寝室の窓から外を見ると、なんだかかわいいものが・・・。
まだ新緑がでる前の街路樹に、小鳥が巣を作っているんです。かわいいねー。
やっと暖かくなってきたので、ここのところ、Amsel(クロウタドリというらしい)がずいぶん目につくようになってきたし、こういう動物たちの動きの変化が季節感というものを実感させてくれるのはすばらしいことですね。
この、巣を作った鳥はなんというのか、ちょっとわからないんですが、わかったらまた書きます。嫁さんがいつか鳥とか木とかのドイツ語の図鑑を買っていたから、きっと健登と一緒に調べてくれることでしょう。ははは。
寝室の窓の真ん前なので、これから毎日観察できます。
こういう風に、毎日の暮らしの中で追っていける動物の生活というのは、子どもにとってすごく大事なんですよね。僕らは数ヶ月という長い間このゲラの家を空けて日本に行くからペットを飼うことが出来ない。これは大変残念ですが、やはりこれは無理。
だから、散歩に行くときも、出来るだけ同じ「おきまりのコース」というのを持って、その同じコースを1年の間、観察しながら散歩をするようにする、と言うのが一つ考えていることです。もっともこれは嫁さんのアイディアというか主張で、僕が今ここで書いているのは受け売りなんですけどね。
でも、一緒にやるようにして、僕にもこれの大切さは実感できた。「この間出てた芽は、今日はどうなっているかなぁ」と考えながら散歩に行くと、興味も長い、持続したものになるし、その自然の流れ、要は季節感を実感できるわけです。
幼稚園の「桜祭り」のエントリでちょっと触れた、吉良創さんの「シュタイナー教育 おもちゃと遊び」という本ですが、このなかに「質が質を育てる」というコラムがあります。桜の木の積み木で遊ぶ子どもは、自分の感覚を通して桜の木というものを全身で体験しているわけですね。これは図鑑で桜の木はどういう木かを学ぶのとは全く意味が違う。木の肌の色、におい、堅さ、ぶつかったときの音。これらが子どもにとっての桜の木の「真実」なわけだ、と。こう言うようなことが書いてあります。
こう言うような意味で、散歩っていうのは自然との定期的な出会いをするすごく良いチャンスだと思っています。
その上で、実際に本物を見て、聴いて、さわった後に図鑑とかで見てみるのは、これはこれで僕は大事だと思っているんです。僕らはやっぱり外国人だから、植物とか鳥の名前とか、あんまり知らないんですよ。オペラの名前とか楽語は知っていてもね。親も一緒に学んじゃおうというわけで。
健登は知的好奇心が割と強くて・・・ちょっと年齢とのバランスで言うとこれが強すぎるように思うんだけど・・・こういう風に体験を言語化できるのは、健登にとってはとても喜びが大きいわけです。
この吉良さんの本、本当に良い本だ。このあいだでんでん虫の歌を幼稚園で使わせてもらったりした関係で、もう一度読み直してるんだけど、膝を打ちまくり、目から鱗が落ちまくりです。
でね、これは書こうかどうか迷ったんだけど、いいや、書いちゃえ。このサイトでの出会いなんだけど、吉良さんが先生をしている南沢シュタイナー子ども園に子どもを行かせていらっしゃるお母さんと知り合い、そして、吉良さんご自身からメールもいただいちゃったりして、すごく感激しておるのです。でんでん虫の動画も見てくださったようで。
ドイツの片田舎、ゲラのシュタイナー幼稚園での日本文化とシュタイナー教育の出会い、吉良さんの作った歌と幼稚園の先生の出会い、それを報告したこのサイトでの日本のシュタイナー実践者と僕らの出会い・・・。出会いというのは本当に不思議だし素晴らしいものですね。
ちょっと前のことだけど、このサイトのエッセイがきっかけで、何十年ぶりの再会をこの夏に果たすであろう方もいらっしゃるのです。昔日本人と交流があったオーケストラ奏者の同僚の話をエッセイに書いたのですね。それを読んだご本人が掲示板にメッセージを下さって、それをそのオケの同僚に伝えたら、喜んだの何のって。その日本人の方はこの夏にドイツにいらっしゃる予定なのです。こういうの、めちゃくちゃ嬉しいですね。