僕にとって、藤沢というのはちょっと特別な場所です。第2回藤沢オペラコンクールに入賞したという事もありますが、それよりも藤沢市民オペラとの関係からです。
1995年の春に行われた、第2回藤沢オペラコンクールで、僕は第2位を頂きました。これはこの藤沢オペラコンクールの特色でもあるのですが、入賞者はその次の回の藤沢市民オペラに出演することができます。欧米のコンクールでは良くあることですが、日本のコンクールでは珍しいことです。そう言うわけで僕はその年の秋に予定されていた、藤沢市民オペラ「ウィンザーの陽気な女房達」(ニコライ作曲)にフルート氏という役で出演し、その次の回の「リエンツィ」(ワーグナー作曲)でもご一緒させていただきました。ウィンザーの陽気な女房達では、トリプルキャストが組まれたのですが、その回のコンクール入賞者が集まってそのうちの一つの組になりました。一位の針生美智子さんはフルート夫人。僕と夫婦役ですね。三位の佐藤美枝子さんはアンナ役。ライヒ家の娘の役です。
ヨーロッパでも、コンクールを共に闘った仲間と後まで友達として交流があったりしますが、この藤沢の場合は、コンクールだけでなくてオペラを一本共に作るわけです。当然同じ世代の歌い手として、より深い共同作業ができるわけですね。この二人とは今でも仲間意識が強いです。
この藤沢市民オペラというのは、ご存じの方も多いと思いますが、日本の「市民オペラの雄」です。日本全国でどのくらい市民オペラというものがあるのかはわかりませんが、この藤沢オペラをお手本にしていない団体、あるいはライバルとして意識していない団体はいないと思います。歴史の長さもありますが、その中身が「市民オペラ」がどうあるべきか、という事を行動で示しているのが藤沢市民オペラなのです。
福永陽一郎さんという指揮者をご存じでしょうか。僕は残念ながら福永先生がご存命のうちに藤沢と関わることができませんでした。でも福永先生の存在は、いまだに藤沢市民オペラに参加する一人一人の中に脈々と生き続けていると感じます。福永先生が、前市長の葉山峻さんと共に藤沢市民オペラを産み、育て上げた人なのです。福永先生は藤原歌劇団で活躍された指揮者・コレペティトアです。僕が聞いた話では、前市長の葉山さんは、市会議員だった当時、福永先生が藤沢市にお住まいであることを知り、藤沢にオーケストラを作って指導して欲しいと頼みに行かれたそうです。それが発展してオペラとなり、今に至っていると。福永先生亡きあとは、その人柄を知るオペラ界の友人達があとを引き継ぎました。友人と一言で言ってもその顔ぶれがすごい!前新国立劇場オペラ監督の畑中良輔先生、日本を代表する指揮者の若杉弘先生、オペラ演出家として、指導者として多くの歌手や演出家の尊敬を集める栗山昌良先生などなど。日本オペラ界の「重鎮」といって差し支えない人たちが、藤沢市民オペラのために動き始めたのです。なぜならば、福永先生の藤沢市民オペラの価値を日本のオペラ界の人たちは良くわかっていたからです。
何が藤沢で特別かというと、参加する全ての人たちがオペラと、そのオペラに関わる人たちを愛していること。これなんです。指導者の方々や、藤沢市民オペラを作った方々の熱意や愛情がプロジェクト全体に行き渡り、満ちているのです。藤沢市民オペラでは、オーケストラも合唱もいわゆるアマチュアのみなさんです。でも、コンクールで賞を取ってキャスティングされた駆け出しオペラ歌手の我々なんかより、ずっとオペラ歴は長かったりするわけです。そして普段は普通の、言ってみれば音楽と関わりのない仕事に従事されている方が殆どです。その方達がわずかな余暇を惜しみなくオペラにつぎ込むのです。みなさんオペラが大好きなんです。「ちょっとやってみたい」程度の興味でやっていることではありません。その程度の興味では続かないです。長い期間、休みを返上してオペラ、オペラですから。そしてオペラを良く知っています。趣味として音楽を聴くことを長くやっているだけでなく、長年ご自分でステージに立って来たわけですから。そしてキャストの歌手達をとてもよく見ています。僕らコンクール組にとっては、良く言う言葉なんですが、藤沢が第二のふるさとみたいなものです。藤沢市民オペラに関わるみなさんがコンクールを経て市民オペラに参加してきた歌手達の成功と成長を心から願っていることがずんずん伝わってくるのです。
僕ら・・・コンクール組だけじゃなくて全キャストがそうですが・・・が、藤沢市民オペラに関わる人々に如何に愛されてきたか。言葉ではうまく表現できませんが、これは本当に大きな愛です。こういう愛情が日本のオペラを救うのではないだろうか、と思ったりします。(救わなくてはいけない状況かどうかはまた別問題として)車で2時間の距離をよく通ったなぁ。僕は藤沢市民オペラのことを考えると、何だか幸せな気持ちになると同時に、「藤沢出身」の歌手としての責任ということを考えます。藤沢市民オペラのみなさんに恥じない歌を歌っていかなくてはと思うのです。
(2001.8.3)