今日は二回目のリゴレット本番でした。実に2週間あいたのです。
リゴレットの公演自体は16日にもあったのですが、その日はダブルキャストのもう一人のリゴレットであるミヒャエル・ユンゲ氏が歌ったので、僕はその次の第3回公演を歌ったわけです。あと2回あるのですが、27日は僕がポーランド国境近くのゲルリッツというところでコンサートを歌う関係でもうミヒャエルが歌うことになっていて、最後の7月1日をまた僕が歌います。5回を二人で分けるわけです。
さて、このドイツのオペラハウスの「レパートリーシステム」ですが、これについては何度か「恐ろしいものだ」と思ってきました。逆にこのレ...
パートリーシステムにどっぷりと浸かってみたくてドイツの専属歌手をめざしていたわけでもあるんですが。
忘れられないのは、チェコのプラハでジェルモンを歌ったときのことです。
このときは全く練習無しで、僕にとって初めてのジェルモン(どころか初めてのヴェルディ)を歌ったのですが、これについてはあるところで詳しく書いたので、その文章をどこか別の項にアップしたいですね。
今回はまぁもちろん練習は3ヶ月に渡ってしてきたわけですが、日本のやり方になれている僕にとっては、本番前に2週間何も練習が無いというのが初めてのことなわけです。
日本で、もしあるプロダクションの本番が2週間とか離れた日程で本番をやるならば、かならずその間に「思い出し稽古」をします。でもレパートリーシステムのハウスではそんなことはしません。
練習があるないという具体的なこともありますが、むずかしいのは気持ち的な問題でした(これは自分でも意外だった)。
「本番に向かってテンションを高めていく」といったやり方で舞台をする人も少なくないのですが、これは僕はあまり好きになれません。テンションが高まったところで冷静さを保てるプロフェッショナルならば問題ないのかも知れませんが、気持ちで持っていくと言うことがなにかその、「自分のために歌っている」という感じに近くなってくるからです。うーん。わかりにくいかな。
劇団四季の公演を見て感心するのは、彼らが毎日のように同じように演じて(もちろんそのなかでさらなる工夫とか進歩はあると思いますが)いるのに、毎回お客さんを必ず満足させていることです。人気テノールのK.I氏が言うにはその上毎日ミーティングがあって、どこに問題があったか話し合って改善していくとか(少なくとも「オペラ座の怪人」では)
まぁ日本のオペラの状況では一つのプロダクションの本番をたくさんやることは商業的に無理なようなので、それは仕方ないとしても、たった一度の本番に向けて、その本番さえ何とかテンションで乗り切るというのは、どうも「発表会」的で、お客さん本意に思えないわけです。
前置きが長くなりました。リゴレットのことです。
それで、自分としては日本でも、本番を出来るだけ冷静に努めてきたつもりだったのです。だから例えばドン・ジョヴァンニをやったときに「ずっと前からドン・ジョヴァンニで、これからもドン・ジョヴァンニとして生活していくように思えた」(まぁ一応ジョヴァンニは破滅するわけですが、印象の問題ですね)という感想をもらったりすることは僕にとってはとても大きな名誉なのです。「ドン・ジョヴァンニでいる」ことに対して本来テンションはいらないはずですもんね。そう振る舞うことが必要なんであって、「うおお、ドン・ジョヴァンニだぜい」みたいな盛り上がりはもちろんいらないわけです。
でも今回、やはりそういうテンションというか、練習の流れのなかで本番へのリズムみたいなものをやはり大事にしていたことに気付かざるを得ませんでした。よきにつけ悪しきにつけ。
レパートリーシステムの中では、リズムなんてありゃしません。じっさい、今日はリゴレットの本番の日だって言うのに昼にドン・ジョヴァンニの音楽稽古が入るし、人によっては前々日に「小鳥売り(ツェラーのオペレッタ)」、前日に「マイ・フェア・レディー」を歌って今日リゴレットの本番という人もいるわけです。
そして舞台では、なんというか、心もとない様な、自由なような、不思議な感じを持ちました。歌う事への集中力というのはどちらにしても必要ですからそれは体の筋肉の緊張と共に「本番モード」になるわけですが、もう一度やった舞台ですからなんといっても色々と冷静になれて、ある意味で楽しめました。時々冷静になりすぎるような木もしましたが、それが「過ぎる」のかどうかは、まだ答えを保留して考え続けていきたいと思います。
プレミエほど一杯とはいえませんでしたがお客様も沢山入って、またブラボーを沢山もらいました。これは何度でもうれしいものですね。
2001年6月22日(金)スクリプトで読み込み