ゲラでのリーダーアーベント


image
いやぁ終わりました。ゲラのコンサートホール・フォワイエでの歌曲の夕べ。R.シュトラウスの歌曲を22曲歌ってきました。この22曲はすべて、夏のデュオ・リサイタルで歌う曲目です。このコンサートは劇場後援会からの依頼で行ったチャリティーコンサートです。このコンサートホール・フォワイエの壁に掛かっている絵の修復費用を集めているそうです。こうして歌曲の夕べをやって欲しいと劇場後援会から依頼が来るのは、いつも僕になんだけれど、ドイツ人歌手にでなく日本人の僕にドイツ歌曲のコンサートをやって欲しいと言ってもらえるのは大変名誉なことです。本当にありがたいことだと思っています。
学生の時からずっと歌ってきたR.シュトラウスの歌曲ですが、ある種感慨深いことがあったのでエッセイとして書いてます。



image
依頼は今年の1月にあったんだけれど、トスカの立ち稽古の真っ最中で、結局7月まで実現しませんでした。オペラのプロダクションがどんどん続きましたから。プログラムを考えたとき、最初は、まだゲラでやっていないJ.ブラームスの「美しいマゲローネ」をやろうかとも思いました。でも、準備期間が短くなりそうなのもあるし、夏に東京で歌うR.シュトラウスの歌曲を一度舞台に乗せておきたいということもあったのでこのプログラムにしました。
 

image
20曲のプログラム。すべてR.シュトラウスの歌曲で、8月21日のデュオ・リサイタルVol.3で歌う曲ばかりです。デュオ・リサイタルVol.3ではこれにさらに曲が加わって約30曲になる予定で、さらに服部容子さんによるヤナーチェクのピアノソナタの演奏もあります。
R.シュトラウスの歌曲を存分に歌うコンサートは前からやりたかったのですが、声楽的にもピアノにとっても難しい曲が多いし、機が熟するのを待っていたという感じです。今から本当にうきうきしています。
前にも書いたのですが、声楽的な難しさを別にすると、R.シュトラウスの音楽は僕にとってとてもナチュラルで、頭をひねらなくても「体が勝手に歌いだす」感じなのです。音域も広いし、ダイナミックレンジも広い。転調も多いから、理解が難しい音楽と言う人もいます。それもわかりますが、僕にとってはすごく入りやすいのです。相性がいいんでしょうね。逆にシューベルトは僕にとってすごく難しい。
音楽の構造を演奏中に整理しながら歌うようなことがなくてすむので、演奏に没頭できる、言い換えると歌うという行為を全身で楽しめるのが、僕にとってのR.シュトラウス歌曲なのです。
 
とはいえ、音楽との相性がいいから声楽技術も吹っ飛ばしてうまく歌えるほど声楽というのは甘くない。技術面ではDavidの集中レッスンから約一ヶ月。今僕が抱えていた技術的な不明点をすべてクリアにしたところで、後は実践というわけで、リートに使うソフトな声のテクニックに関しても見直す必要がある根本要素があって、これはこのコンサートの前に徹底的にさらい直しました。それが本番で機能するかどうかが、僕個人としては一番の課題でした。
何事も訓練なわけだけど、間違った訓練でたたき込まれてしまった間違ったマッスル・メモリーはなかなか消えてくれません。悪い癖として残るわけです。一番いいのは、正しい筋肉の使い方で正しい声を出して、その声の魅力を自分に強く印象づけることですね。
 
「密やかな誘い」に始まっての20曲のプログラムは、歌い出すともうあっという間でした。R.シュトラウスは連作歌曲集をほとんど残していないので、曲のプログラミングはだいたいの場合バラの歌曲をいろいろな都合にあわせて並べていくことが多いですが、今回はデュオ・リサイタルと同様、作品21の全5曲と、作品69の全5曲をまとめて歌うので、内容的につながりがあるグループではないですが、作品番号という意味でまとまりのあるグループが二つもあり、流れもスムーズでした。
歌いながら感じていたのは、演奏技術の成熟がもたらす効果は、紡ぎ出される音の成熟にとどまらない、ということです。呼吸技術の安定という部分もありますからそれ自体が、演奏者の佇まいをも変えるし、自身や安心が曲想とか声とかの安定という直接的な変化だけでなくて、演奏への集中力と表現力に大きな影響を与えるんだ、と言うことを感じながら歌っていました。
ブレスコントロールが飛躍的に安定したので、空気と仲よくなるというか、自分の体とホールの空間が親密な関係になる、と言う感じで、演奏中はホールの空間の中に漂っているような不思議な感覚を味わいました。
そんな練習を経ての今回の本番。嫁さんが聴きに来てくれて・・・子供が小さいとなかなか嫁さんに本番を聴いてもらうのも難しいんだけど、今回は大事な本番だったので来てもらいました・・・彼女の感想を聞いて、僕の感じた感覚と大きくダブる点があり、うなってしまいました。「感慨深い」と最初に書いたのはこの点です。
この日のプログラムの中に、嫁さんに初めて聞いてもらったコンサートの曲目が何曲か入っています。・・・もう16年前なんですよ。時が経つのは本当に早い。彼女は「あの時から、こういうふうに歌いたかったんだね」と言ったんです。
言ってみればね、16年前から歌っている・・・いや、もっと前から歌ってるな・・・これらの曲を、自分が本当に歌いたいように歌える技術を手にするのに16年かかっちゃったということでもあります。そう考えると、情けないような気がしなくもないけど、多分そうではなくて、僕が今声楽家として、本当に演奏したい演奏を出来るようになってきていると言うことが、僕にとってナチュラルなR.シュトラウスの歌曲の演奏ではっきりとわかったということです。
そういわれて考えてみると、確かに僕はもちろんこの16年で音楽的にも成長はしていると思うけど、その時から歌っているR.シュトラウス歌曲のほとんどに関して、「こう歌いたい」というイメージはほとんど変わっていないことに気がつきます。手前味噌になりますけど、少なくともうちの嫁さんにおいては、この日の演奏をして「R.シュトラウスはこう演奏して欲しかったんだな、と言うのがわかった」という印象をのこすだけの演奏が出来たことは、僕にとっては記念碑的なことです。ちなみに嫁さんはリートはとても好きとは言えない、むしろ苦手なほうで、僕がやっていなかったらドイツリートとはあまりかかわりを持たなかったであろうタイプで、好きなのは断然オペラ。だからこの感想を彼女が持ったことはとても価値があります。僕にとってはね。
でも、お客さんは大喜びしてくれたし、劇場の新首脳陣の一人が聴きに来ていたけど、彼は歌曲歌手としての僕は全く知らなかったのでかなり驚いていたようです。いっつも大声出しているところしか見てないわけだからね。ははは。ちっとは繊細な歌も歌いますぜ。
 
僕にとって歌曲演奏家としてのアイドルは、常套かもしれないけど、やっぱりディートリヒ・フィッシャー=ディースカウヘルマン・プライです。幸運なことに僕はこの二人両方の薫陶も受けているので、先生であるとも言えるのですが、やっぱり僕にとっては指導者というよりは演奏家としてのアイドルですね。そういえばプライ・・・いや、先生なら呼び捨てはいかん・・・プライさんに聴いてもらったのはR.シュトラウスでした。ライブももちろん聴きましたが、二人の録音は本当にする切れるほど聴いて、ことに発音の癖や傾向については研究し尽くしましたよ。
そういう尊敬する演奏家であると同時に、ここで尊大になることをお許しいただけるならば、やっぱりライバル意識もあるわけです。同じバリトンだし。現状では僕のオペラのレパートリーはお二人のものよりも重くなってきているのですが、歌曲においては、彼らがよい演奏を残している曲はやっぱり僕も良い演奏をしたいとかね。ディースカウ氏の楽曲把握のスピードと技術的安定は僕にはもちろん真似のしようもないし、お二人が雲の上の人であることはよーくわかっています。それでも、愛するR.シュトラウスの作品では「彼らが歌っていて僕に歌えないことがあってはならない」みたいな、訳のわからない傲慢さが僕の中にあるわけです。すんません。(傲慢なら謝るな)
 
プライ氏の持ち味とディースカウ氏の持ち味はもちろん違いますが、R.シュトラウスの歌曲という点で言うと、僕の選ぶベストレコードは、プライ氏がサヴァリッシュ氏と録音している、もう廃盤になっている録音です。これは本当にすごい。まさに「R.シュトラウスはこう演奏して欲しかったんだ」という録音です。
でもね、これの場合、僕がこう思うのには根拠があるのです。ここでもう一人の大歌手の登場。ハンス・ホッター氏です。僕は1989年と1991年の二回、ハンス・ホッター氏のドイツ歌曲レッスンをミュンヘンで受講しました。
ご存知の方もいらっしゃると思うけど、ホッター氏はR.シュトラウス自身から歌曲のレッスンを受けたことがあるのです。そしてR.シュトラウス自身の伴奏で歌ったのです。ホッター氏はこのときの経験は宝物だといっていて、レッスンでもその時の話をしてくれました。
そして、R.シュトラウス歌曲の有名なナンバーで、R.シュトラウスが意図したものが何なのか、伝言ゲーム的ではありますが伝え聞いているわけです。ディテールは内緒。
それが、この録音では見事に体現されているのです。そういうお約束的なところで「正しい」というだけでなくて本当にすごい演奏です。そして、指揮者であり素晴らしいピアニストでもあるヴォルフガング・サヴァリッシュ氏は、R.シュトラウスのスペシャリスト。
面白い発見は、おなじサヴァリッシュ氏とのペアで、ディースカウ氏のR.シュトラウス録音もあるのですが、これはホッター氏の指摘で「よく勘違いされて演奏される間違った演奏パターン」とされている様な演奏でした。もちろんこれはこれで素晴らしい演奏なんですけども。
想像では、プライ氏の方がサヴァリッシュ氏の解釈に対して従順な態度で臨んだのでは?と思うのですが、プライ氏の凄さの一つはある意味で、霊媒のような「空っぽさ」だと僕は思っているので、それに照らしてもこの推理は当たっていると思う。
 

image
このプライ氏のものすごい演奏を聴いて、影響されないわけがない。今回のプロにもそのレコードの曲目からいくつも入っています。作品21はこの録音にも入っているけれど、日本リヒャルトシュトラウス協会の例会にゲストで登場して歌ってくれたのもライブで聴いています。
1曲、このプライ氏の録音で初めて聞いた曲があり、これは本当に凄かった。最初に聴いたときは「うわーっ」と思いました。「こんなに美しいものがこの世にあるのか」という想いでした。
そこまで迫れるかどうかは別にして、僕なりのアプローチで美しい演奏に仕上げたい、究極の美に一歩でも近づけたいと思います。

image
 
全然関係ないようですけど、このヒマワリ、きれいでしょ。リーダーアーベントの前日、アルテンブルクでの合わせの帰り(これ、21時です)に道沿いに会ったヒマワリ畑があまりにきれいだったので車を止めてとりました。
こっちの夕焼けもそう。美しいです。アルテンブルクからの帰りは良くこういう美しい夕日に出会います。

“ゲラでのリーダーアーベント” への6件の返信

  1. 小森さん、最近だんだん、読むだけになってしまっていますが、プロのすごさを知る事ができ、すごい人なのだ・・・と、感心しながら読ませていただいています。 奥様の支えも大きい事と思います。  
    8日にベートーヴェンのお芝居「1824年」に出ました。最後に第九を歌う場面があり、合唱が40人くらいで、バリトンソロはハラケイさんでした。

  2. 今ちょうど、小森さんのヴォータンをイメージしながら、ショルティ&ウィーンフィルの歴史的名盤「リング」を聞き直していたところだったので、ハンス・ホッターのヴォータン、ディースカウのグンターなどを聴いていました?。
    うーん、これを越える「リング」はまずないのでは?
    ヴィントガッセンとニルソンという組み合わせが同じ時代に歌っていたんですものねぇ?すごいなぁ・・・神々しいホッターのヴォータン、悲劇のヒーロー:ジークムントを陰影のある声のジェイムズ・キングが歌っているし、他にもサザーランドが森の小鳥、ラインの乙女にルチア・ポップ、ギネス・ジョーンズだったりとにかく豪華ですものね。
    ホッター、ディースカウ、プライという大歌手は同じバリトンでもオペラ歌手としてのレパートリーはかなり異なりますが、この3人ともリートの名手であったのですものね。
    こういった名歌手から薫陶を受け、また次の世代に引き継いでいくリレーのバトンを持っているのが今まさに小森さんなのでしょうね。
    ヴォータンを持ち役にされる小森さんが稀代のヴォータン:ホッターから教えを受けていたのも(歌曲のレッスンであったにせよ)興味深いなぁ?と思っていました。

  3. >ジョフィさん
    そうですね。やっぱり嫁さんがいて初めて今の僕があるという事です。うちの場合は特にそうかなと思います。
    ハラケイさんがお芝居で第九のソロを歌うという話は聞いていました。ジョフィさんも出てらしたんですか。
     
    >えーちゃんさん
    ホッターの録音の中ではやはりショルティのものが最高という意見が多いですね。ショルティ盤ではたしかラインの黄金ではジョージ・ロンドンがヴォータンを歌っているんですよね。僕はロンドンは大好きなのでそっちも興味あります。
    公開レッスンとかも含めると、僕は何人かのヴォータン歌いの教えを受けています。
    ハンス・ホッター、日本人バリトンの中で僕が最も尊敬している歌手の一人である勝部太先生、ドナルド・マッキンタイア・・・。
    マッキンタイアは芸大の公開講座として、レッスンの後にジークフリートの謎かけの部分を歌ってくれたんですけど、これは本当に凄かった。ホールの屋根が落ちるかと思いました。凄い音圧でした。ブーレーズ盤のバイロイトの録音でヴォータンを歌っていますね。

  4. 今回も僕はコーブルクにいたので伺えませんでした。すみません、いつも声かけていただいているのに。僕の同僚で劇場のオルガン弾きのZitzmannさんはとても感動してらっしゃいましたよ。あの人、けっこう耳が肥えていてうるさい人なんだけど、とても気に入ったようでした。
    今、ショルティの自伝を読んでいるところなんですよ。この間、ニュールンベルクでラインの黄金観たけど、楽しみました。ヴォータンはヘルデンだけど、まあまあ。フリッカは素晴らしい歌手でした。これから売れますよ、彼女は今年のゲヴァントハウスの第九でソロやるみたいだけど。指揮のプリックの職人芸には脱帽でした。

  5. >Tomさん
    こんにちは。反応が遅くてすいません。
    そうですか、Zitzmannさん。いつも来てくれるからね、あの人。
    ヴォータンはスコアにはHoher Bass(高いバス)と書いてありますね。ニュルンベルクでは誰が歌ったんだろう。ケムニッツではRalf Lukasが歌ったようですね。フローの田村君、どうでした?

  6. 田村君、個人的には好きです。カヴァラドッシはまだ聴いていませんが評判いいですね。ただ、今回のニュルンベルクのプロダクションはかなりいいメンバーだったので、彼が傑出しているという事はなかったですね、正直なところ。ただ、あの環境の中で彼が仕事をしていくと、かなりのびしろのある歌手ですね。アルベリヒのWellkerなんて決して美声ではないけれど、人をひきつける物が他の人と全く違う。ローゲも今年のバイロイトに出ているけれど素晴らしかったです。前にも書いたけどプリックには脱帽でした。
    Ralf Lukasのヴォータンは99年にミュンスターで聴いています。これは当時ミュンスターがゲストとハウスの歌手を結集してリングをやったんです。Will Humburgの気合が入った指揮が印象的だったけど。ただ、Lukasのヴォータンは声的にかなりしんどかったです。ラインの黄金あたりはまだ良かったけど、ヴァルキューレなんか、それはもう。ダブルキャストのハーリー・ペータースも同じく。ブリュンヒルデにHerlitziusが来たけど、印象に残っているのは当時ミュンスターのアンサンブルにいたHesterというアメリカ人ブッフォでローゲやジークフリートでのミーメは今でも忘れません。今はカッセルで歌ってるみたいですね。
    録音では個人的にハイティンクのが好きです。バイエルン放送響はオペラは滅多にやらないけどいいです、ドイツの音がして。歌手もいいですね。
    この間放送されたラトルのヴァルキューレ、好みは別れるかもしれませんが、やっぱり素晴らしいですね。ホワイトのヴォータン、これもいろんな意見があるかもしれませんが、味のあるヴォータンでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です