今日は幼稚園に行って来ました。
息子の健登を連れて話をしてきたのです。面接みたいなもんでしょうか。
今まで健登を、おばあちゃん以外にはどこにも預けていなかったので、当然ママにべったりになっています。
ここGeraではまだ劇場の同僚以外の知人はほとんどおらず、子供同士で遊べる機会は、子連れの友達がGeraに来てくれた場合と、子供がいる知人の所に遊びに連れていった場合に限られてしまいます。ライプツィヒやベルリンにはかなり頻繁...
に出かけて、子供同士で遊ばせてもらっていますが、Geraに友達が来てくれるのはかなり稀だし、まぁ難しいわけです。
Geraで公園に行っても、今ひとつ同年代の子供と遊べないのです。公園で遊んでないんですよね。もうちょっと上の年齢の子供ばかりだし、そういうわけで同年代の友達は出来ないわけです。
この謎は最近解けました。ここ旧東ドイツ地域では、社会主義の中で女性も働いていた環境が残っていて、Kinderkrippeという託児所・保育園にあたる施設がたくさんあるのです。
そう言われてみれば、街を回ってどこに良い公園があるかを探していたとき、「ここはいい感じ」と思った遊び場が公園でなく実は託児所の中の庭だったという事がほとんどでした。つまり公園より保育園が整備されているのです。そして1歳半から預けられます。小さい子供は公園でなく保育園で遊んでいるわけで、小学校に入った子供くらいの歳から公園で遊ぶようになるようなのです。
ちなみに旧西側では事情が違って、保育園・幼稚園は大体3歳からだし、それも数がないので、子供が生まれたらすぐ(場合によっては生まれる前から!)幼稚園の予約をしないと席がなくなってしまうようなのです。そして公園で小さな子供がたくさん遊んでいます。
僕は最初はベビーシッターを捜していたのですが、保育園が充実していることもあって、これは結構さがすのが大変だと同僚に聞きました。それでその同僚(マゼットを歌っているベルンハルト)が「劇場の裏の幼稚園は良いぞ。1歳半から預けられるし、劇場から近いし。うちも預けていたが、あそこは信頼がおけると思う」とアドヴァイスしてくれたのでした。
その話を嫁さんにしたら、早速一度行ってきて「すごくいい感じの幼稚園だった!」と喜んでいて、もう面接の予約を取ってきたとのこと。それが今日だったのです。子供同士で遊べる機会が少ないことを嫁さんはすごく気にしていたので、すぐに行ってきたようです。社会性を身につける機会が皆無だと言うことですもんね。
今日は僕も一緒に行ったのですが、驚いたのは、呼び鈴を押してその責任者の人がドアを開けに来てくれたところで、「ようこそコモリさん!ケント君こんにちは!」と声をかけてくれたのです。
登紀子が一度行って話をしてきただけなのに、もう僕らと健登の名前を覚えているなんて!これはびっくりしました。メモを見ながらでも手帳を見ながらでもなく、僕らの顔を見ながらそういうんだから。
こういう事って大事ですよね。小児科でも似たような経験をしましたが。僕らが行っている小児科は、長い間大病院の小児科の責任者だった人が開業しているところで、評判も良いし、児童心理学者でもある人で僕らはとても信頼しています。そのお医者さんもやはり健登を名前で呼んでくれます。
でも救急医にかかったりして、その度にこの行きつけのDr.Friedrichとどうも比べてしまいます。でもこのDr.Friedrichほど健登とちゃんとつき合ってくれると言うか、話しかけたり、名前で呼んだり、コミュニケートしてくれる小児科のお医者さんはいないのです。
話がそれましたが、そんなわけで幼稚園は非常に印象が良く、中の設備も見ましたが、健登はもうおもちゃの山に目の色を変えてしまって、帰ろうとしないほど。まだ健登はろくに喋らないので・・・ここのところちょっと意味がある言葉を言い始めましたが・・・同じ月齢の子達となじめるか心配でしたが、健登が入るクラスの子達を見たら、当然だけど同じくらいのしゃべり具合なわけで、逆に言葉がちゃんと始まる前にこういう環に入れるのはかえって良いのではないかと思いました。
最近「パパ」らしきことを口にするんですが、明らかに僕を意味しているらしいときと、「ハッパ」(葉っぱ。レタスを我々から取り上げて喜んで食べる)「パンパン」(パンのことのはずだったのが、食べ物全体を指しているらしい)と混同している事が多く、まだ良くわかりません。ただ口まねは頻繁にするようになってきました。
幼稚園なんてもっともっと先のことと思っていましたが、もう来月から!なんだか僕ら親の方が緊張しますね。
2001年10月11日(木)スクリプトで読み込み