ワルキューレを終えて


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二期会公演のワルキューレが、お陰様で無事におわりました。公演終了後の火曜日に飛んでもうドイツに戻ってきています。慌ただしかったです。いつもの事ではあるのですが。
これもいつもの事ですけれど、一つのプロダクションが終わり、一つの役・・・今回はこのヴォータンという一際強い愛着のあるこの役・・・と別れを告げる事で、何だか自分の中が空っぽになってしまったような気持ちになります。現実生活としてはそんな事を言ってはいられなくて、またドイツでの生活にリズムを戻さなくちゃいけないし、カルメル修道女の会話コジマ、ローエングリンと畳みかけるように続く本番と稽古をしっかりと務めなくては行けませんから、どんどん気持ちを切り替えていなくてはいけないのですが、なかなかきつい作業です。



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日記をあまり更新できなかったにも関わらず、多くのコメントを頂きました。ありがとうございました。初日の公演に関していただいたコメントは本当に励みになりました。
  
それにしても、この人たち・・・正確にはこの神達・・・は、どうして皆、こんなに一生懸命なんだろうか。ヴォータンにしてもブリュンヒルデにしても、フリッカも、半神であるジークムントとジークリンデもそうだけど、「どうしてそこまで?」と思わず言いたくなるようなひた向きさで生きています。登場人物の中で唯一の人間であるフンディングも自分や部族の誇りを守るためにかたくなに生きている、といえますよね。
この無我夢中の、自分の使命をやり遂げようとする、まさに命を賭してやり遂げようとする姿に触れるとき、僕はやはり涙しないわけに行かない。まさにそのひた向きさが、決して明るくない、幸せでない結果を生んだりするわけですが、その中で誰もが、自分の使命の遂行をあきらめたりはしない。その苦境の中の精一杯の努力と行動の中に「絶望の中の希望」が煌めく。この煌めきは、本当に人の心を打ちます。

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心に迫る瞬間の一つは、例えばジークリンデの3幕歌い終わり近く、ブリュンヒルデへの感謝を込めて歌い上げる「O hehrstes Wunder, herrlichste Maid!」(おお、もっとも高貴な奇跡よ!もっとも気高い乙女よ!)ですね。メロディーが素晴らしく印象的なのですが、死んで愛するジークムントのところに行きたい、死なせてくれと言っていたジークリンデが、自分のお腹にジークムントの子供がいると知った途端に、生きる希望どころではなく、生きる事を何が何でも守るべき使命とみなして、なりふり構わない生存願望をさらけ出すところが、僕の心を震わせます。その上でこのメロディーで恩人であるブリュンヒルデへ感謝を告げて去っていくのですね。録音なんかを聴いていると、ここが来ると涙腺が緩むなんて言うんじゃなくて、涙がドッと出ます。
 

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ヴォータンに関して言えば、やはり神々の終焉をなんとか防ごうと必死になって想いを巡らし自分なりに行動するわけですが、自分が生み出した者は結局は自分の奴隷に過ぎず、自らの意思で行動するものしか神々を救いえないという矛盾から脱する事ができない。望みを託したジークムントさえ自分の与えた剣ノートゥングによって守られていると言う矛盾によって完全に自由ではあり得ない事を妻フリッカに思い知らされる・・・。神々の長であるヴォータンは規律、契約を破る事は許されない。しかしアルベリヒによる神々の終焉はなんとしてでも妨げなければならない。しかも愛を呪ったはずのアルベリヒには奇跡が起こって彼の息子をある女性に身ごもらせる事に成功している。もう時間はないのです。自分のこの孤独な悩みを唯一ブリュンヒルデだけに明かすのが2幕の長大なモノローグです。あまりに濃密な音楽です。

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ここをどう料理するかで、少なくともヴォータンにとってはワルキューレの流れがある程度決まってしまう部分があり、この場面は本当に苦労しました。表現者のインテリジェンスを最高に発揮しなければいけない場所だと思います。これに比べれば、ある意味で3幕は楽なのです。感情的に単純と言うか、ある程度感情に身を任せる事で流れができてきますから。作業はもちろん多いし、声楽的な負担もすごいのですが、流れができてしまえば演奏、表現に関しては2幕よりずっと楽です。
 
このオペラ・・・正確には楽劇と言う定義ではありますが・・・は、本当にすごい力を持っていますね。それを思い知らされました。理解が深まれば深まるほど、作品の声がはやり聞こえてくるのですが、敷き居が低い作品とは言えないですね。受け取る側にも一定の忍耐力や訓練が要求されてくるかも知れない。
僕はずっと、舞台と言うのは受け手の準備を必ずしも必要としないべきだ、と考えてきたのですが、これはこれとして、受け手がその舞台に接する前にある程度準備してある場合にこそ圧倒的な説得力を発揮する作品やプロダクションがある事を認めないわけには行かない、という気持ちになってきていて、今回もその気持ちを強くしました。
もちろん舞台と言うのは初めて見るお客様にも理解されるべきで、どちらかと言うと僕はずっとこっちの方を重要視してきたのですが、両方のバランスをとりながら両方のポイントで深く作品を表現していかなくては、と思いを新たにしました。
 
少しネットなどを見ていて驚いたのは、2幕最後の場面への反響が大きかった事です。僕はこのシーンに強い思い入れがあったので、ここを印象的と受け止めて下さった方が多かった事はとても嬉しかったです。
僕がフンディングにさげすみつつ「Geh!」(行ってしまえ!)と二回言う、その言い方へのこだわりをお持ちのワーグナーファンの方が多くいらして驚きました。作品を熟知されているお客様が、より深くこの舞台を楽しみ、味わって下さった事が感じられて嬉しかったです。組によって芝居がちがった事も指摘されていましたが、その通りでした。
 

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演出のジョエルとは稽古を通じて、本当に強い信頼関係を築く事ができました。芝居はかなり頻繁に変えていったけれど、気に入るのと入らないのははっきり言ってくれたし、彼の感性、判断基準がわかってくるとそれにまた刺激を受けていろいろとアイディアが浮かんできました。そのやり取りの中でかなり好きにやらせてくれました。僕自身、自分からどんどん芝居をしかけていくのが好きなタイプなので、この稽古プロセスをとても楽しむ事ができたし、他の組の芝居なども観察していると、どうやら僕の仕掛けた芝居からジョエルが刺激を受けて演出に組み込んでくれたところも多かったみたいで、これは本当に嬉しかった。彼は僕とほとんど同い年(一つ違い)なんだけど、すごく冷静で、でも感情豊かな人です。忍耐強く、知的で、この年齢とは思えない落ち着きを備えた人ですね。また彼とは是非一緒に仕事をしたいです。
 
この2幕最後の場面は特に僕が毎回やり方を変えていた箇所でした。最初は立ったまま向き合う、という段取りだったんだけど、僕はどうしてもジークムントを抱きしめたくて、まずは立ったまま抱きしめる様にしていたのですが、その後考えて膝をつく事にしました。ひしと抱きしめてだき合うパターンから、上を向いて嘆くパターンに変えたり、いろいろやりました。最終的に本番のバージョンが一番良かったと思います。Gehの言い方も、最初は振り絞るように絶叫していたのですが、今回はフンディングに実際に手を下すのはフリッカと言う事もあり、さげすみを強調して言うやり方に変えました。20日と23日でもちょっと変えたのですが、それに気付かれた方がいたのには本当に驚きました。すごく集中して聴いてらっしゃるんですね・・・。脱帽です。
 

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逆に、これに関してはあまり気に留める方はいないような気がしているのが、槍の扱いです。
槍はヴォータンのシンボルでもあり、ヴォータンの行動を支えると同時に制約する「契約」の象徴でもあります。でも、槍の持ち方をうまくやらないと、「槍を持ってアイパッチをしていればヴォータン」みたいな安易なところから抜け出せなくなります。古いイメージとして「バラをくわえていればカルメン」みたいなもんでしょうか。
実は、片手がふさがってしまうので、演技の自由度は下がるし、本当に厄介なんですね、これ。僕は立ち稽古にはいる前からこれは少し悩んでいて、持ち方のパターンは少し前もって用意しておきました。歩く時は前を低くしないと「杖」みたいに見えちゃうんです。(舞台スタッフに一度「はい小森さん、杖です」と、槍を手渡された事がありましたが)
ヴォータンと言うと神々の長で、貫録があって、ゆっくり歩いて・・・みたいなお決まりのイメージだけが先行すると、芝居での色が付けにくくなります。これが立ち稽古に入る前の僕の悩みでした。
立っている時に槍の持ち方、地面につく位置、体との離し方でかなり表情が変わる事がわかってきて、途中からは有効な表現手段として使えるようになってきました。
 
特に使い方を変えたのは、前述の2幕5場。決闘のシーンです。最初に出てくるところは、ト書きにはなく、要するにこれから戦いが繰り広げられる場所を偵察に来たようなものですが、のそのそ仙人のように来るのではなく、戦いの緊張感を体に持たせるために違う持ち方にして見ました。あとはフンディングが死んだ後にブリュンヒルデを追いかけていくところです。ストレートな感覚としては、怒りに燃えて疾走するヴォータンになりたいところですが、舞台事情から走るわけには行かないので、やはり体の緊張感を変えるしかない。ネタをバラすのは良いのか悪いのか判りませんが、参考にしたのは山本太郎さん演じた新撰組の原田左之助。種田宝蔵院流ということになりますが、まぁそんな厳密に参考にしたわけではもちろんなくて、ただ槍の持ち方の表情を付けたいと思った時に、思い当たったのでした。
 
この槍・・・稽古と本番のプロセスの中で何度か壊してしまいました・・・。舞台スタッフの皆さんにはご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした。僕は時々小道具を壊してしまうのです・・・ゲラでもそう・・・扱いはかなり気にしてはいるのですが、小道具を乱暴に扱う芝居で、それを手加減すると芝居の内容として軽くなってしまうのがやっぱり嫌で・・・。でも作って下さったスタッフの皆さんからすれば単なる破壊なんですよね。申し訳ないです。
でも、スタッフのクリエイションの皆さん、嫌な顔一つせずにフォローして下さって、本当にありがとうございました。小道具の事に限らず、本当に素晴らしいスタッフに恵まれました。作品を、そして劇場を愛しているスタッフと一緒にさせてもらえる仕事は、本当に至福の時です。
でも最初に折れた時はさすがにショックを隠せない御様子で、僕は激しく反省しました。でもその後に「気にせず思いっきり行って下さい!」とわざわざ声をかけて下さって、感激しました。2幕モノローグの最後で槍を投げ捨てる芝居があるのですが、通し稽古くらいから契約の象徴である槍に対して「こんな槍の契約があるから俺は不自由なんだ!」みたいなコンテクストで、より激しく槍を床に打ちつけるようにしていたので、やっぱり結局はここで折れてしまったようですね。初日の本番中、二幕の五場以降、予備の槍の出番となりました。稽古のあいだずっと支えてくれた槍は初日の前半で役目を終えたわけです。二本の槍、ありがとう。
 
ヴォータンの槍は先がジグザグに曲がっていて面白かったですね。ビジュアル面でのこの舞台の充実はジョエルの舞台装置とともに小栗菜代子さんの衣装が大きく貢献していましたね。僕の衣装は人間界にヴェルゼとして出現する時とヴォータンとして行動する時では上着が違ったのですが、ヴォータンの方の茶色い上着は、アイパッチと相まって「キャプテン・ハーロック」を思い起こさせました。
このアイパッチはもちろん透けて見えるようになっているのですが、ずれたり見えにくかったりいろいろあって、結局本番で使ったものは6パターン目じゃなかったかな?八百屋(傾斜舞台)になっている上に、先端がオーケストラピットにはみ出している舞台だったので、暗めの照明だし結構視界には神経質にならざるを得ませんでした。ずいぶん衣装の小栗さんと舞台スタッフを煩わせてしまいましたが、本番はとてもやりやすかった。ありがとうございました。
 

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飯守先生とは今回初めてご一緒させていただきました。本当に素晴らしい体験でした。カーテンコールでの飯守先生への爆発的な拍手とブラボーが語っていると思いますが、本当に飯守先生の情熱と厳しさなくしてはこのプロダクションはこの音楽的水準に達する事はあり得なかったと思います。
ワーグナーの音楽への深い愛と深い理解から紡ぎ出される飯守先生のタクト裁きをみているだけで心が震えました。自分の出番を待つ時に袖のモニターで僕が見ていたのは、舞台のモニター映像ではなくて飯守先生の映っているモニターでした。
実は違う組の舞台オーケストラ稽古をみていて、だいぶテンポ感が違う事に気付きました。飯守先生は歌手のキャラクターにあわせてサポートして下さっているんだなぁと思ったのですが、やっぱり違うテンポ感の演奏を聴いてしまった後はそれにとらわれてしまって、GPは若干自分のテンポを失ってしまいました。
本番の前にテンポについてのお願いをするのはどうかと思ったのですが、考えた揚げ句にやはり初日の日に飯守先生に事情を説明して、今日の演奏では自分のテンポ感に戻したいのですが、と申し上げたら、飯守先生は「大丈夫です。自分のテンポで歌って下さい。僕と小森さんは解り合えますから」と言って下さったのです。大感激でした。
 
この本番の時期に、悲しい事がありました。東京オペラプロデュースの松尾洋さんが亡くなったのです。僕は21日のお通夜にうかがいました。僕は蝶々夫人のシャープレスで大学院時代にデビューさせていただいて、その後も松尾さんには本当にお世話になりました。日本のオペラ界に本当に、本当に大きな影響を与えた方だと思います。ご存知の方も多いと思うのですが、東京オペラプロデュースは、数多くの珍しい作品、難しい作品にスポットを当てて多くの日本初演を行ってきました。二期会や藤原歌劇団、新国立劇場などの大きな団体とは違う切り口で日本のオペラ界に刺激を与え続けて来られました。こういう書き方は傲慢ですが、僕が日本にいる間に亡くなられて、お通夜で奥様であり東京オペラプロデュースを一緒に引っ張ってこられた竹中史子さんにお会いできた事にも何か意味が託されているのではないかと思っています。僕は何かをここから受け取らなければいけない気がしています。この流れを絶やしてはいけない、というような単純な事だけでなくて。
このエントリ内で書くとおまけのようになってしまうかと思って悩んだのですが、これは僕の気持ちにすごく大きな影響を与えたので、ここにあえて書かせていただきました。心からご冥福をお祈りいたします。
 
この時期、松尾さんの事があったからだけでなく、死について深く考える事になりました。前に日記にも書いた通り、僕は今年、厄年なんですけれど、僕が尊敬する日本人バスバリトンの大橋国一さんは僕の年で亡くなったというお話しを最近聞きました。僕は大橋さんは録音でしか知らないのですが、そのレコードが奇しくもワーグナーのアリア集でダーランとのアリアなどの他、ヴォータンの別れも歌われています。初めて聞いた時は、まさに日本人離れした歌声と歌いぶりに圧倒されました。
日本の音楽ファンの記憶に強く残っている大橋さんがこの年で亡くなっていた事、つまりそれまでに既に素晴らしいキャリアを築いていらした事にも驚きを覚えましたが、大橋さんが亡くなった年齢に自分が達している事にも驚きました。
 

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最終日の公演は、客席で見る事ができました。日程の都合上、この組の演奏を一本通してみる事がずっとできなかったのですが、見せていただいて本当に良かった。素晴らしい演奏でした。初めて通して見て思った事の一つは照明の素晴らしさです。石井リーサ明理さんの照明です。ジョエルのコンセプトに寄り添い、雄弁に物語をサポートしていました。
僕はドイツの劇場ではよく見るのですが、床面を照らさずに側面から強い光で人物を浮き立たせるやり方は日本ではあまり見かけないですね。舞台の暗さは保ちながらも人物には強い光を当てる事ができるので、緊張感とコントラストを作る事ができる手法なのだと思います。・・・ぼくは照明の専門家ではないので詳しくは解らないのですが。歌手にしてみると視界を奪われる事がしばしばあるので、楽ではないんですけれど。
僕は石井さんとは学生の時期に一度ご一緒しています。大学院の頃に自分もオペラのグループを主宰して公演を打っていたし、他の学生グループの公演にも出たりしていました。石井さんもその時期にそういう形でオペラ公演に関わっておられて、20年近く経って再び共演する事になりました。こういうのは本当に嬉しいです。
 
二期会の「ピックアップアーティスト」のインタビューでも述べたのですが、ここのところ、自身を芸術に使える下僕としてとらえる気持ちが、以前に増して強くなっています。これも傲慢かも知れませんが、芸術の神様に仕える自分の価値を以前よりも信じられるようになった事でもあります。逆に一人の演奏家としてのエゴは弱くなっている部分があります。
前は自分らしさを出すためにはどうしたら良いか、とか、他の人とは違うやり方でやらないと自分の演奏は価値がないとか、変なコンプレックスも手伝って苦しい思いをしてきました。今は、自分の今の肉体と魂、知性を持って行える最善の事を行おう、と躊躇いなく思えるようになってきました。これは多分、とても幸せな事なのだと思います。まだアイデンティティをどこに置くのかというのが今一つすっきりせずに試行錯誤を重ねていますが、以前からのモットーは変わらず、やはり僕らはお客様のために演奏するのだ、というところは深く納得できているので、切磋琢磨の中で表現者としての無私の自我を見つけていきたいです。

“ワルキューレを終えて” への5件の返信

  1. 近くにいてもなかなかお会い出来ないものです。お元気そうで益々のご活躍、何よりです。ヴォータンとは異なりますが、ゲラのローエングリンで小森さんを拝聴させていただくのを楽しみにしています。
    イースターなどの休暇に娘と二人で旅行するのが常になってきまして、娘がリングの物語に関心があることから、リング鑑賞ツアーを始めたものの、ラインの黄金だけにとどまっています。今年はザルツブルクにしました。あそこは小さな劇場なのでドン・パスクワーレを観る予定です。 
    ちなみに来シーズン、コーブルクはラインの黄金をやります。
    オケの編成なんかどうするんだろう、と思うんですが、ワーグナーが生きていた当時、リングは全てやっていてワーグナー自身も出入りしていたようです。後はリゴレット、ウェルテル、フィガロの結婚とか。
    また近いうちにお会いできればと思います。

  2. 松尾洋さんがお亡くなりになっただなんてショックです。
    親戚がオペラプロデュースの公演にはたくさん出して頂いていて本当にお世話になった方でした。
    オペラプロデュースの公演を観に行った時に松尾さんが直々に新国立劇場の親戚の楽屋へと私を案内して下さった時の笑顔が忘れられません。
    心からご冥福をお祈りいたします。
    もう足かけ8年ほど応援させて頂いている小森さんがヴォータンを歌われるの私にとっても事件でした。
    なのに非常に個人的な理由で実はうかがえる状況では無かったのですが、理由を説明して無理を言って「ワルキューレ」に伺うことを許してもらいました。
    ご迷惑をおかけした皆さんすみません!
    充実の舞台でした!
    4時間半の上演時間があっという間に感じられるほど集中して観いってしまいました。
    ワルキューレも新国、MET、ゲルギエフ指揮のマイリンスキーなど名だたる舞台を生で観ていますが、こんなに惹きつけられたのは初めてでは無いでしょうか・・・。
    飯守先生のワーグナーいいです!今秋には「トリスタン」も指揮をされるとか・・・チケットが取れるといいのですが・・・。
    横山恵子さんのブリュンヒルデ!これをきちんと美しいベルカントでドラマチックに歌いあげた彼女に拍手!
    そして小森さん、たくさん感動を頂きました!
    現段階での小森さんの集大成をしかとこの目で見届けましたよっ!!

  3. 小森さんの素晴らしいヴォータンにしびれました。
    小森さんの歌を初めて聴いたのは、昨夏の小森輝彦・服部容子
    デュオ・リサイタルですが、体調が良くない中R・シュトラウスの歌曲を役30曲も歌って、凄い歌手がいるものだと思いましたが、なんと「ワルキューレ」でヴォータンを歌うことを知り、直ぐにチケットを買ったのでした。そして、・・・
    「ドン・ジョバンニ」「ローエングリーン」「アラベラ」など
    また、見られるでしょうか。
    今後のご活躍をお祈り致します。

  4. 春一番が吹き荒れた23日、上野の文化会館で拝見しました。
    苦悩するヴォータン、これが要となっているオペラだったと思います。うちに秘めていた愛がついに表出するような感じの第3幕、涙々の大詰、ハンカチを手に持っていなかったので、涙がぽろぽろ落ちてしまいました。
    小森さん、感動ありがとうございました。

  5. またレスが遅くてすいません
     
    >Tomさん
     
    お久しぶりです。そうですね。なかなかお会いできないですね。
    コーブルクはラインの黄金ですか!いいですね。またコーブルクにも伺いたいです。一度児玉宏さんがいらした頃にジプシー男爵を観たっきりなので。
     
    >えーちゃんさん
     
    遠くから見に来て下さってありがとう。
    確かに今の僕の集大成ではあります。ここからどうやって進んでいくか慎重に考えながら行きたいと思います。
     
    >ごま塩グレちゃんさん
     
    こんにちは。
    ありがとうございます。しびれましたなんて書いていただいて恐縮です。
    デュオ・リサイタルで聞いて下さって興味を持っていただけたと言うのは大変嬉しいです。アラベラ、また歌いたいですね〜。機会があると良いんですが。ドン・ジョヴァンニは日本ではもうかなり長い事歌ってませんが、ドイツに来る前は良く歌ってました。ローエングリンは今稽古中です。日本でもまたワーグナーを歌うチャンスがあると良いんですけど。
     
    >一静庵さん
     
    すごい風でしたね!電車も止まったんですよね、確か。
    泣いていただけて嬉しいです。僕らも稽古場でワルキューレって意外に泣ける作品だったんだって、再発見していました。本当にこのプロダクションにのれて良かったです。

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