昨日はヴァイマールで、歌曲のコンサートでした。
ルドルフ・シュタイナー・ハウスでのコンサートで、ホールのステージの横には敬愛するルドルフ・シュタイナーの絵が掲げてあり、なんだかそれで緊張したりして。はは。あの絵の横で記念写真を撮ろうと思って忘れちゃった。残念。
これは、Zwischenraumという団体の主催で、ヴァイマールのルドルフ・シュタイナー・ハウスで行われたものです。普通のコンサートとしてのオファーだったのですが、色々考えて、やはりゲラのヴァルドルフ小学校のためのチャリティーコンサートとして行うことにしました。
今回は、1月20日のコンサートのプログラムに、さらに「哀れなペーター」作品53の3を加えました。前から歌いたかったんだよね、この曲。
はじめて聞いたのは、1989年にミュンヘンでハンス・ホッター先生のドイツリート・講習を受けたとき。先輩バリトンの河野克典さんが歌っていらっしゃいました。3曲からなる小さなチクルスだけど、表現が凝縮されている感じで、この時の河野さんの演奏も素晴らしく、「いつか歌ってやるぜ」と思っていたのでした。
・・・そういえば河野さん、最近冬の旅を歌われて、それが本当に素晴らしい演奏会だったと友人に聞きました。どなたか聴かれた方、いらっしゃいますか?
さて、この曲、もうちょっと準備をばっちりやりたかったんだけど、ピアノの真子さんと僕と交互に体調を崩したこともあり、ヴァネッサのプレミエも間にあったし、ちょっと準備不足で舞台にかけてしまった・・・ポカもあったし。反省しております。4/2のイェナではばっちりやらにゃ。リベンジである。(もう死語?)
ヴァイマールというのはやはりゲラと違って文化都市です。由緒ある劇場。ゲーテやシラーゆかりの都市という意味ではアントロポゾフィー(人智学)にはまっている僕としては、大変大切な街なわけですね。
今回は、時々劇場の合唱に乗ってくれているヴァイマールの音大生、セバスティアン君に頼んで音大にもポスターなど貼っていただいたのですが、そのせいか、ヴァイマールの音大に行ってらっしゃる日本人の学生さんも何人か来て下さって嬉しかったです。
・・・とはいえ、日本人聴衆がいないことを前提に設定したアンコールプログラムの「さくら横町」を歌うときはちょっと決まり悪かったです。男性が歌うの、聴いたことないですからね。僕は自分には合っていると思っているんだけど。
実際、ドイツ人聴衆にはえらく気に入ってもらえたらしく、楽屋を訪れる人たちはさくら横町を褒めちぎる。僕としては「その前の1時間半はどうだったのかしらん・・・」と思ったりもするんだけど。まぁいいや。
他にアンコールで1月20日と同じく、ヴェルナー・ハース氏の歌曲を2曲歌いました。実はもう一曲作曲されていて、3曲でチクルスが完結するので出来れば3曲目も歌いたかったんだが、これを勉強する時間はどこにもなかった。すまん。ヴェルナー。
ヴェルナーの友達でスペイン人の作曲家がライプツィヒからわざわざ来ていて、彼の興味の一つはヴェルナーの曲に違いなかったんだけど、やっぱり3曲目は聴かせられなかった。ごめんねー。
アンコールの前に「今年はハイネとシューマンの没後150周年の記念の年ですが、それでもハイネとシューマンの歌曲集を三つ取り上げるとわずか1時間半の間に3回失恋して3回自殺する羽目になり、これはいささか大変でした」と言ったら、えらく受けてしまった。こんなに受けるとは思わなかった。
ドイツにもやっと春が来たようです。夜でも気温が10度くらいあるもんな。街の中の雪もほとんどなくなりました。
というわけで、表紙の写真を変えてみました。これはエルスター河沿いのヴィラで、Kreuzapothekeと壁に文字があります。この薬局は僕らの行きつけの薬局でもあるけど、今の薬局は別のところにある。この建物が以前はKreuzapothekeだったようだけど、今はゲラに多くあるヴィラの中でも一番高くランク付けされている建物だそうです。実はうちのオーケストラの主席トランペッターが数年前にかったので、まぁ言ってみれば友達のうちなんだけど。この主席トランペッターのサーシャ君、優れたカメラマンでもあり、トップページの僕の写真や、五島のリサイタルで使った写真(プロフィールのページ にある写真など)は彼が撮ったものです。