さて、R.シュトラウスですが、僕はここベルリンに来て初めてエレクトラを見ました。僕はどうもR.シュトラウスの初期の悲劇のオペラは苦手で、何となく避けていました。
僕が学生の頃サヴァリッシュ氏が日本R.シュトラウス協会の例会で、R.シュトラウスのオペラと調性についての講義をされたとき、ちょっとしたショックと共にこの講義の内容を受けとめ、それ以来R.シュトラウスのオペラの良い演奏をすることが僕の夢の一つとなりました。このときの講義は、ばらの騎士とアラベラなどを中心に取り上げて行われましたのでそれらの作品への興味をまず持つことになり、バイエルン州立歌劇場の引越公演に先駆けて、やはり例会でのサヴァリッシュさんによる影のない女の解説を聞いたことで、影のない女も楽しんで理解を進めることが出来ました。ところが、エレクトラ、サロメについては興味はもちろんあるものの、どうも後回しになってしまう感じになり、一旦聴き始めても途中でやめてしまったり、VTRをエアチェックしても見ないでしまってあるという事になっていました。
というわけでエレクトラについてはそれほど良く知らずに見ました。都合三回、エレクトラを見たのですが、今シーズンのエレクトラを全て観たことになります。これは国立オペラでの1回と、ドイチェオパーでの2回で、ドイチェオパーの公演はレオニー・リザネックの引退公演でもありました。最初に見たのが国立オペラ、バレンボイム指揮でエレクトラはブリュンヒルデをバイロイトなどでも歌っているポラスキーでした。演出はディーター・ドルンです。
これを見た後、非常に納得できずに苦しみました。まず、難解だったこと。皆さんご存じでしょうが、この作品のオケの厚さでは歌のテキストを聞き取るのは相当に困難です。僕の場合、聞こえても全部は理解できないでしょうから、そこの部分はゆずるにしても、それぞれの登場人物が何を感じ、何を考えて行動したのか、さっぱり見て取れなかったのです。
そして、陰惨だった。僕はオペラはエンターテイメントであるべきと考えているので、どんなに陰惨な話でも、不愉快であってはいけないと思うのです。例えば、殺人の時の絶叫が、僕自身が歌い手である為に、喉に嫌な感覚を呼び起こしたと言うようなこともあったかも知れません。
そして、音楽との矛盾。緞帳が降りるラインがあります。舞台空間と客席空間を分けている枠といっても良いと思いますが、この線の向こう側で行われていることには不快感を感じずにいられなかったのです。ところが、その線より客席側にあるオケピットから流れ出てくるものは紛れもなく美しいものでした。オーケストラの音が持つニュアンスと、舞台の上で繰り広げられているスプラッタ映画のような光景と、関係を見いだせませんでした。
そして観客の喜びよう。ドラマや登場人物の行動に興味を持てなかった僕とは全く逆で、多くのブラボーが飛び交っていました。
「これは本当にR.シュトラウスが作曲した舞台作品なんだろうか?」いままで、R.シュトラウスの作品で、納得できないものはなかったのに。そして僕はR.シュトラウスの作品が大好きで、理解したいのに、僕には理解できないものを彼は書いたのだろうか?
僕はR.シュトラウスのファンで、R.シュトラウスの作品を歌うことも僕の大切な仕事の一つですから、それなりに勉強はしてきたつもりです。もちろん、知識を得たために見えなくなる事も多いと思うのですが、それにしても、ある程度R.シュトラウスに対する興味と予備知識を持つ若者が理解できないようなものを達人R.シュトラウスが書いたと認めたくなかったのです。フルトヴェングラーの著書の冒頭に「すべて偉大なものは単純である」という記述があります。 R.シュトラウスの音楽が単純というのは乱暴かも知れませんが、達人の書いた音楽が客の耳に伝えるものは、複雑で分かりにくいものではないはずですし、間違いなくR.シュトラウスは偉大な筈なのです。
この悩みを払拭してくれるかも知れんという一縷の望みと、同じ思いをするかも知れんという不安、この両方を抱いて、ドイチェオパーの公演に足を運びました。
ギネス・ジョーンズ!この人は何物なのでしょうか?あれだけのすさまじいと言えるほどの声を存分に聞かせながら、彼女は父親を殺された少女なのです。復讐に燃え、それでいて可憐なのです。母親役のリザネックと合わせて130歳を越える高齢だというのに、何故少女に見えるのでしょうか?もちろん、体力、肉体の確かさがあってのこととは思います。例会でも立ったままお話をなさった方ですから。ジョーンズのエレクトラの可憐さから僕は、ディースカウがサントリーホールで冬の旅を歌ったおり、「郵便馬車」で、自分のところに手紙が来ないくだりでいじけたとき、先日アルフレード・クラウスがルチアのエドガルドで、ルチアの死を知ったとき、60歳を過ぎた人が少年に見えたことを連想します。
そして、観客、いや、少なくとも僕は彼女を見たいと思うのです。舞台の上でエレクトラがどう振る舞うのか、興味が湧くのです。そして、家庭に悲劇がなければ幸せな人生を送ったろうにと想像し、エレクトラに何か自分がしてやれることはないかと考えてしまったりします。
自分でも妙だなと思ったことは、ジョーンズ、リザネックとも、もっとも印象に残る声が歌声でなく笑い声だったことです。これは歌声に魅力がないという意味ではありません。二人の歌声は本当に素晴らしく、全く年齢を感じさせない艶と弾力性のあるパワフルな歌声だったのです。それにもかかわらず、もっとも印象に残ったのは笑い声でした。
エレクトラの笑いとは最後、復讐を遂げた後の笑い、母親の笑いは女官からオレストの死の報告を受け、去って行くところの笑いです。本当に良い声だったし、その彼女らのその笑い声を通じてなんと多くのイメージが僕の耳に運ばれてきたことか!これこそ、彼女たちが「大オペラ女優」たる所以だと思いました。表現のためには手段を選ばないこの貪欲さ!
そして圧巻はエレクトラの踊りです。このエレクトラの演出はもうかなり古いものですから、最初は演出家がちゃんと振り付けをした踊りだったのかも知れません。しかし今は形が崩れて(長い時間を経て消化されたとも言えましょうか)か、まぁプレミエを知りませんからはっきりしたことは言えないのですが、「型」を全く感じさせないものになっていました。もはや「エレクトラを演じる歌手がエレクトラとして踊る」ではなく、エレクトラがそこで踊っていたのです。復讐を遂げた喜びや、復讐への義務感、執念などで抑圧され続けてきた少女の精神がそれから解放された様、それだけに生きがいを見いだして生きてきた一人の人間の未来の無さ、それら全てが彼女の踊りの中から見て取れました。
この「型による表現」と「型から解放される事によって昇華されたした表現」の違いに何故興味がいったかというと、ほんの一部、彼女の踊りの中に「型」が見える瞬間があったからなのです。踊りの最後にエレクトラは倒れるのですが、その前にくるっと一回転して倒れまして、そこで急に彼女はエレクトラでなくなりました(言い過ぎかな)。「倒れるための一回転」が見えてしまったからです。
舞台上での出来事が虚構であることを了承した上で、その虚構を楽しむ為の暗黙の了解の部分というのでしょうか。スカルピアが2幕のカーテンコールでトスカと手をつないで出てきても「何故生きてる上にトスカと仲良く手をつないでもらえるんだ!?」と怒る客はいないと思いますが、このウソとホントの境界線というのは本当に微妙なものなのだと思います。僕は客としてやはり、万全に騙して欲しいと思いますから。
彼女はわざわざ舞台中央に行き、そこでくるっと一回転して倒れたのですが、それが何故か、決められた位置に倒れるためにそこに行くように見えてしまったのです。言ってみればわざとらしかった。でも、普段オペラの中で見られる歌手の動作一般に比べて特にわざとらしいという事はなかった。つまり、そこ以外があまりに完全にエレクトラに見えていたために目立ってしまったという事でしょう。その事自体は残念ではありましたが、それでかえってそれまでの踊りの素晴らしさの秘密に気づく結果になったのです。
ドイチェオパーのオケでバイオリンを弾いている方と知り合いになり、お話を伺ったのですが、このエレクトラの公演は本来振るはずだったジリ・コートの指揮の方がずっと良かったということで、コートが病気のためにキャンセルしたことはとても残念だとおっしゃっていました。ジリ・コートはドイチェオパーの日本公演ではトリスタンを指揮した人ですね。
現在ベルリン・ドイチェ・オパーのシェフは、日本でも読売日本交響楽団などでタクトを取っているフリューベック・デ・ブルゴスですが、このポストは来シーズン限りと決まっており、クリスティアン・ティーレマンという指揮者が97/98年のシーズンからシェフになるようです。ブルゴスの指揮による演奏は既に何度か聴いていますが、特にイタリアオペラの演奏で納得がいかない事が多かったです。嫌っている客も多いようで、激しいブーイングが起こることもしばしばです。彼の解任についてもひと悶着あったそうで、ヴェルディの仮面舞踏会の上演に関して、彼への不満が爆発し、結果的に総裁のゲッツ・フリードリヒが新聞上で、「次の契約は更新しない」と明言したと聞きました。しかし、不思議なことに、コンサートでの演奏は素晴らしかったりするのです。ブルゴスが常任を務める放送交響楽団の定期でヴェルディのレクイエムを聴きましたが、この演奏は本当に素晴らしかった。彼の体格から導き出される音楽はスケールが大きい上に、特に弱音での集中力の持続が大素晴らしく、とても魅力的な音楽になっていました。前述のオケの方も「ワーグナーやコンサートでは良いのだが、イタリアものはどうも・・・」とおっしゃっていました。
(1996.6 /2001.11.5掲載)