「モーツァルトとサリエリ」のプレミエ

今日は「モーツァルトとサリエリ」「劇場支配人」のプレミエでした。かなり色々と話題・問題を含んだプロダクションだと思うけど、プレミエはうまくいき、お客さんの反応も上々でした。


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このプレミエは同時に、新しく完成したBaP(Bühne am Park、公園の横の劇場という意味)のこけら落としでもあり、ことさら祝祭的雰囲気があるプレミエでもありました。実は昨日のGPで、すでに開館のセレモニーはあったんだけど、劇場として公的に機能するのは今日が最初と言うことになります。


少し前のエントリで、このプロダクションのコンセプトについては少し書きました。僕は演出家ではなく、一介の歌手ですから、演出コンセプトに対して意見する権利は基本的にはなくって、この枠の中で出来る限り良い仕事をする事が求められているわけです。もちろん演じ手として、深いところで納得した上で演じる、という事が大変重要だと僕は考えるので、演出プランに納得できないときは、納得できる様に説明を求めるなり、更に僕が深いところからの自発性を持って演じることが出来るように僕なりの提案をしたり、という事はいつもやっています。でも、演出の基本コンセプトに対して異議を唱えたりすることは出来ないし、しません。
この演出の中で僕が腐心したこととしては、まずお客さんが理解できるように、という事が一つあります。作品が途中で止まってやり直したりすることでかなりわかりにくくなるはずですからね。そしてその過程で、僕が「サリエリ」を演じる時間帯と「サリエリを演じる歌手」を演じる時間帯があるわけで、これが混乱するとますますわからなくなる。これが混ざる時間帯も出てくるので、これはなおさら難しい。つまり、サリエリとして作品を歌っている途中に、モーツァルト役のテノールが段取りと違うことをやったり、違うタイミングで舞台に出てきたりするので、サリエリ役の歌手である僕はそれに対して憤り(「サリエリ役の歌手」の部分)ながらも、サリエリのパートを歌い演じ続けなければならない(「サリエリ」の部分)んですね。これ、えらい難しい。基本的に、こういう事が、僕らが属しているオペラ劇場の仕事として求められているとはちょっと思えないのだけど、演出家がそういう実験的なコンセプトを提示したのだから、これはやらなくちゃいけない。


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それとね、もう一つ僕にとって大変きつかったのは、もう一つの役。前回詳しく書きませんでしたが、「劇場支配人」の方で、最後になんと、歌舞伎役者の格好で舞台に出なくてはいけないのです。これは、劇場の内幕を描いた「劇場支配人」で、二人のソプラノ歌手が「アタシが第一ソプラノよ」「ちがうわ、アタシよ」とけんかをし、劇場というもののあり方に違う考えを持った人たちが諍いを起こしているところに、まったく違う文化の劇場の代表のような意味合いで、僕が歌舞伎役者の格好で出て行き、平たく言うと喧嘩している劇場関係者を懲らしめるというようなシーンになる訳なんです。歌手達が誇らしげにつけているティアラをとるように命じて、一人だけ劇場総裁だけとは意気投合し、別の場所でよりよい劇場を作りましょうと手を取り合って出て行く、というような感じ。
で、衣装家、舞台装置家であるマティアス・メビウス氏はじめ、みなさん歌舞伎役者の衣装とメイクを再現しようと努力はされたのだと思いますが、実際に衣装合わせで見せられたものは着物にはほど遠いものでした。僕は歌手だから、衣装に文句付ける立場にないんだけど、これは特別なケースだし、情報収集不足からくる衣装の不完全さを黙認することは僕の日本人としてのアイデンティティがやっぱり許さないというか、やっちゃいけないことだと思った。それで色々言いました。僕も自分の浴衣を見せたり、本を見せたりインターネットで集めた情報を見せたりね。でも時間もなかったし付け焼き刃だった部分はある。でも言わないよりはずっと良かった。カツラとメイクは予算と手間の限界もあり、まぁうーん、という感じだけど、僕はするべき事はしたから。歌手として、日本人として舞台に誇りを持って立つ事が出来るように、出来ることはすべてしたつもりです。(・・・とある掲示板で少し前に、日本人としてドイツで歌うことと、僕の日本人としてのアイデンティティに関してちょっと書き込みをしたのですが、これってやっぱりすごく微妙な問題を含んでいて、なかなか難しいですね・・・)
でも日本の皆さんに、自信を持ってお見せできる格好だと思えないので、この写真は載せないでおきます。ごらんになりたい方は是非是非ゲラまでおいでくださいませ〜。
でも、毎度おなじみ、プレミエのプレゼント。僕が恒例にしている自分の役での写真を使ってのカードはちょっとお見せします。サリエリとその歌舞伎姿での両方の写真を載せたわけです。
公演中、批評家はかなりバリバリ筆を走らせていたとのこと。どんな批評になりますか。


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余談ですが、ものすごいハプニングがありました。「モーツァルトとサリエリ」の上演中にどこかで携帯電話が鳴ったそうです。僕はわからなかったんだけどね。それと別に、間奏曲の後くらいで、一度オーケストラがぐちゃぐちゃになったところがあったのね。どうしたのかなーと思って、休憩になって楽屋に戻ると、指揮者のスロヴィンスキー氏がものすごい剣幕で怒っている。
「全く何でこんな事になるんだ!プレミエの本番中にポケットの携帯電話が鳴るなんて!」
・・・あんた、どうして携帯電話をポケットに入れて本番を振るんだね・・・。ちょっとびっくりしすぎて無口になってしまいました・・・。


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続編もあってね。後半の「劇場支配人」始まってすぐアナウンスで「オーケストラのインスペクターは至急スロヴィンスキー氏のところへ行ってください!」という。今度は何だ?と思っていたらまたもやすごい剣幕で文句を言いながらスロヴィンスキー氏が楽屋に入ってくる。(BaPでは楽屋が少なくて、指揮者も歌手と一緒の楽屋なんです)
「今日は何という日なんだ!楽譜を忘れて出るなんて!」・・・どうやら序曲だけ暗譜で振って、そのあと戻ってきたらしい。その勢いで鞄をひっくり返して探して、見つけたのは良いんだけど、そこで慌てて引っ張るもんだから、せっかく見つけた楽譜が真っ二つ・・・。あーあ。彼は更に激しい怒りとともに舞台に戻っていきました。後に残された僕と演出助手のエッカルト・カミニアツ氏。顔を見合わせて、でも二人の統一見解は「でも・・・本人以外の誰も悪くないよね・・・」

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