健登の友達の誕生日パーティーが続いております。今日は隣町Ronneburgに住んでいるMiguellの誕生日パーティー。Ronneburgまでさっき車で送ってきました。帰りはGötz家のJörgが迎えに行ってくれる予定。健登がいない日曜日。家が静かであります。嫁さんは、ほんの数時間のことなのに「いないと寂しいなぁ・・・」と言っております。
写真は全然、誕生日パーティーなどとは関係ありません。ゲラのヴァルドルフ小学校のオイリュトミーをする部屋の写真です。かわいい感じ。嫁さんは今年に入ってから毎週、ピアノ伴奏をしに行っております。
何度か書いておりますが、僕はこのヴァルドルフ小学校の理事をしております。一昨年の秋からね。理事会は月に一回あるのだけど、出られることの方が少ない。月曜日の夜が恒例なので、稽古があったら無理なわけです。
そんな状態で理事を続けるのが良いのかどうか、ちょっと考えて、一時「やめた方が良いかと思うんだが・・・」と、ゲラの他の理事と話をしたこともあるんですが、慰留されて今に至っております。この間久しぶりに理事会に出たんですが、また久しぶりに出るにあたって、僕もかなり色々考えたんです。
でも、結果から言うと、それでも僕には出来ることがあるだろう、出来ることをしよう、という事で、もうちょっと頑張ってみようと思っています。
この間は予算についての審議もあったんだけど、こういう情報もあまり前には僕らのところには来ない。直前に瞬発力でチェックをして理事会に臨まなくちゃいけないのですが、この辺の進行がまた、前にも少し書いたとおり、経営者主導型の、今の東テューリンゲン・ヴァルドルフ教育協会の問題なんですよね。(ゲラという名前が入っていませんが、正確には、僕はこの協会の理事です。この協会がゲラとイエナの学校を経営している形になります)この、乱暴に言えば、経営者がやっているから、君らはまぁ見てればいいよ、みたいな感じの雰囲気が。
僕も、予算に関しては、数字の方のプロじゃないから、理解して全体を把握するのはすぐには出来ない。でも、あれ、と思ったことを質問して、それに注意を喚起するくらいのことは出来たので、まぁそれはそれで意味があった。
ちょっと話がそれるようですが、ヴァルドルフ教育では、親の参加というのが大変大事なわけです。まぁそれで僕もこうやって参加しているわけだが。で、親のボランティア的協力などで色々な部分をまかなったりするわけですが、それはそれでいいとして、でも、そう言う協力があって当たり前というか、そんな雰囲気が、このヴァルドルフ教育の場では全体的にあるように思うのです。でも感謝の気持ちを持ちましょう、とかそう言う短絡的な話ではないです。
ちょっと別の話。
少し前に、近隣のケムニッツ市のヴァルドルフ小学校の先生で、ゲラの小学校設立にも尽力してくれたピュッツさんから電話がありました。ケムニッツの学校は、最近経済的に危機があって、急に先生を解雇しなくちゃ行けなかったり、色々難しかったらしいのですが、そんな中モーツァルトの「魔笛」を生徒が上演するプロジェクトが進んでいます。で、タミーノを歌える人が生徒の中にはいなくて、探すのに手を貸してもらえないか?ということでした。
もちろん快諾して、担当の女性から連絡があったのですが、ここからがちょっと問題で。
僕が探せるとしたら、ケムニッツの劇場関係者にきくとか、そう言う方向だから、プロかセミプロになるわけです。当然ある程度お礼をしなくちゃならない。とりあえず日程などを聞いて、僕のかつての同僚でケムニッツに移っていったバリトンにメールで聞いたりしてみたら、「あてがあるよ」ということで、それを魔笛の担当女性に伝えた。バリトン同僚のマティアスは「ところで、その場合、多少はお金が出るの?」と聞いてきたので、それもそのまま伝えたのですが、それに対するその担当女性からの反応が激しくて。「お金?お金ですって?」ってな書き方で。「我々にはお金はありません。学校ですから。それに私の考えでは、このプロジェクトへの参加者はみんな、誰もが無償で参加したいと思うほど、このプロジェクトに熱中(感激・・・begeistertとあった。訳しにくい)してなければいけないんです。・・・」とな。
ここで、ぼくはブッチリ切れてしまいました。で、長いメールを彼女に出した。
もし、本当に一銭もお金がないなら、それをまず僕に伝えて、そう言う条件でやってくれる人を探すようにするべきでしょ。プロを一度頼んでおいて、「実はお金ないのです」と後から言うのは、誠意にかけるし、卑怯です。お金を要求・・・いや、要求なんてしてない。たずねただけですよ・・・することを「モラルに反する行為」であるかのように書いて、こちらの罪悪感に訴えようとしているかの様にも思えるくらい。
それと、そのプロジェクトが如何に素晴らしいかという問題は別にして、一体ヴァルドルフ小学校の先生は、学校から月給もらっていないんでしょうか。彼らはみなヴァルドルフ教育に強く感激し、動かされて先生になっているはずなんですよ。特殊な世界だからね。なんとなくヴァルドルフ教育をやっている人なんてほとんどいないはず。でも給料なしじゃ仕事は出来ない。
「Sie wollen eine Leistung ohne Gegenleistung. Da stimmt etwas nicht.」という書き方をしたんだけど、うーん、これうまく訳せないよ。自分の文なのに。「あなたはギヴしないでテイクだけしようとしている。何かがおかしい」という感じでしょうか。
僕はこの、「ギヴ&テイク」の方程式におけるギヴはユーロ(お金)である必要はないと書きました。暖かいお礼の手紙でもいいし、Spendequittung(寄付の領収書)でも良いわけだし。
あなたが、お金に対する問い合わせを非難するようでは、誰もどこにもたどり着けませんよ、と。
それと、もしどうしてもお金がなくて、僕の知り合いじゃない人をさらに探すのなら、こっちはストップかけるから言ってくれとも書きました。
うーん。別の話が長くなったなぁ。これはこれで、あちらがPTAからなんとかタミーノを見つけて、僕の方は同僚に無駄に気を遣わせることになっちゃって、彼には事情を説明して謝りました。もちろんわかってくれたし、怒ってもいなかったけど。だからいい、という問題じゃないです。
ここまでは、実は伏線(?)で、本題はここから。ほんと、長くてすいません。
ゲラのヴァルドルフ小学校でも、例えばうちの嫁さんがやっているオイリュトミー授業のピアノ伴奏をしているわけですが、本来この行為に対して支払いが為されるべきです。しかし、嫁さんはその謝礼を辞退して、「親として協力したいから」と言ったわけです。
でも、例えばオイリュトミストの先生が、このことを知らなくて「えっ!」となっちゃった。そして、前述の僕が参加した理事会に提出された予算案でも、ゲラの学校で支払う「謝礼」の項目が記載されていなかったのです。ちなみにイエナの方には記載があった。イエナでのオイリュトミー伴奏者への謝礼はここから出ています。
教師のグループの中で、この無償奉仕の事実が報告されないのはまずい。そして特に、ゲラでは積極的に協力する親が少ないんだから、余計にこれをクローズアップしてそういう気運を高める必要があるくらいなんですよ。そして予算が計上されていないなんてのはもってのほか。理事会で伴奏者が無償で奉仕していることも報告されていない。
協力してくれる人の協力を、当たり前のように受けていてはダメなんですよ。それがかけがえのない一つの歯車であることを全員が意識しないと。これがない。なぁなぁになって、みんな少しずつ無理してるけど、まぁがんばりましょうや、みたいな雰囲気が漂ってる。「あっそう、お金いらないの。ラッキー」みたいな(これはちょっとノリが軽すぎますけど)
これをやるためにうちの嫁さんは水曜日一日丸々つぶしているのですよ。二クラスのオイリュトミー伴奏して昼過ぎにちょっと休んだらすぐに今度はヴァルドルフ幼稚園に行って、今度はママさんコーラスの指導をしているんだから。これだってもちろん無料奉仕で、集めた参加費は小学校に寄付している。これが終わったらもう夕方です。その扱いはあんまりだろ、というのは近親者としての僕の気持ち。まぁこれは理事としてのスタンスとは別です。
こういう背景があるので、「ゲラでのチェロの授業(2・3年生向け)のフォルメラさんへの謝礼と、オイリュトミー伴奏への謝礼はここから出るべきなのに、何故数字がないのか?」とすぐに質問しました。そうしたら、イエナの理事の一人が、「そう言う細かい一つ一つのことを理事会で検討していたらきりがないから、予算のワークグループの方でやるべきだ。時計を見てみろよ。予定の時間までに理事会が終わらないぞ」という・・・。まぁ確かにみんな仕事を終えた後に19時半から22時半まで行う理事会ですから、さっさと終わらせたいのは理解するけど、ここで理事が質問できないならなんのための理事会なんだ?
詳しく書いているときりがないですが、いまイエナの父母の間では理事会・経営者のやり方に対する不満が出ていて、前の総会もかなり紛糾しました。まぁもっともなんだ、父母の不満も。食堂の拡張工事、教師用の住居の購入の承認を得ようと決を採ろうとしたら紛糾したのです。授業関係の予算は増えず、前からずっと問題になっている運動場の問題は全く検討もされず、直接生徒に恩恵があまり及ばない部分ばかり進めてるように思えるでしょう。
誤解もあるから難しいんだけど、ここは我々の進めているプロジェクトの内容の意義をよりわかりやすく説明するべきなのに、先ほど時間の事で文句を言った理事がまた「我々の仕事内容が嫌なら、別の理事を選出すればいい。誰もやりたがらないくせに」ときた。
僕が文句付けばっかりやっている構図になるのはまずかったのでこれは直接は抗議せず、ゲラの他の理事でゲラのトップの一人でもある人に、「あれはまずいから少し懐柔しないと」と言っておきましたが・・・。問題が僕が直接彼らに働きかける時間とかは取れないことなんだよね・・・。
まさに、ここがジレンマの核です。物理的に、僕にはやっぱりこれ以上の時間は取れない。だからやめた方が誠意があるかとも考えた。
でも、最近、日本のヴァルドルフ小学校とゲラのヴァルドルフ小学校とのつながりを模索したり、ゲラの劇場とヴァルドルフ小学校の協力契約を結ぼうという話を劇場側に持ちかけて、受け入れられそうな感じになってきたりして、もしかして、こう言うところで何かできたら、僕は理事に留まる方が良いのではないかと思い始めたりもしてるのです。
劇場の方は、ちょうど今シーズンから音楽教育関係の人が新しく首脳陣に入って、この人がヴァルドルフ教育をすごく高く評価しているので話が早いのです。すぐに子供向けの劇場ツアーや、チャリティーコンサートなど、具体的な話になってきました。
とまぁ、ぶつぶつ愚痴みたいな事を書きましたが・・・わかります?一度で最後まで書ききれずに二日に分けて書いたら、一貫性がなくなっちゃったかも・・・。まぁ要するに、もうちょっと頑張ってみますってことなんですけどね・・・。
ヴァルドルフの考え方は必ずしも無料奉仕ではないのにいつの間にかそこに行き着いてしまうのはどうしてなんでしょう?
もちろんお金が先だとは思いません。
だけど、お金がないと暮らしていけないのも事実です。
貨幣を支払わないまでも、出来る事で返していけたらいいですよね。
学校への奉仕も、お金がいけないとは思わないけど、やっぱりお金だけ出して何もしないみたいな批判になったりする。
現実の社会との折り合いをつけることがへたくそだなと思います。
資本主義に迎合する必要はないけど、折り合いはつけないと、共存は出来ませんよね。
ヴァルドルフは特別なのでも理想なのでもなくちゃんと現実と折り合えるものだと思っているのですが…
>あややさん
こんにちは。コメントありがとうございます。
仰るとおりですね。
シュタイナーが人智学としての探求、訓練においては再三、現実生活とかけ離れないように、と警告しているにもかかわらず、そうなってしまう例が多いですよね。
浮世離れした考え方と思われてしまうのも、この辺のことがあると思います。
結局は実践に意味があるわけですから、現実と折り合えなければ意味がないのですが、難しいんでしょうね。
息子の通うシュタイナー幼稚園でも、ボランティアとお金に対する考え方にはそれぞれ違いがあり、多少首をかしげることにも出会います。
運営は確かに大変ですが、社会のひとつの共同体として健全な状態にもっていくのは、理事の大切なお仕事だと思います。
頑張ってください!
でも、くれぐれもご無理なさいませんように…。からだが第一です。
>ちひろさん
お久しぶりです。
ありがとうございます。多くの人間が関わる団体ですから、ギャップがあるのはある意味仕方ないですね。問題意識を持つことが始まれば、後はだんだん寄り添っていくようにも思うのですが。
頑張ります。
Teruさん、初めまして。
日本のシュタイナー学校にお子さんを通わせているお友達から聞いたのですが、お金を出したがらない人に限って、「あなたもまだまだ(経済の友愛について)勉強が足りないわねえ。」などと、非難の矛先をかわすそうです。
シュタイナーに限らず、いずこの世界でも、声の大きい人の主張が通る…ゴネ得と言いますか…。
シュタイナー関係者は、良くも悪くも個性的な人が多いですし、ご苦労お察しします。地道にギャップを埋めていくしかないのですが、私も日々これ修行の毎日です。
理事を退くべきか、続けるべきか。私も日本の小さなシュタイナー学校に関わる中で、大いに考え込んでいます。地上に学校を築いていくためには思想や理念だけに頼ってはいられないのですが、私自身経済や会計、法務などに明るいわけではなく日々限界を感じています。
それでも継続してこそいつか芽が伸びると信じているのですが…
「ゲラの劇場とヴァルドルフ小学校の協力契約」、素敵ですね。そうやって周辺のさまざまな人々に対してシュタイナー学校を常に開きだしていくことが、学校の内側をも確かなものにしてくれるはずです。子ども向けの劇場ツアーなどが実現したら、是非様子を教えてください。楽しみにしています。
>h.beeさん
こんにちは。
ヨーロッパだと、「ごね得」というのは絶対にあると思います。日本だと比較的ごねること自体がモラル的にネガティブにとられる度数が高いように思います。非ヨーロッパの外国だとどうなんでしょうね。
仰るとおり、日々こつこつ修行を続けるしかないですね。
>Liuさん
こんにちは。
同じ悩みをお持ちの方にこれを読んでいただけて嬉しいです。やはり継続は力なり、とははっきり思っているのですが、それでも時々気持ちがくじけそうになったりする、という事もあり・・・。
でも、出来るところまで頑張ってやろうと思っています。場所は違いますが、一緒に頑張りましょう!
はじめまして、ドイツでオイリュトミーとシュタイナー教育を勉強してます。
友達に、シュタイナーを勉強中、またはシュタイナー学校で働いている人は多いのですが、ドイツのシュタイナー学校で日本人で理事に関わっている方からの体験を聞くのは初めてだったので、大変興味深いでした。
私もシュタイナー教育理念に感動していた分、ドイツでの現状に触れて、失望した部分もあります。
でもそれが当然かもと思うようにもなりました。
理念、アイデアがよくても、人間の手に降りて、実践となれば、問題点が多くなる、民主主義だって理念は素晴らしいがどれだけ機能しているかは疑問なわけで、そんな中で自分のできる範囲をすることが大事なのかナーと。
でも周囲から現状を聞くたびに、やる気と自信をなくしたりするのも確かで(笑)
だからTeruさんの理事会、学校との奮闘振り、それでも劇場、日本の学校との架け橋に取り組んでいらっしゃるのは、本当に尊敬します。
長くなりましたが最後に、お金のこと。
私は学生という立場上、お金について、むしろ時に頼む側にあります。
長い就学期間中には、学費免除、家賃免除なんてときもありました。
もちろん私はドイツに来る前も来てからもバイトしていて、中には返済の済んだ分もありますが、それでも彼らが最初に私にしてくれた信頼というのは、将来このジャンルで働くことでしか返せないと思っています。
個人オイリュトミストにとって、ピアニストへの支払いはいつも悩みの種なので、奥様の理念は信じられないくらい素晴らしいですね。
>wasseryoさん
こんにちは。書き込みをありがとうございます。
同じドイツに住んでいて、しかもシュタイナー教育に魅せられている方と出会えて嬉しいです。
その「失望」のお話、よくわかります。ドイツなんだから、本格的にやって欲しい、みたいな漠然とした希望が僕にはありました。
逆にこのゲラがシュタイナー教育の観点ではまだよちよち歩き状態で、現実の壁は西側より厚いし、東の中でも他の都市より難しい状況です。時々入ってくるErfurtの情報なんかを聞くと、みんなうらやましくてため息ついたりしてます。だから、まぁこの状況でやれることをやるしかないだろう、と言うところからスタートしているような感じです。理想を忘れないようにしなくちゃ、といましめつつ。
僕自身、国や文化財団から奨学金を頂いて留学生活をした人間ですから、同じ気持ちを持っています。自分が、自分を活かせる形で社会貢献することが「返済」ですよね。気の長い話だから、この志を持ち続けることを肝に銘じなくちゃいけませんよね。簡単な事じゃないです。
どこに行っても、問題になることは同じなんですね。(^_^;)
お金だったり労働だったり、規模の大小に関わらず、人が集まって何か事業を起こすとなると、発生することではないのかなあと思っています。
参加意識の高い人、低い人、お金を出す人、出さない人、事業規模が大きくなるに従って、すれ違いや気持ちのズレは多くあることだと思います。
シュタイナーの特質があるとすれば、その幅が異常に広いことでしょうか。
その幅の広さに驚くことは多いのですが、自分のできることをコツコツやっていくしかないかなと思ってますよ。
まあ、長丁場ですので、ボチボチ(大阪人です)やりましょう。(^o^)v
>Hira@さん
お久しぶりです。書き込みをありがとうございました。
実際にシュタイナー学校に関わっておられる方のお話を伺えるのは、とても心強いです。確かに地に足のついた活動をするしかないですね。