ベルリン滞在



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もう先週の話になっちゃうんだけど、他のことばかり書いていて書けなかったので、遅くなりましたが書いてみます。ベルリンには仕事の話で行ったんだけど、ついでにベルリン・ドイツ・オペラで「死の都市」を見てきました。それからもちろんささやにも行ってきましたよー。


この仕事の話の方は、僕としてはかなりの大ニュースなんだけど、まだ契約に至っていないので詳しく言及は避けますね・・・。本来はオーディションと言うことで声を聴いてもらうために行ったのですが、結局歌わなかった・・・。というのは、その相手の指揮者の方は、偶然ですが東京で僕のオペラ公演をきいていたんですね。二期会の「フィレンツェの悲劇」。で、僕にこの仕事の件で電話してくれたときに「東京で僕の公演を聴いてくださったと思いますよ」とは言ったんです。
で、その後よく考えてみたら思い出したみたいで、「あの作品の難しさは私は誰よりも良く知っている(ツェムリンスキーのスペシャリストだから)から、もうあなたの声を今聴かせてもらう必要はありません。」という事で、歌わないでOKもらっちゃったんですな。せっかく朝早くから発声練習したんだけど・・・。でも良かった。
詳しくは、契約書にサインしてから報告します。ネックは劇場が客演休暇を出してくれるかどうかでもありますが。
さて、これが18日の話。で、17日のうちにベルリン入りしたので、その夜のベルリン・ドイツ・オペラで、コルンゴルトの「死の都市」を見てきました。
3時頃にはゲラを出たんだけど、高速のA9が何度も渋滞していてハラハラしました。どれも事故渋滞でね。金曜日だったけど、路面が凍っているわけでもなかったのになぁ。結局開演1分前に飛び込みました。


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最近リンクしてくださった、指揮者の松岡さんのブログ でもこの「死の都市」の事がかかれていますね。
これは、僕が自分で歌ったオペラでもあるし、何しろR.シュトラウスが最愛のオペラ作曲家である僕にとっては、このコルンゴルトの響きはたまらないのです。本当にすばらしい作品です。問題は、オーケストレーションがかなり厚いので、作品の性格上、テキストもかなり重要なんだけど、このオーケストレーションでは、声とオーケストラが歌詞がちゃんと聞き取れるようなバランスになりにくい。
このベルリン・ドイツ・オペラ公演も、ドイツ語上演だというのにドイツ語字幕が出ていました。僕はこれはちょっとびっくりしました。でも始まってみると、確かに字幕がないと話が追っていけないくらいの歌詞の届き方ではあるのですが・・・。むむむ。
僕がこの作品を一緒にやった指揮者のガブリエル・フェルツ 氏は、今シュトゥットガルトのフィルハーモニーの音楽監督に就任している、若手の注目株ですが、彼が「死の都市」をやったときは、オケをばっちりコントロールしていて、すべての歌詞が聞き取れた。このベルリンの公演を指揮したフィリップ・オーガンも、ガブリエルと同じくゲルト・アルブレヒト門下なんだけどね。きちんと交通整理はしていて、コルンゴルトの音楽は楽しめたんだけど、僕はもっとディテールに色々ほしかったなぁ。まぁ僕の好みですけど。


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ベルリン・ドイツ・オペラにはオケに知り合いがいて、ベルリンに住んでいたときにはとてもお世話になったのですが、彼にチケットを今回とってもらって、終演後にお宅におじゃまして少し話をしました。
実は「死の都市」の公演の前日に、僕の大好きな「アラベッラ」の公演があったのですが、これをやっているウルフ・シルマーは本当にすばらしいらしい。日本でも何かやりましたね。ルルだっけ?このアラベッラは本当に見たかったんだけど、僕は本番があってもう一日早くベルリン入りするのは無理だった・・・。ミヒャエラ・カウネというソプラノは僕らがベルリンに住んでいる頃からこのハウスの専属だけど、本当にすばらしいアラベラを歌っているそうです。今のインテンダントはかなりかねを節約することに腐心しているそうで、歌手の登用にそれがずいぶん反映されているようで、アラベッラでは、ハウスの歌手がすばらしくてゲストがいまいち、という変な状況になっているそうな。マンドリカがかなりいまいちらしいです。だったら呼んでくださいよー、ってね。ははは。
「死の都市」の演出は、はっきり言って納得できなかった。うちでのマティアス・オルダーグ演出 の方がずっと良かったなぁ。まぁ自分がのっているからひいきしちゃう部分もあるでしょうが。フランクとパウルが同じ髪型、同じ服装だったので、何か後であるのと思いきや、何も起こらなかった。あれは何だったんだろう。
マリエッタが、最初はパウルに対して全然興味を見せなかったのを、どうやって2幕最後で彼女の方からパウルの部屋に行くと言い出させるかが問題だと、この作品ではいつも思うんだけれど、そこは何も演出されていなかったですね。つまり、マリエッタがパウルの中に何を見るのか、という問題。パウルの夢が本当に夢なのか、という問題。この辺は演出側からは何のアプローチもなかった。
それなのに、官能性を強調したいのか、ハダカ(に見える肌色のレオタード)のバレエダンサーがしょっちゅう出てきたりして、そのとき鳴っている音楽の効果を遮断する様なところばかり演出されていて、そういうところはかなり気が散りました。
パウルとマリーの関係、またパウルとマリエッタの関係、さらにフランクとマリエッタの関係における肉体性というのは結構ネックになると思うけど、それにスポットライトを当てるなら、もっとすっきり整理してもらわないと、見ている方にはどういう関係を想定して演出しているのかわからないと思うんですけどね。
音楽があれだけ官能的なのに、ああいう視覚的要素でその音楽の官能性を遮断した上に、「官能性を強調しております」というシグナル以上の意味を持たない場面を付加して(ダンサーの扱い)も、全くの逆効果だと思います。まぁこれも僕の趣味ですけど。
 
ともあれ、すばらしく美しい音楽なので、何とか日本でもオペラとして上演してほしいですね。僕の記憶が正しければ日本では演奏会形式でしか上演されていないはず。これは演奏会形式で舞台にオーケストラがのっていたという事情もあるでしょうが、歌手の声はスピーカーを通していたと言うことだったので、これも残念な感じがしますね。オーケストレーションがねぇ・・・。
 
僕が一昨年の夏に日本でやったリサイタルのタイトル 「我が憧憬、我が幻想」というのは、この「死の都市」のなかでフリッツというピエロの役が歌うアリアのタイトルです。このアリアがまたいいんだなぁ。僕はオーディションでもよく歌います。アメリカ人のバリトンは必ずこれをオーディションに持ってくるらしい。コルンゴルトは後年アメリカに渡って映画音楽で成功した人なのでその辺の事情なのでしょう。

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