サッカー日本代表チームの監督交代

しましたね。オシム監督、僕は彼の活躍を直接見る事は出来ていないんですけど、今ではインターネットという便利なものがあるので・・・このHPもそうですが・・・海の向こうにいても結構いろいろな情報が入るから、オシム監督の事は大変好ましいというか、日本サッカーにとってすごく良い状況だな、と思っていたのです。試合も観ないで何が判るか、という話にもなりそうですが、基本的にサッカーというものに関しては中学から大学時代にかけてガッチリ自分の体で体験しているので、結構インタビューとか記事とか見ているだけでも、少なくとも僕自身が興奮できる程度には、オシム・サッカーを体験できていたと思います。


なので、大変残念です。とにかく良い治療を受けられて一日も早い回復をお祈りしたいと思います。
 
で、岡田監督再登場!
ぼく、この岡田監督も大好き。っていうか、岡田監督が大好きです。はい。でも、今は岡田監督とかオシム監督の事を書くんじゃなくて、岡田監督の再就任に伴って話題になった、ある対談の事。
リンクはこちらです。
こっちもあります。重複する部分もあるけど。

 
この方、すごいと思っていたけど、やっぱりすごいなぁ。もちろんこういう事柄を認識して、気にしてらっしゃる方は多いと思います。でもこういう形で言葉にしてくれるとすごく嬉しいし、納得できる人も多いんじゃないでしょうか。
 
やっぱりね、外人コンプレックス、欧米コンプレックスは強いです。我々日本人は。こんな事書いてる僕もそうです。このコンプレックスで自滅しかけた事は数知れず。僕の仕事の場でも、自分の持つコンプレックス、他のみんなの持つコンプレックスをひしひしと感じる場面があります。
僕の立場からこれを言うとひがみみたいですけど(実際、単なるひがみかも知れない)全然名前も聞いた事ないような外人キャストの日の方が、日本の誇るオペラ歌手が並んでいる日本人キャストの日よりチケットの売れ行きが良かったり、中には「自分は日本人の歌うオペラは聴きに行きません」と日本人オペラ歌手におっしゃる方もいらっしゃったりして。多分、何かネガティブな気持ちを持っておっしゃったんじゃないと思われるんだけど。まぁでも、オペラは日本の伝統芸能じゃないですから、本格派、オリジナルを見たい、と思えば、日本人じゃない方が良いですよね、そりゃ。でも厳密に言えばアメリカ人が蝶々さん歌ったり、ドイツ人がマクベス歌ったりしてるわけですけれども・・・まぁいいや。
実際、仮に、ですけど、日本最高のオペラ歌手10人を集めて、世界最高のオペラ歌手10人と比べたら、まぁ遜色があるでしょう。でもね、ここで良く間違われてるなぁと思うのは、世界と日本というのは比べる単位が違うんだよね。世界という国はないのですから。「日本人のレベルはまだ世界レベルに達してない」っていう表現を何度も見たけど、日本とドイツ比べるのとは違う行為なんですよね。外国が「海外」である事も関係あると思います。
 
いやね、もちろん、日本の歌手は他の国々と比べてトップレベルだって言うんじゃないです。事実、そうじゃないですから。でもヨーロッパに出てあちこち見てると、まず日本のオペラのレベルが如何に高いのかを認識します。なんだ、日本人って結構すごいんじゃんか、って留学してまず思いました。
そして、その後段々判ってくるのは、日本人の特性みたいなもの。日本のオペラ歌手のレベルというのは平均してすごく高いんだけど、びっくりするようなインパクトを持つキャラクターが少なかったり、名人芸で唸らせる事が少なかったりするかも知れない。お行儀が良くて、きちんとしていて、そして何よりプロフェッショナルで自分の仕事に責任を持つ。いい加減な仕事をしません。
でも、時にはいい加減で、自分の出るオペラのあらすじも知らなかったりするけど、びっくり箱のような声で強烈なインパクトを与える歌手の方が重用されたりしてね。日本人にはこういうの向いてないから、まぁ地味という事になっちゃうのかな。
・・・ここまで書いてきて、それは違う、という声も聞こえてきそうな気がしてるので、念のために書きますけど、これ、僕の全くの私見ですから!独りよがりの独断と偏見です。そう思って読んで下さい。
 
でも、ここ数年かな、10年くらいかな。これもちょっと変わってきている。オペラ歌手の個性というのが日本人歌手の中で強烈になってきていると思う。喜ばしいことです。
サッカーで言うと、僕はこれ良く話すんだけど、日本の古いスポ根は精神教育だけど「辛い時に我慢する」方向の精神力だと思うのです。良い結果を残すために求められるのは本当はちょっとちがうんじゃないかと思う。ピンチでも、我慢じゃなくて、図々しく個性を出し続ける、ファンタジーを働かせる、こういう精神力がないと結局勝てない。
だから昔の日本代表は先制されるとすごく弱かった。あるいは勝っていてもピンチになると大崩れしたりする。そこで、すごいリーダーシップとファンタジーで日本代表を引っ張ったのが、ほかならないカズだと思う。ピンチでも彼はおおらかで、自分のプレイを貫く。ある意味図々しいわけです。(関係ないけど、僕はカズと同い年で身長も一緒。イェイ。いまだに現役はすごすぎる。心から尊敬してます。)
難しいです。ピンチで大胆な事やると、後でプレスで叩かれるからね。ドーハの時だって時間稼ぎのボール回しをするべきだったのにしなかったったって武田選手が叩かれていたような気がする。気のせい?確かな記憶じゃないけど。まぁこれはちょっと違うケースかも。まあいいや。
  
ピンチでファンタジーを働かせるなんて、図々しくなきゃ出来ない。出る杭は打たれると思ってたら絶対出来ない。高校のサッカー部の練習での印象的なシーンがあったのですが、ある先輩が3年になって引退してから練習に顔を出してくれて、その時すごくトリッキーでファンタジーに溢れるプレーをして、見事にシュートを決めていたら、OBが「おまえ、どうしてそう言うのを現役の時にやんねぇんだよ!」と言われていた。
無理です。現役の時は責任があるから。できないのです(と思う)。悲しい事に。トリッキーなプレーをして失敗したら、「遊んでねぇでまじめに、無難にやっとけ」と言われる。試合の後に罰でグラウンド20周させられたかも知れない。しかも場合によっては全員で(団体責任)。これは岡田監督、平尾さんのプレスとのやり取りでのエピソードにもつながると思う。エピソードの紹介の後、彼はこんな事を言っています。
 

ホイッスルが鳴り、試合が始まって、「負けよう」と思うヤツ、「負けてもいい」と思うヤツなんて、一人もいない。ところが先ほどのように、「負けるつもり」云々の批判が起こる。日本はある意味で「空気」に左右される。これは戦争の時代と変わっていない。ここに外国人監督が合理的な考えを持ち込んでいる。そういう意味では、サッカーの日本代表監督は、まだまだ外国人でもいいのではないか、と思う。

 
話飛びますけど、ドイツの偉大な詩人シラーは、芸術を高次の段階での自由な遊びと考え「人間は遊んでいる時だけ完全に人間でいられる。・・・そして本当の意味で人間でいられる時だけ遊ぼうとする。」といいました。これ、本当。遊技衝動と彼はいっているけど、これが出来ると人間というのはすごい能力を発揮するわけです。これは芸術の話ですけど、「サッカーはアートだ!(川平さん兄弟)」ですから。
こういうのが、日本サッカーのプレーを見ていて最近感じられます。上に、監督に、そして岡田さんの言う「空気」に支配され切らずに遊んでしまう。これ、すごい事です。
  
オペラ界でも最近こういう風を感じます。すごい良い事ですね。
でもね、その先はどうなるんだろう、って思っていた。ヨーロッパの連中と同じように自由になったとする。技術も向上して・・・事実、日本のオペラ歌手の技術レベルはすごく高いです。平均からすると。日本に来ているような欧米の歌手は、トップですから、そこと比べるとまた話が違うけど、ドイツの各地でオペラを見て日本人のレベルと比べると、これは実際、高いんです。
でも、その先はどうしたら良い?とずっと考えていました。
 

 「今、日本人の子供は、ボールコントロールはめちゃくちゃうまい。世界でもトップレベル。でも、それをいつどうやって使うのかが分かっていない。日本人は学び好きで、教え好きな分、自分で判断さすようなことが苦手。自分も横浜マリノスで失敗している」
 
 そこで明かしたのは、03年、04年とマリノスを優勝させ、臨んだ05年、06年シーズンのこと。岡田さんの戦術への信頼が、かえって選手の判断力を奪ってしまったという反省から、選手自身が判断する戦術に移行を試みたが、結果は出せず、結局、06年のシーズン途中で、岡田さんは監督を辞任することになった。
 
 実は、僕はこの勝てなかった2年間、マリノスの試合を取材することが多かった。当時、岡田さんが盛んに、「今季はおれは何も言わない」という意味のことを繰り返していたが、選手の方は「どうしていいか分からない」と戸惑っていた。ジーコ前日本代表監督も、自由ということがキーワードだったが、結果的にはその自由をうまく使いこなせなかった。サッカー界に限らず、日本社会全体が抱える課題とも言えそうだ。

 
サッカーというのは個人スポーツではないから、やはり完全に自由にやるわけにはいかないですよね。チームのアイデンティティを育てる作業は、マリノスではシーズン通して出来るかも知れないけど、例えば代表チームでは一緒に過ごす時間が短すぎると思うし。
このケースでは、個人とチーム、個人プレイと戦術、という要素が大きく関わっていますが、僕らの世界、音楽の世界でも技術が向上して個人的な演奏の質が上がっていっても、その次の段階の課題を見つめないといけないんじゃないか、と思っていたのです。それで、これを読んで、面白いな、と思った。

武道の精神というのかな。外国人の選手と、お互いに筋肉を鍛え合うような勝負をしても、絶対勝てない。生きるか死ぬかの一本勝負というか、武道でいう究極の状況で、60兆細胞の力全部を使うような、そういうものを出していかないと、いつまでたっても彼らは超えられない」

って、そんな簡単に判る事でも実践できる事でもないでしょうけど。
僕が僕なりに考えていたのは、やはり日本人が学ぶべき点を学んだ後にやるべき事は自分たちの文化や気質から来るものをさらに高い次元で活かす事です。多分、岡田監督の言っている事はそれと近いんじゃないだろうか、と思った。僕が考えていたのは、日本人の美点と僕が認識している協調性や繊細さ、想像力、危険予知能力などなどでしたが、なるほど、武道か。ちょっと僕ももうちょっと突き詰めて考えてみよう。
感動しました。岡田監督、ありがとうございました。
 
やっぱりね、ドイツの音楽芸術はすごい!と思ってドイツに渡ってきた僕ではありますが、完全にドイツ音楽に魅せられながらも、ドイツ人たちの音楽を真似して上手にできるだけじゃ嫌だってのがあるんです。傲慢かも知れませんが。2月のワルキューレの事でもそれを考えてます。
 
とはいえ、僕の中にあるコンプレックスも相当なものです。ここのところ急速に消えつつあるんですけどね、不思議に。
例えば魔笛の弁者を歌った時の事を、この間のツヴィッカウのピンチヒッターの話が出た時も思い出していたんだけど、セリフが多いこの役、結構大変だったんですね。僕はドイツ語そのものが大好きだし、舞台語としてのドイツ語は苦手じゃないです、たぶん。でも、舞台でドイツ人の中でドイツ語のセリフを言うとなると理由もなく怖くて、ちょっとセリフを噛みそうになると「ああ、今のでお客さんのうちの何人かは『こいつは東洋人だからセリフが不得意なんだな』とか思ったかも知れない」とか思い始めちゃうんですな。被害妄想の領域かも知れない。
現実には評判もよかったし、問題意識を変に思う方がずっと不健康なのは頭では判っていてもなかなか払拭できない。日常生活でもそうでした。学校での会議とかで発言する時も異様に緊張してたし。でも、段々それがとれてきている。そういう時期なんでしょうかね。だから、という事もあってこの岡田監督の話は大変心に響きました。

“サッカー日本代表チームの監督交代” への2件の返信

  1. こんばんは。
    外国人コンプレックスを軸にサッカーとオペラを比較しているのがとても面白かったです。
    実は夫に「小森先輩の日記、面白かったよ」と薦められて読みました。。。
    ところで朝日の記事を書いている人物、
    31期でサッカー部だったのではないでしょうか?
    私と同じクラスだったサッカー部エースの男の子(M君です)が
    「同じ会社なんだよ?」
    と言っていたのでたぶんそうかと。
    M君も、よくサッカーネタを、たぶんデスクに振られたんでしょう、よく書いていましたね。
    それにしても
    「ピンチでファンタジーを働かせる」
    なんて、なかなか出てくる言葉じゃないですよ、
    やっぱり芸術にしろスポーツにしろ
    毎日勝負をしている人の台詞だなあ。
    私なんて60兆細胞のうちどんだけ使ってるんだろう
    いやむしろどれだけ眠らせてるんだろうと
    考え込んでしまいました。

  2. >チャーシューさん
    書き込みありがとう。
    そうなのか。M氏は31期のキャプテンじゃなかったっけ?だからか面識があるけど、僕は芸大受験のために早めに引退してしまって、2年下の後輩の顔がいまいち判らないんだよね・・・。もしそうだったらお手紙書きたいくらい。
    ピンチでのファンタジー、そうだね。例えば本番の中で、小道具がないとか、衣装が破けたとか、そう言うのを切り抜けるのも工夫、ファンタジーだからね。こういうのは日常的にやってるかもね。
    でもさ、映画でもそうじゃない?ヒーローたちはピンチに陥った時にとんでもないアイディアを思いついてそのピンチを切り抜けていくわけだよね。
    「ピンチに陥ってしまってすいません。後で責任とりますから」なんて気持ちになってしまったら、もう終わりだもんね。

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