ドイツのラジオ局「mdr FIGARO」からインタビューされました



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去年のうちにお話しはいただいていたのですが、サイトで報告していませんでした。今年はモーツァルト・イヤーですから、モーツァルトの誕生日である1月27日付近にはモーツァルト関係の催しが例年よりずっと多いわけです。
中部ドイツ放送のカルチャー系のチャンネルである「mdr FIGARO」も27日に特別番組を予定しているのですが、この中で、先月にプレミエを迎えたうちの劇場のプロダクション「モーツァルトとサリエリ」の音楽と僕のインタビューを交えてモーツァルトへのオマージュとしたいそうです。


今まで新聞のインタビュー、雑誌のインタビューは多く受けたけど、ラジオというのはあまりなくて、5年前にドン・ジョヴァンニに関して少ししゃべったのと、去年東京でNHKの名曲リサイタルに出演したので、これはもちろんラジオだったわけですが、記事と違ってどもったりつっかえたりしたのもそのまま放送されてしまうので、結構緊張しました。
この「モーツァルトとサリエリ」というオペラは、サリエリの一人芝居にモーツァルトが参加するような形で、サリエリが最初一人のシーンで始まり、いかに彼が真摯に音楽をやってきて、成功もしたし、自分の仕事にも満足していたということを語り、しかしモーツァルトの出現により、「ねたみ」が自分を支配してそれらがすべて無意味なものになってしまったと語ります。
モーツァルトとの場面が終わるとまた一人芝居になり、今度はモーツァルト毒殺することの必然性、正当性を述べるのですね。
プーシキンの原作ですが、まぁサリエリが毒殺されたという説は当時の裁判によっても否定されているのですね。今回のインタビューの一つのポイントは、何故、サリエリの毒殺という「伝説」の確かさがほとんど失われているのに、このエピソードが未だに説得力を持つのか、というようなことでした。
前に村上春樹さんが、質の良いインタビューというのはなかなか成立しないという事を書いていたけど、インタビューを受けながらこのことを思い出していました。
村上春樹さんは僕の尊敬する作家だけど、インタビュアーとしても確かな実績を示していらっしゃいます。彼の言っていたことは確か、インタビュアーの姿勢と準備状態などによってインタビューの質は大きく変わってしまうと言うことで、非常によく起こる良くないパターンはインタビュアーが一つのはっきりしたゴールをもって設問をして、つまりは答えまで自分で用意しちゃっていて、その答えをあいてから引き出そうとあれこれ手を変え品をかえ質問してくる、というものだったと思います。
今回もそういう感じでね。まずは、このサリエリの毒殺説の信憑性とかに対する、僕の歌手としての姿勢を聞きたかったのね。それから僕がサリエリの「ねたみ」を芸術家として、また歌手として、どう共感できるか、その具体例を挙げてほしかったらしい。
でも、僕の真摯な答えとしては、最初の方に対しては、これは僕にとってはどうでも良いことなんです。一度この作品を取り上げると決まったら、僕はそれを留保なしに受容して、作品を深く理解しようと努める。プーシキン、リムスキー=コルサコフがこの作品を作ろうというモチベーションを持っていたのだからそこには芸術的想像力を刺激する「物語」があるわけです。僕はこれを信じるしかない。
批判的精神を持ちながら対象を深く理解することは出来ないというのが僕の考えで、今ちょっとこれは他の場所でアクチュアルなテーマなんですけどね。批判的精神を持つのがよいとする向きは、つまり批判的な姿勢も持つことでバランスよく、言い換えれば客観を持とうとする。よくあることです。でも、100%の客観はあり得ない。これは本当に唯物論の落とし穴なんです。主観を持たない人間はいないんです。だから「僕が客観的に判断して・・・」というものの言い方は成立し得ない。この意見は絶対にこの人物の主観から影響を断ち切れないのです。だったら、いっそのこと主観と割り切って深く中に入り込んで理解する方が、ずっと実りがある。
また人智学の話になるけど、これはシュタイナーも言っていることで、対象の深い理解には驚き、感激、畏敬、感謝という四つのプロセスが必要だと。まぁいいや。
あとね、ねたみの話も、これは僕ははっきり言ってすごく強い方じゃないんだよね、多分。あるいは無意識のうちにあまり「ねたみ」を意識しないようにしているかもしれない。ネガティブな感情が起爆剤として働いた結果、良い仕事をするという事はまぁあることだけど、常にねたみを心に抱きながらクリエイティブな仕事が出来るわけないですからね。
そう答えると、全然インタビュアーにとってはおもしろい答えでないし、期待した答えでもないから、色々質問のやり方を変えてどうににかして僕がライバルを「ねたんでいる」エピソードを引き出そうとする。あるいは毒殺説へのポジティブかネガティブな意見を引き出したいらしい。でもそんなエピソードはないし、毒殺説の信憑性は、サリエリを演じる歌手としての僕にはどうでもいい。
結局は「もしかしたら、僕は無意識にその『ねたみ』を押し殺しているかもしれませんね」というコメントで一応満足してもらえたようですが。
どんな番組になるのかな。放送はモーツァルトの誕生日、1月27日です。

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