二日続きのコンサート、おわりました!

お越し下さった皆さん、ありがとうございました。何とか乗り切りましたよー。ふぅう。やっぱり結構大変でした。

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ただでさえ大変なプログラムだったんですけど、日本に戻って体調を大崩ししましたのでね。やっぱりちょっと怖かったです。でも、二日とも大変盛り上がったコンサートになって、お客様もとても喜んでくださったようなので嬉しいです。
なんだか、いつもと違うなぁと思うのは、僕が日記で本番の報告をするときはいつも、日本の皆さんが見ていない本番の報告なんですよね。今回はこの日記を読んでくださっている方の中に結構コンサートに足を運んでくださっている方がいらっしゃるので、それがいつもとだいぶ違う感じで。日記を書くのもなんか緊張しちゃう感じ。



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まず、昨日のトッパンホールの方。僕としては自分で(というか自分と幸田浩子さんで)組んだプログラムですから、もちろんやりたい曲だけ並んでいるわけです。とはいえ、こういうハイライトの場合は、自分の歌う箇所ばかりピックアップするので、声を休める暇がないんですよね。
 
昨日の日記に書いた「声楽的負担が大きい」というのはこういう事で、本来だったら、例えばリゴレットで1幕のモノローグと二重唱を歌ったあとは、ジルダのアリアだけじゃなくてマントヴァ公爵が出てきて二重唱があり、リゴレットを歌う歌手はそこで十分休めるわけです。
そしてアリア「悪魔め鬼め」と復讐の二重唱を歌ったあとは、舞台転換があった上でマントヴァ公爵が有名な女心の歌を歌う間は喉は休める・・・舞台にはいなくちゃならないですが・・・それから有名な四重唱がくるんだけど、こういう重唱は、アリアとか濃密な二重唱を歌うよりずっと声をセーブできるから、これも条件が違う。
 
自分で組んでおきながらプログラムに関する愚痴を言っているようなものなので変な話ですが、やっぱり大変は大変。
 
リゴレットは、やはりかなり思い入れがあるし、これを歌うなら「目にもの見せる」というか、やっぱりバリトンとして、この素晴らしい曲を歌わせてもらうというそのチャンスを存分に活かす事が出来ないといけないというような重圧もあり、実はこのプログラムに対する心理的プレッシャーはかなりありました。
でも、なんとか一定の結果を出せたようで良かったです。
実は反省点がはっきりいくつかあるのですが、まぁこれは反省点がない本番というのはあまりないのでまぁ仕方ないです。多分、この僕の失敗に気づかれた方は多くないとは思うんだけど、嫁さんはやっぱりちゃんとわかってましたね・・・。でも、今回の失敗ははっきりと教訓を残したので、僕としては先につながる失敗でしたが。
 
最後のシーンは、どうやって演技するかかなり迷ったのですが、やっぱりジルダを抱きしめて終わることにして、これは良かったみたいです。
前のエントリにジョフィさんもコメント残してくださっているんだけど、演奏会形式でのオペラにおける適度な演技、というのは実は凄く難しいです。やりすぎると嫌味になるし、足りないとオペラのドラマ性が半減しちゃうし。
僕はこの「コンサートにおける演技」というので一つのスタイルとして研究されるべき、と思っているくらいなのですが、なかなかはっきりとした指針もないし、むずかしいです。照明効果や舞台装置が無いわけですから、それらを補うべきお客様の「想像力」を刺激する、という範囲にとどめるべきだと思うんですよね。

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僕は一度凄い体験をしたことがあります。僕の尊敬するソプラノの澤畑恵美さんが、確か留学から帰りたての頃だったと思いますが、リサイタルをなさって、そこで「ランメルモールのルチア」の狂乱の場を歌われたんです。あの前奏で、僕にははっきり照明が暗くなったように感じられたんですが、コンサートですからもちろん暗くなんてなっていない。澤畑さんは別に何か動いていたわけではないのです。あの音楽と、澤畑さんの表情だけで、そこに「舞台」が現出してしまったのです。本当に度肝を抜かれた。しかも前奏ですから、まだ澤畑さんはルチアとして一声も出していないのです。
この舞台人としての澤畑さんの振る舞いが、僕にとってのコンサートでの演技の指針になっています。メカニズムとしてどうなっているのか、解明しないと居ても立ってもいられない質の僕は、結構色々実験しました。形になるまでは時間かかりましたねー。
 
リゴレットは最高音が最後のページにあるという、大変「嫌な」役です。指揮者のサヴァリッシュさんが自伝に書いているのですが「その役の最高音が、オペラの中で早く来れば早く来るほど、歌手の仕事のクオリティは高くなる」というのがあって、その意味ではリゴレットは歌手のクオリティがめちゃめちゃ下がる役なんでしょうね。
そこがちょうどドラマとしても濃くて、やっぱりジルダを抱きしめるしかないだろう、って事でああなりました。
 
アンコールの「死の都市」のピエロのアリア、僕にとっては「どんなに調子が悪くても歌えるアリア」という感じで、とても楽なところで歌える曲なのですが、逆に言えばナチュラルなわけで、リラックスした雰囲気のアンコールとしては最適だったかも知れませんね。

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さて、そして今日は神奈川フィルハーモニー管弦楽団とのヴェルディ・レクイエムでした。
ミューザ川崎の「フェスタ サマーミューザ」というシリーズで、去年は日本フィルで第九を歌わせていただきました。今回は本来バスの声が要求されているパートなわけで、バリトンの僕の声でどこまでその豊かさを出せるか、というのは僕にとって一つの挑戦でした。
でも、こういうのって、一つはっきり言えるのは、実は僕には僕の声しか出せないという事で、如何に僕の声の中でこの曲に適した声を作るか、という事で、出ない声をイメージしても始まらないわけです。ちょうど重くなってきている僕の声の幅を広げるのにはちょうど良い題材だったかも知れません。
共演の他のソリストの皆さんがみんな素晴らしい人ばかりで、ちょっとこの皆さん相手に「なんちゃってバス」をやるわけに行きませんしね。ははは。僕なりに頑張って工夫しました。でも、本当に素晴らしい音楽で、ヴェルディに助けられたなぁ、と歌いおわって思います。
 
今日は、現田さんの指揮ぶりは本当に素晴らしかったです。自分の歌うパートが終わったあとに来る、最後の「リベラ・メ」は、なんだか観客みたいな気持ちになってしまって、すっかり現田さんの指揮ぶりに見入ってしまい、気がついたら泣いていました。
ミーハーになって一緒に写真を撮ってもらったりして。
ミューザ川崎は、本当に素敵なホールですね。響きも良いんですが、雰囲気が良いです。またここで歌えると良いなぁ。

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