忙しい・・・

ああずいぶん日記を書かずに日が経ってしまった・・・。
そして日本行きの日は迫ってくる。いろいろゲラを離れる前にやるべき事に追われている日々でございます。エッセイも書かなくちゃあ・・・。テーマはちゃんとあるんですよ。でも書く時間がないんです。ああぁぁぁ。

今回日本ではオペラあり、オーケストラのコンサートあり、歌曲のコンサートありと盛り沢山なので、とても楽しみです。皆さん是非演奏会に足をお運び下さいませ。今日は12月20日のドイツ歌曲のコンサートで使う移調譜をマックのフィナーレというソフトで作ってピアニストの服部容子さんに送ったところです。

明日は...


また「死の都市」の本番です。

そうそう、「ドン・ジョヴァンニ」が公演終了となりました。僕がかかわったプロダクションで公演終了となった最初の演目です。全部で16公演やりました。この事は表紙のメッセージにも書きましたが、いまいちわかりにくかったという批判も受けました。どういうことかと言いますと。
つまり僕にとって、このゲラでの「ドン・ジョヴァンニ」は5つ目のプロダクションだったのです。日本で、まず日本語でジョヴァンニ役を歌いました。これは90年。2回本番を歌いました。これはカンテンティ・コミチという、僕がリーダーを務めていた芸大の学生を中心としたオペラグループの公演。それから芸大の大学院の公演。これは原語でした。ここで僕は初めてちゃんとウバルド・ガルディーニ先生の指導を受けました。次は、東京オペラプロデュースの公演。僕が公演で歌ったのはマゼットでしたが、アンダースタディとしてジョヴァンニ役もやっていました。福島明也さんが急に降板されたこともあり、ゲネプロは一度ジョヴァンニ役を歌いました。そして文化庁オペラ研修所の修了公演として西澤敬一氏演出でまたジョヴァンニ役を歌いました。これは僕にとってはある種記念碑的な公演でした。
日本で留学前に4つのプロダクションでジョヴァンニを歌っていましたが、本番の回数は合計7回。でもゲラでは一つの演出で16回。今の僕にとっては特にそうなのですが、本番の重み、お客様の前で回数歌った重みというのは何にも代え難いと思います。

レパートリーシステムが怖いと書いたのは、やはり稽古期間の盛り上がりのピリオドとして本番ェ来るわけではないことですね。
結構「心頭滅却すれば」じゃないけど、気力充実していると体調ってあまり崩れないもんなので、日本でのオペラ公演での稽古を積み重ねてその最後の局面としての本番で体調を崩すというのは、少なくとも僕の場合ほとんど起こり得ないことだったんです。
ところがレパートリーシステムだと全く「いきなり」本番が来る感じなので、心身両面で、別に「盛り上がりの頂点」でも何でもないところに本番が来るわけです。これが最初は結構大変でした。

実際、「ドン・ジョヴァンニ」でも気管炎がなおらずにアナウンスを入れてもらって歌ったことがあり、その時はなんとか咳き込まずに終われると思いきや、地獄落ちのスモークで猛烈に咳き込んでしまい、最後の断末魔の叫びの代わりに「ごほごほごほ」と死んでいく、「肺病のドン・ジョヴァンニ」という新解釈をやってしまったのでした。これは前に日記で書きましたかね。

「忙しい」なんてタイトルにしたくせに結構書いてしまった。ははは 。
2002年10月20日(日)スクリプトで読み込み

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