ベルリン留学生日記-1

僕は平成7年の文化庁芸術家在外派遣研究員としてベルリンに来ました。2年の研修期間中、基本的に帰国は許されていない関係もあり、それまでの日本での生活とある意味で切り離された2年間になるであろう事を想像して、四半世紀以上僕にとって唯一の居住地であった東京を離れました。


一年のうち一番太陽を拝める時間が短い時期にベルリンに来たのは良かったのか悪かったのか。午後4時にもう日が落ちて暗くなるのにはびっくりしましたが、厳しい冬を経たドイツの五月を経験してみて、まさに春の素晴らしさ、命の息吹を感じる季節の貴重さを感じております。僕が大学時代からずっと興味を持ち、自分の一生を費やして理解し実践する価値があると見込んだこの文化は、まさにこの気候の中で育まれたものであると実感します。ヨーロッパの文化に興味を持てたこと、その興味によって今の声楽家という職業を目指し、この世界に飛び込めたことに感謝しています。
僕は元々、特にその時考える必要のないことをあれこれ考えてみることが好きでした。ここ、ベルリンに来て、その考える癖に拍車がかかったように思います。目に入ってくるもの、聞こえてくるものがとにかく自分にとって新しく、もちろん留学は以前からの夢でしたから、想像していたヨーロッパと今自分がおかれている環境を比べることも非常に楽しいのです。「人間ウォッチング」は、既に日本でも、演奏する上で僕に多くのヒントを与えてくれていましたが、ここベルリンでの人間ウォッチング、環境ウォッチングが今僕にとって一番楽しく、また一番必要なことなのかも知れません。
もはや留学というのは特別の事ではなくなってきたようにも思えます。僕の友人でも僕より先にヨーロッパに留学した人は沢山いますし、いわゆる「声楽」を学んでいる、あるいは生業としている人は、ほとんどの場合オリジナルがヨーロッパにあるわけですから、ヨーロッパで勉強することによって、多くを学びとれるのは確かだなのですが、それと同時に留学することによって危険もまた抱え込むのではないかと以前から考えていました。
例えば、ドイツであれば、ある時期ドイツで生活することで、自分があたかもドイツの文化を把握、あるいは理解した様な気になってしまうのではないかという事です。当然のことではあるのですが、僕らは紛れもなく日本人で、ドイツ人にはなれないのですから、ここヨーロッパで生活しているとしても、あくまでも東洋人、日本人としての距離を持って観察をしないと、変な思いこみに捕らわれてしまうのではないだろうかということなのです。ドイツ人になったつもりになって彼らと同じつもりや論理で行動しても、行動する身体そのものとその培われた環境は全く違うわけですから、出てくるものは違うということになり得ます。僕の場合はそれが声であり演奏になるわけです。まぁ2年くらいの滞在ではそうなることもないでしょうけれど、日本人としてのフィルターを通してヨーロッパ文化の魅力の秘密を探ってやろう、というつもりで観察に入りました。
僕らの住居はベルリンの中心といえるツォー駅から地下鉄の9番で南に下っていったところにあります。ちょっとした高級住宅街で、この付近に並んでいる家々は、家主の娘さんの部屋を又借りするという特別の条件でなければ僕らの様な留学生の身分では手の届かない様なハイクラスの住宅街ではないかと思います。東京でいうと世田谷区という感じでしょうか。ベルリンは危険な街だと言う印象が日本にいるときは強かったので、外国に住むことが始めてでもあり、閑静な住宅地に住めたのは僕らにとって大きな安心材料でした。
写真などで知ってはいたものの、着いてみてやはり町並みの美しさにまず目を奪われました。古い建物と新しい建物が混在している地域では一つの階の高さが基本的に違うので、ちょっとちくはぐな感じがしないでもないですが、東京の町並みのちぐはぐ度に慣れていた僕の目には、それでも美しく見えます。特に、僕らの住居は古い建物ばかりの地域ですから、建物がそれぞれの色や形を持っていながらも高さが揃っていて、僕が感じているドイツ人の生活態度にイメージが重なります。言うなれば、個性を持ちながらも、規律や団体行動を乱さずにうまく共存しているということでしょうか。その生活態度を通じて見えてくるドイツ人の精神構造、思考形態に、僕は今「うまい!」と感心しきりであります。
「うまい」と言うと、なんだか変な感じがしますが、言い換えると気分転換がうまいという事にもなります。生活を楽しむのがうまい、効率的に物事を運ぶのがうまいし、それから縦列駐車がうまい。整然と並んでいる車達をみると、住宅の見栄えと同じ様な印象を受けます。車の運転、特にバスの運転はかなり激しく、バス停から少しでも身を乗り出して待っていたら命が危ない感じがします。「ひかれたくなかったら安全な場所にいればよい」といわんばかりの勢いでとばします。自分の身は自分で守る、というような美学があるように感じ、これが責任分担、役割分担のうまさにつながっているように思えます。責任と役割分担がきちんと出来ているからこそそれぞれが個性的でいられるのではないでしょうか。そして気分転換、切換をうまくやっているから自分の役割を果たす時、集中力も発揮できるように思います。休日に飲食店以外の店が営業を禁じられているのも、店の人が営業終了時間になると客がいてもどんどん店をたたんでしまったりすることがあるのも、気分転換の必要性が認められている証拠だと思います。休むときは徹底的に休むという事でしょうが、早朝と夜、休日はリサイクルのガラスを棄てることも禁じられているのには驚きました。ガラスが割れる音が休息を妨げるという事なのでしょうけど、それにしても徹底していますね。
こうして現在見えているヨーロッパ、ドイツ文化の様子、美学、習慣から逆に考えていくと、それを育んできた環境と人間が見えてくるようです。
(1996.2 /2001.10.27掲載)

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