ゲラの新聞「NeuesGera」の記事


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ゲラの新聞「NeuesGera(新しいゲラ)」に小森輝彦のインタビュー記事が掲載されました。2月の二期会公演「ワルキューレ」と4月のゲラでの「ローエングリン」プレミエの関連や、家族についての事も述べられています。


我々はいつも、偶然を待っているのではありませんか?
劇場の人:小森輝彦、歌手(日本)
 
自分がいつの日か祖国日本に帰るであろう事、それを小森輝彦は隠そうとはしない。しかし、それまでの間、彼は徒弟であり、できるだけ多くのことを吸収しようとしている。ゲラを彼は愛している。特にその静かなたたずまいを。
そう話すのは1967年に東京で生まれ、根本的に二つの世界の間をさまよう者、いや、というより二つの世界の仲介者である彼である。なぜならこの英雄的バリトンは定期的に客演し、彼の生まれた街で大成功を収めているからだ。2月にはワーグナーのスペシャリストである飯守泰次郎と共にした、2400の客席を持つ伝統あるホール、東京文化会館における「ワルキューレ」で、その芸術を賞賛されたのだ。
「音楽の友」誌では「今回最大の収穫はヴォータンの小森輝彦で、これほど言葉の意味を咀疇して的確に歌われたヴォータンは日本人歌手としては初めてだろう。今後もワーグナー作品のバリトン役で活躍が期待される。」と評した。このテューリンゲンを第二の故郷とする彼が、海の向こうで4月25日に「ローエングリン」のテルラムント役としてのデビューを飾ると、知っていた者が居たのだろうか?彼がすでに「さまよえるオランダ人」のタイトルロールを歌い、演じたことも?あるいは「コジマ」のニーチェとして、決定的に重要なワーグナーの真新しい歴史的物語を作り上げたことを?
彼のプロフィールには、2000人もの歌手を擁するオペラ団体「二期会」(訳注:記事ではNIKAIとあるのはスペルミス)での公演を含むモーツァルト、プッチーニ、ヴェルディ、シュトラウスの作品、その最後には彼自身がゲラでのもっとも刺激的でセンセーショナルな作品であったと述べる「ヴァネッサ」の老医師役が並ぶ。
彼は東京では、ゲストの講師、そしてスターであり、それは彼がドイツで活動し端麗なドイツ語で歌うことにも因っている。ここゲラでは、引く手あまたの歌手であると同時に、まだ人には悟られずに息子の健登とサッカーを楽しむ父親でもある。ゲラの劇場の大きさは、ちょうど客席から歌手の汗や涙を見て実感することができる規模で、2001年の「リゴレット」でのデビュー以来、素晴らしい役を得ていると彼は言う。劇場というものは彼にとって「取り決め」であり多くのものが関わる「妥協」の場でもある。
しかし三次元の経験の場なのだ。これを彼は、師ハンス・ホッターの講習を受けたときに彼が手配してくれたチケットで訪れたバイロイト音楽祭の舞台を見たとき以来、大切にしている。そのように彼は歌い、演じ、踊ろうとする。そしてこの異文化を自分の中に取り入れる。日本人はそういう才能があるのだと彼は言う。
これが彼の人生の「屋根」のようなものだ。彼は「教師は芸術家でならねばならない」とされる、芸術に満ちた教育メソッド(訳注:シュタイナー教育のこと)に夢中になっており、その美学にも強く納得している。自身が歌手としての教育を受けたソプラノである彼の妻登紀子は、この間の日本への客演の折に京都の同様の学校(シュタイナー学校)を訪れ、学校の様子を心に刻みつけてきた。
小森氏はほくそ笑む。彼の父は裕福な発明者でプレス機械の安全装置の開発者で、母はコロラトゥーラ・ソプラノを歌う主婦だった。「僕らの周りには音楽があったはずだと思います」しかし彼はクラシックのコンサートには喜んで行こうとはしなかった。彼の弟 邦彦はピアノから始めて今は打楽器奏者になっている。輝彦はサッカーにいそしんでいた。しかしトレーニングの時には大声で叫ぶもので、彼は高校の時に見いだされたのだ。「そんな大きな声をしてるなら、学園祭のオペラで歌ってもらおう」そして彼はまさにそれをやったのだ。ろくに楽譜も読めないのにだ。母親の指導も良かったのだろう。舞台衣装を着ての公演が作用した。
「我々はいつも、偶然を待っているのではありませんか?」と彼は巧みな言い回しで問いをたてる。とにかく彼は16歳の時にオペラ歌手になろうと決心したのだ。彼のスポーツ時代の好影響は未だにあり、限界に挑戦しようとするときに特にはっきりと現れる。彼はその根気を声楽の訓練において発揮した。まずは東京でのオペラ研修所での研修、その後1995年から2000年まで奨学金を受けてベルリン芸術大学に留学し、多くのマスタークラスにも参加、そして今なお著名なヴォイス・トレーナーのデヴィッド・ハーパーに師事して学んでいる。彼の最初のワーグナー・オペラは1998年の「リエンツィ」におけるパオロ・オルシーニ役だった。
長くはっきりと意図してドイツ歌曲を学んできた。発音はその効果の大切な一部である。たとえ自身の息子健登がたびたびかなりの「ゲラ訛り」をしゃべるとしても。ドイツの方言はよいものだと彼は言う。その人の特有の誇りの一部なのだ。そして誇りと名誉を日本人は重んじるのだ。
トーマス・トリームナー

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