれで、作品の設定を変えたり、曲の順番を入れ替えたり、曲自体を入れ替えたり色々やっちゃうケースがあるんですね・・・。ルドルフ・シュタイナーも言っているけど、本当に何かを理解しようとしたら、その対象に帰依するような態度がないと本当の理解は得られないはずなんです。作品を留保なしに受け入れる態度をまず持つことが、上演の前提だと思うんですけどね。


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問題を含んでいる作品はもちろんあります。でも、そんなに問題があると感じるなら、上演しなければ良いのです。作品を切り貼りしたりして上演しても、作曲家は喜ばないと思う。作曲家を喜ばせるのが目的ではもちろんないけどね。


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さて、今回のプレミエで、新しいBaPがこけら落としという運びになります。BaPとは、Bühne am Parkの略。公園にある舞台、という事です。劇場全体の改築に先立ってここの改築が始まっていました。これでやっと完成なわけですが、まだ建物自体は完成していません。17日のプレミエまでに間に合いますように。

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