プッチーニのミサ、ヴァネッサ最終公演


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4月の2日、3日、4日は劇場のオーケストラの定期演奏会でした。僕が歌ったのはプッチーニのミサのバリトン・ソロです。このコンサートのテーマは「教会音楽」で、前半にはメンデルスゾーンの交響曲第5番とステファノ・ジェルヴァゾーニという作曲家の「Sonata sopra Santa Maria」という作品のドイツ初演があり、指揮者はスイス人でリューベック市立劇場の音楽監督であると同時にオペラディレクターでもあるロマン・ブログリ=ザッハーさんでした。


このブログリ=ザッハーさん(ドイツっぽい名前じゃないし、いまいち読みに自信がないのですが・・・)ずいぶん年上のような気がしていたんだけど、プロフィール見てみたら一つ上なだけ、日本的な学年でいうと同輩だ。どう見てももっと老けて見えるんだけどね・・・。貫禄があるということもありますけれど。
最近ではベルンでのヴォツェクで大成功を収めたとかで、僕は知らなかったけれどもうかなり名前が売れている人らしいです。日本でも彼のCDが出てますね。素晴らしい指揮者でした。ローエングリンの稽古の影響もあるのか、練習がすごく少なかったにもかかわらず、素晴らしい演奏になりました。棒を見ているだけで何をやりたいのかはっきりわかるし、稽古を止めての指示も的確で進め方も効率的だし、うまい稽古の時間の使い方というのも一つの芸術だな、と思いました。
よく思うことなのですが、芸術家が仕事をする際に、綿密な準備をすることはもちろん大切なことで、成果に大きな影響を及ぼすのですが、稽古などの過ごし方というのはそれ一つとっても一つの芸術と思います。その中でも、準備段階に考えていたコンセプトやパターンを、稽古などの現場(映画での撮影も含む)で、これはだめだと思ったらきっぱりと捨ててしまう勇気と決断力というのも、一つの芸術ですね。せっかく準備したのに・・・というような迷いを持たない人が一流なのだと思います。そのためにはその稽古の時間を生きる上での自分の力を信じる、「自分を頼みにできる」ということが必要で、僕の尊敬する河合隼雄さんと吉本ばななさんの対談集で、吉本さんがこれを「偶然にアクセスする技術」といっていらして、これには唸らされました。以前から河合さんや村上春樹さんは、偶然を待つことの大切さを説いていますが、この吉本さんの表現はそれのあり方や役割まで説明してしまっているように思いました。本番というのはやっぱり何が起こるかわからないし、何か起こったときに必ず失敗につながるようでは、やっぱりプロとしては問題だと思います。災いを持って・・・というやつですが、これができるようになるとすごく心安らかに本番を迎えられるようになるし、全体的な芸術的クオリティーももちろん上がります。
 
話がそれました。
このコンサートの前半にあったメンデルスゾーンの交響曲第5番は、「宗教改革」という副題がついているようで、コラールと賛美歌がモチーフとして用いられているのですが、これがまさに、先日なくなった友人のガブリエレがクリスマスのキリスト生誕劇で歌っていたもので、ここでも彼女の不在を強く思い知らせれることになりました。前のエントリにも僕はこのコンサートでのプッチーニのミサを、特に彼女のために、心を込めて歌おうと書いたのですが、この時期にこのプログラムに参加したのは何か意味があるんだろうな、と思わされました。
 
僕が歌ったのは三カ所、Crucifixus etiam pro nobis, Benedictus qui venit, Agnus Dei cui tollis peccata mundiでした。

Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est.
われらのためにポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け葬られたまえり。

ここは本来合唱のバスのパートソロなのですが、僕が歌うことになりました。でも・・・僕がそれを知らされたのがリハーサルの当日でした・・・。いい加減にしてほしいですね、こういうのは。慌てて譜読みしましたけれど。
 

Benedictus qui venit in nomine Domini.
祝せられたまえ、主の名によりて来たれる者。

これはプッチーニらしいかどうかはわからないけど、素晴らしく美しいメロディーでした。
 

Agnus Dei qui tollis peccata mundi,
dona nobis pacem.
神の小羊、世の罪を除き給うおん者よ。
われらに平和を与えたまえ。

これはテノールとの二重唱で、これも美しいナンバー。合唱とも受け答えがありますが、これが最終曲で、ちょっと変わった終わり方をするミサだな、と思いました。素朴というか、なんというか。
このミサはプッチーニが若いときの作品で、1958年に再発見されるまでは知られていなかったとか。グロリアが巨大な構成を持っていて全体の核をなしていることから、本来の名前ではないのですが「グロリア・ミサ」と呼ばれるようになったようです。こういう作品に触れる機会を与えてもらったことは大変ありがたいです。Agnus Deiの中のメロディーは「マノン・レスコー」の2幕のマドリガルに、キリエは「エドガー」に使われているそうです。「エドガー」というのはあまり知られていないオペラですが、この中のバリトンのアリアは本当にきれいです。まだ人前で歌う機会がないのですが、いつか歌いたい曲の一つです。
 

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4月6日にはバーバーのオペラ「ヴァネッサ」の最終公演がありました。なんと指揮のGMDソレーン氏が急性難聴で降板、カペルマイスターでヘッドコーチも兼ねるトーマス・ヴィックラインが練習なしで降りました。
トーマスは素晴らしいピアニストでもあるのだけど、この人の音楽の理解力の深さは計り知れないです。練習なしだったにもかかわらず、全部のテンポをしっかり把握していてミスなんか一つもないし、普段あまりもらえていない歌へのキューもしっかり出してくれた。しかも練習なしの本番という条件が緊張感を演出した部分もあるのか、出てきた音楽の生き生きしていたことといったら!素晴らしい公演になりました。
 
今実は、うちの劇場はアードリアン・プラバヴァというインドネシア人の第一カペルマイスターが来季から解雇になったので、次のカペルマイスター探しの真っ最中。もうオーディションはすべて終わり、投票も終わったのですが、最後の段階でもめたのか、もう一度投票をすることになったと昨日掲示が出ていました。トーマスも劇場内部からの候補者として立候補しており、彼と外部の候補者の最後は一騎打ちになっています。
トーマスはこの劇場に勤めてもう20年くらい。長い関係というのはやはり問題も生むのでオケの中には彼を嫌っている人が一定数います。トーマスのオーディション扱いになった「マリッツァ伯爵夫人」の公演ではわざと間違った音を吹いた人が最低3人いたとか何とか。こういうの最低ですね。どうしてもトーマスに第一カペルマイスターになってほしくないんでしょう。
 
オーケストラ奏者として、指揮者のタイプで好めない人がいることは十分理解できますけどね。トーマスをそう見る人がいるのもわかる。でも指揮者としてのオペラの稽古場での役割を彼ほどきちんと理解し、なおかつ実践している人はあまりいないと思います。逆に解雇された彼はそこが弱かったんだと思う。これについてはインテンダントとも何度も話をしたんですけども。詳しく書くのは個人攻撃に結局なっちゃうからしませんけど、ある意味仕方ないかと思う。今稽古しているローエングリンでも同様の状況だし・・・つまりソレーン氏がまだ難聴が治らないので第一カペルマイスターが今日のオケあわせを振るのですが・・・やっぱりオペラへの愛、興味を超えた本当に強い関心がないとオペラには関われないということでしょうか。
 

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ヴァネッサ役を歌ったザビーネ・パッソウと一緒に舞台を務めるのもこれでとりあえず終わりになります。残念です。彼女は本当に素晴らしいソプラノであると同時に素晴らしいオペラ役者です。さすがベルリン・コミシェ・オパーで長年主役を歌ってきただけのことがあります。僕も留学生としてベルリンにいたときに彼女の舞台を何度も見ました。日本にも引っ越し公演でいっています。
91年の引っ越し公演での「ラ・ボエーム」でのミミ、94年の引っ越し公演での「カルメン」のミカエラを日本で歌ったそうです。たまたま僕のヴォータンの話もしたので「トウキョウ・ブンカ・カイカン!しってるわよ!あたしも歌ったもの!」と大喜びしていました。あの東京文化会館の音響は素晴らしいと絶賛してました。古いホールだけど東京のホールだと文化会館が一番だなぁと僕も思います。雰囲気もいいですしね。
ヴァネッサが最終公演だったので劇場のレストランで終演後にみんなで集まり、あまりこういう場所に顔を出さない僕もちょっと顔を出しました。今の劇場の経営ディレクターがもとベルリン・シュターツ・オパーにいた人なのですが、彼も引っ越し公演で何度も文化会館にいっているのですが、この会話に加わってきて、「そうあの駅に向かって右の坂を下りていくと・・・ふっふっふ」とにやにやしておられましたが・・・まぁたぶんその手の映画館があることをさしておられるのでしょう。僕も「そうですね、ふっふっふ」と返しておきました。(意味不明)
関係ないですがやはり忍ばず口の角のレストランでパフェを食べていたときに地震が来て、パフェが50cmもテーブルの上を歩いた!というのが忘れられないようです。「酔ってないはずなのに、と思ったんですよ」とのことでした。ドイツは地震がほとんどないですからね。

“プッチーニのミサ、ヴァネッサ最終公演” への3件の返信

  1. プッチーニの方は僕も聴かせていただきました。上演機会の少ない作品なので興味もあったし、素敵な演奏だったと思います。
    指揮者選びの事はいろいろな噂で僕も聞いているのですが、ヴィックラインは僕も大好きな人。ただ、劇場に新しい風ということで考えるとまた違った視点もありますよね。それより不思議だったのは、いい指揮者で仕事がない人はいっぱいいるのに、思ったより人選は限られた人たちで進められているような気もするのですが、どうでしょう。ヴィックラインさんは先日、うちの学校にヘンシュ氏、インテンダントらと一緒に来てくれて、ローエングリンの説明をしてくれました。ヴィックラインって人は職人さんですね、僕はこんな人、好きだなぁ。

  2. 「ヴァネッサ」見逃したのはかえすがえすも残念です。
    こないだお邪魔した際には観られるかと思ったら演目変更になっちゃったしね・・・。
    私も、ヴィックラインさんが第一カペルマイスターとして返り咲いてくれるといいなと期待してます。

  3. >Tomさん
     
    お返事が遅くてすいません。
     
    指揮者選びは依然難航しています。そろそろ公式発表があると思いますが、どう反応が出るか。
     
    新しい風が必要かどうか、ということがまず一つのポイントだと思います。ここ2回、その新しい風が劇場に大きなダメージを与えたという意見もあるので。
    「いい指揮者」というのがいろいろあって、それが難しいですよね。やっぱりオペラなので、オペラへの適性が問題の焦点になるべきだと思いますね。
     
    >ぴかままさん
     
    そうでしたね。すいません。てか、それはこのザビーネの体調が悪かったせいだったんですよね。
    トーマスのことは、なかなか微妙です。はい。

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